匠雅音の家族についてのブックレビュー    同性愛のカルチャー研究|ギルバート・ハート

同性愛のカルチャー研究 お奨度:

著者:ギルバート ハート 現代書館、2002年     ¥2、800−

著者の略歴−シカゴ大学・ヒューマン・デイベロップメント部門教授を経て、現在はサンフランシスコ州立大学教授。「人間の性」研究プログラム主宰で、多数の研究論文と10数冊の著書がある。サンフランシスコとアムステルダムで暮らしている。
ホモセクシャリティという言葉が意味するのは、同性同士の性関係だろう。
同性愛といえば、むくつけき男性同士、または見目麗しき女性同士と、いった形を想像するかも知れない。
しかし、その想像は現実とは違った。
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 世界中のどこでも、また歴史上のいつでも、同性愛は存在した。
しかし、その同性愛とは、年齢の上もしくは社会的な地位が上の男性から、年若いもしくは地位の低い男性を愛するものだった。
強いとされる男性が優位性を保ったまま、劣位にある男性を姦通するかたちの性関係、それが世界に存在する同性愛である。
今日いうところのゲイ、ほとんど同じ姿形の人間同士がとりむすぶ性関係は、きわめてまれな存在であり、人類が初めてみるものである。
 
 ある人が大学進学を目指す高校生であれ、働き始めたばかりの社会人であれ、あるいは社会に自分たちが残した「遺産」についていまや静観の構えをとる大半のベビーブーム世代のように中年期にさしかかった人物であったとしても、その人がゲイやレスビアンであれば、世界中に広がるレスビアン及びゲイ・カルチャーの一員になるという、こんな現象は歴史上例のないものである。P19

と筆者もいうように、ゲイは今まで存在しなかった。
ほぼ同じ年齢、同じ社会的な地位の男性もしくは女性が、
同性間で性関係を結ぶのは、近代社会が成熟したから可能になった。
「饗宴」でも、ソクラテスは少年愛を賛美するが、ゲイには論及していない。

 同性愛はいつの時代にも、地球上のどこにでも存在した、といった。
ここでいう同性愛とは、年齢の高い男性が若い男性を愛する形であり、
女装した男性を男性が愛するものである。
古代ギリシャやローマをはじめとして、「挿入する者」と「挿入される者」という区分が重要である。
ある男性が社会的な優位性を保ちながら、挿入者という地位を保つ限り、
性交渉の相手が女性であれ男性であれ、問題となることはなかった。

 性別役割とともに、年齢秩序が貫徹する農耕社会では、高齢者の優位は圧倒的だった。
高齢者の知識は辞書のようなもので、老人は図書館だった。
学校教育がなかったので、文化の伝達は人から人へと、直接的になされた。
しかも、多くの社会では、表向きの文化を担うのは男性だったから、
教育は高齢の男性から若い世代へとおこなわれた。

 学校教育のように、黒板に書いて教えるというのは、きわめて一面的な教育である。
農耕社会ではそんな教育では通用しなかった。
より全人的に、人間的な接触を全体的に使ってなされたから、
教育に肉体関係が入り込むのは当然の話だった。
だから彼らは、男性が父親になれば、次の男性へと教育者の役割を引き継いだ。
成人の男性同士が性的かつ社会的な伴侶として、生涯をともにするといった関係はなかった。

 筆者は、同性愛を次の5つの形に分ける。
 
1.年長者と若者との間に発生する年齢構造化されたホモエロティック関係
2.一方が自身とは異なるジェンダー役割を果たす、ジェンダー転換を伴うホモエロティック関係
3.ある特殊な状況下で許容または要求されて発生する、社会的な同性間の関係
4.19世紀の西欧が作りだした、性的アイデンティティとしてのホモセクシュアリティ
5.20世紀末の西欧に現れたスタイルであり、生涯を通じて自分自身をゲイやレスビアンであると意識的に識別する同性間の対等な関係 P56


上記の分類は正しいであろう。
この分類に従って、筆者は記述を進めていくが、
圧倒的な例示数を示すことができるのは、何といっても1のケースである。
2や3のケースもあるが、アメリカン・インディアンやヒジュラなど、きわめて少数のケースであり、例外だといわれても仕方ない。

 筆者自身がゲイであるために、同性愛を広くとらえたがり、
同性間の愛情関係を何とか認知させようといった、逆の意味での偏見が感じられる。
女装する男性も同性愛だと見なしたり、優位の男性対劣位の女性という構造を無視している。
前近代の性交は、優位の男性と劣位の女性のあいだで行われた。
だから優劣関係が崩れない限り、相手が男性も女性でも変わりがなかった。

 近代にはいると年齢地序が崩壊し、若者でも高齢者と同等の働きが可能になった。
そこで真の同性愛=ゲイは、ホモセクシャルなる名前で産声を上げたが、
当時は農耕社会の縛りが強かったので、ゲイとして認知されなかった。
肉体労働から頭脳労働へと社会的な価値が移動し、性別と性差が分離したので、
性別にこだわらなくても生活できるようになった。
そこでゲイは、カミングアウトできたのである。
(2002.8.2)

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参考:
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
松倉すみ歩「ウリ専」英知出版、2006年
ポール・モネット「ボロウド・タイム 上・下」時空出版、1990
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
伊藤文学「薔薇ひらく日を 薔薇族と共に歩んだ30年」河出書房新社、2001
モートン・ハント「ゲイ:新しき隣人たち」河出書房新社、1982
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996
尾辻かな子「カミングアウト」講談社、2005
伏見憲明+野口勝三「「オカマ」は差別か」ポット出版、2002
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
及川健二「ゲイ パリ」長崎出版、2006
礫川全次「男色の民俗学」批評社、2003
伊藤文学「薔薇ひらく日を」河出書房新社、2001
リリアン・フェダマン「レスビアンの歴史」筑摩書房、1996
稲垣足穂「少年愛の美学」河出文庫、1986
ミシェル・フーコー「同性愛と生存の美学」哲学書房、1987
プラトン「饗宴」岩波文庫、1952
伏見憲明「ゲイという経験」ポット出版、2002
東郷健「常識を越えて オカマの道、70年」 ポット出版、2002
ギルバート・ハート「同性愛のカルチャー研究」現代書館、2002
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
神坂次郎「縛られた巨人」新潮文庫、1991
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985


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