著者の略歴− 1960年代の空気が、かすかに残っている1977年に、本書はアメリカで出版された。 本書は、同性愛にかんする啓蒙書のような役割を果たしたのだろう。 現在では、本書が描くように状況はとうにすぎて、人間の性的な好みはもっと細分化している。 同性間の性愛活動は、同性愛といった言葉で括られないものになっている。
ゲイという言葉が、すでに本書の時代から、あかるくプライドに満ちた使われ方をしている。 それに対してホモというのは、やはり暗い印象の言葉であり、ゲイたちが使わないのはよくわかる。 同性愛にかんする9つの俗説に、本書は丁寧に答えている。 1.同性愛者は外見上、ストレートと変わらない。 2.同性愛者でも異性と結婚している人もいる。 3.同性愛者は必ずしも異性とセックスしないわけではない。 4.同性愛者の性欲は、比較的に弱いことがおおい。 5.同性愛者は異性愛者を誘惑しようとはしない。 6.同性愛者の人口は増えていないが、カムアウトするので、 多くなったように感じる。 7.同性愛者の性格は、異性愛者と変わらない。 8.同性愛者のセックスは必ずしも変態的ではない。 9.同性愛者は非暴力的である。 と筆者は言っており、同性愛者への偏見をとりのぞこうと必死である。 こうした偏見も今では、ずいぶんとうすくなった。 2400年前のギリシャでは少年愛が実践された。 同じ時代のスパルタでは兵士が同性愛者だった。 それに対して、現代アメリカの同性愛者には様々な形がある。 男性が女装し女性のような生活を営むもの。 若い男性の性器をさわるだけの男性、この時の相手をする若い男性は同性愛者ではない。 同年齢の男性間の同性愛。 女性の場合は、男性役と女性役を演じ分けるカップル、そして男性役と女性役を分けないタイプがいる。 と、さまざまなカップルや同性愛者を並列的に並べている。 同性を愛するという意味ではひとくくりにできても、そのメンタリティーはおおいに異なる、と述べる。 第2次世界大戦前は、アメリカでは同性愛は違法行為だった。 だから、同性愛者はひた隠しにしなければならなかった。 秘密の生活をもっていることから暗くなりがちだった。 しかし、とうとうゲイ解放運動がおきた。 これ(ゲイ解放運動)は突然、出現したわけではない。同性愛に対する寛容な考えが広まっていたことも、この運動を可能にしたといえる。1960年代にはいくつかの州で同性愛を禁じる法律が緩和されたり、廃止されたりしている。1950年代と60年代には、いくつかの都市の進歩的な教会で、同性愛者の精神や生活の悩みに手助けをするグループが作られた。何人かの同性愛者が、自分たちの互助団体を作りはじめた。 男性ゲイのマタシン協会とレズビアンのビリチスの娘たちは、1950年代初めに結成された団体である。はじめはトラブルにまきこまれたゲイを援助するための団体であったが、1960年代になるとゲイの権利獲得のために闘いをいどむようになり、世間の態度を変化させようとした。1970年代になると、あちこちの都市や大学でゲイの団体が結成され、全国では100団体を上回るようになった。P77 1969年6月28日、ニューヨークのグリニッチ・ビレッジにあるストーンウォールというゲイバーへ、警官隊が手入れに入った。 それまでは警官隊におとなしく対応していたが、ゲイたちはこの時には反撃にでた。 「ストーンウォールの反乱」以来、ゲイ解放運動は街灯へと進出した。 全米各地で大規模なデモ行進をはじめた。 ゲイの性活動はストレートと違わない、と筆者は言う。 手や口を使ったセックスは、異性愛者間でも異常とされた。 最近になっては誰でもがやるようになった。 男性同性愛者間でおこなわれる肛門性交だけが特異なものとみえるが、それとても異性者間ですら行われてきたという。 いずれにせよ、今まで秘められてきた同性愛だからこそ、さまざまな憶測がとびかったのである。 前述したごとく、筆者は同性愛者は多くのタイプがいると言っている。 しかし、筆者が強く主張するのは、ストレート・ゲイである。 つまり、同年齢で同じような社会的な地位にあり、きちんとした社会生活をおくっている同性愛者たちを、筆者はストレート・ゲイと呼ぶ。 本書が書かれたのは、同性愛者がやっと市民権を得ようとしてきたときだった。 だから、筆者の立場は異性愛者との平和共存を訴えたのだろう。 いまでは、少年愛ありドラッグ・クィーンあり、と何でもありの状況である。 異性愛を見ても、じつは平和な時代は終わっている。 SMからロリコンから何でもありになっている。 しかし、異性愛者との対応で見れば、筆者の言うストレート・ゲイという言葉は、いまでも正しいと思う。 平和共存だからではなく、同年齢の同じ立場の同性間の愛情を、ゲイと呼ぶのであって、少年愛はゲイではない。 それは単なるロリコンの同性版にしか過ぎない。 ゲイとは心やさしき人たちだという、本書の副題には大いに賛成する。 参考: 早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998 松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年 ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と共に歩んだ30年」河出書房新社、2001 モートン・ハント「ゲイ:新しき隣人たち」河出書房新社、1982 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996 尾辻かな子「カミングアウト」講談社、2005 伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」ポット出版、2002 顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000 及川健二「ゲイ パリ」長崎出版、2006 礫川全次「男色の民俗学」批評社、2003 伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房新社、2001 リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996 稲垣足穂「少年愛の美学」河出文庫、1986 ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」哲学書房、1987 プラトン「饗宴」岩波文庫、1952 伏見憲明「ゲイという経験」ポット出版、2002 東郷健「常識を越えて オカマの道、70年」 ポット出版、2002 ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002 早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 神坂次郎「縛られた巨人」新潮文庫、1991
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