匠雅音の家族についてのブックレビュー    さあ横になって食べよう−忘れられた生活様式|バーナード・ルドルフスキー

さあ横になって食べよう
 忘れられた生活様式
お奨度:

著者:バーナード・ルドルフスキー−鹿島出版会(1985年)    ¥1800−

著者の略歴−1905年ウィーンに生まれ、1935年以来ニューヨークに定住するまでは、世界各地の都市に生活した。中近東、南米の大都市をはじめ、とくにイタリアの諸都市には6年間、そして日本にも2年間住み各地を訪れている。建築家・建築史家でエンジニアであり、1958年ブリュッセル万国博にけるアメリカ館を設計した。さらに文明批評家かつ随筆家としても知られており、その興味の広さと視角のユニークさはその著作にも現われている。
 主な著書には『衣装は近代的か』(Are Clothes Modern?1947)、『裏から見た現代住宅』(Behind The Picture Window,1955)彰国社刊、1960 『人間のための街路』(Street for People,a Primer for Americans,1969)鹿島出版会、1973  『建築家なしの建築』(Architecture without Architects,1964)鹿島出版会、1975  『キモノ・マインド』(The Kimono Mind)鹿島出版会、1973『みっともない人体』(The Unfashionable Human Body,1974)鹿島出版会、1979 『驚異の工匠たち』(The Prodigious Builders)鹿島出版会、1981等がある。

 本書は、食事すること、眠ること、座ること、清潔にすること、入浴することを検討するなかから、生活をより楽しくする視点を探っている。
建築家の筆者は、前記の5つの行動のなかに、日常生活のしぐさや行動様式を、様々な角度から検討する。
それは単なる好奇心からかも知れないが、また建築の設計のためかもしれない。
TAKUMI アマゾンで購入

 建築家というのは、工学技術者であるだけではない。
人間を考え、人間にまつわるすべてを考える。
そして、人間に関係する環境つくりに、それを応用していくのである。
だから、映画も見なければいけないし、旅行もしなければならない。
この筆者も、各地を旅行するだけではなく、イタリアに6年、日本に2年も住んでしまった。

 人間の眠る姿勢は、身体を横たえて水平になる。
食べるときは、椅子に腰をかけるなり、床に尻をつけるなりする。
横になって食べることはできるが、普通はそうしない。
横になってものを食べるのは、行儀の悪いことだとされている。
それが当たり前であるため、誰も食べるときの姿勢を考えたりはしない。
せいぜいが姿勢をよく、といったしつけの言葉がでる程度である。

 聖書には不思議なことが書いてある。
「イエスの胸に寄り添って横になっている」(ヨハネ福音書第13章23節)とは、一体どういったことを意味するのだろう、と筆者は疑問をもった。
そして、次のように書く。

 私たちの文化では、食事をする時に横になるのはだらしなさを意味する。だが、キリストの時代においては、それが中・上流階級の食事の際の習慣であったし、その前後数世紀の間もそうだった。過ぎ越しの祝日(ユタヤ暦の1月4日に行なうユダヤ人の祭り)におけるサービスに対する訓令の中に、その証拠がある。「4つのカップを使う際には、左側に身を寝かせること。それが古代において、寝椅子の上で横になって食事をした自由な貴族の風習だったからだ。」宗教の教義においては是認されたことでも、私たちにはおかしなものにうつる行為がある。キリスト教の宴は、私たちが考える立派な態度というものからは速く離れたものだ。P19

 シーザーの時代にも、同じことがいえる。
彼等も寝ころんで食べたようだ。
どうやらすべての人が、座って食べたわけではないのだ。
現在の私たちは、満腹になればそこで食べるのをやめる。
しかし、この時代の人たちは、一度食べたものを吐いて胃袋を空にして、もういちど食卓についたという。
筆者の目は、生活のすべてに及ぶ。
本書はたくさんの絵や写真、それにカットがはいった楽しい本である。
むしろ子供向きといった趣さえある。
しかし、内容は大変充実している。

広告
 筆者は文明相対論者で、どの文明もそれなり背景をもっており、どれが優れているとは言えないという。
そして、ある文明からある文明へと、進歩したという視点もとらない。

 大人でも身体を完全に制御することもありうるのだという考えは、ペリーの頭には浮ばなかった。つまり、本物の日本食をとっている間、ずっと床に座りつづけていられないということが、(ペリーの考えでは)真の文明化のしるしだった。P55

 長い時間にわたって、床に座りつづけることは訓練が必要である。
日本人は小さな頃から、その訓練をつんできた。
だから畳のうえに正座ができる。
江戸時代に来日したペリー提督は、その訓練を受けていなかった。
だから、彼は畳のうえに正座できなかった。
正座ができないペリー提督は、畳に座れることが文明化されていない証明だと考えたのである。

 文明人は、椅子にしか座らないのだ。
しかし、筆者はそうとは考えない。

 床に座る人々も時には椅子に座るし、同様に椅子に座る人々も一時的には床に座ることに逆もどりする。が、とはいえ両者はお互いにほとんど共存しえない世界に生きている。50cmばかりの高さの違いが、文字どおりに、また比喩的にも、全く異なった遠近感をもたらす。このため、「床生活者」と「椅子生活者」の二つの文化について論じることも、あながちこじつけとは言えまい。しかしながら、この点で私たちは、「床生活者」が原始的な生活をひきずっていると考えがちである。また「椅子生活者」がより優れた生活水準を享受しているとも考えがちである。こうした固定観念から脱してこのことを熟考しなければ、たいした実りはないだろう。P57

 私も、床座と椅子座のあいだに、優劣はないと考える。
しかし、床座より椅子座のほうが明らかに後発的である。
床座は農耕社会という、土地を労働の対象にしていた時代の名残りひきずっている。
椅子座は近代への過程で登場してきたものである。
それはボクが、「近代を準備する者たち」で、展開するとおりである。

 西ヨーロッパにおいて、個人用の椅子が普及するのは、18世紀だといわれている。
それまでは西洋人たちも、床座が普通だったのである。
原始的な生活を価値あるものとみる私は、原始的だといわれてもいっこうに気にならない。
我々日本人が、床座により原始的な生活をひきずっているといわれたら、まったくそのとおりだと答える。
むしろ、床座のほうが歴史は長いのだ、と胸をはりたい。

 排泄にかんしては、西洋人はまったく不便なことをやっていた。
パリのアパートの窓から、汚水を道路へと投げ捨てたのは有名である。
現在でも犬の糞が街中にたくさん落ちている。
本書に、きれいなスープ茶碗のような写真がある。
取っ手がついており、スープ茶碗のようにも見えるが、それにしては少し変だ。

 上部が湾曲しており、だいたいコッペパンのような形をしている。
何だろうと説明を読むと、これは女性用の溲瓶だという。
寒い教会に長居するとき、トイレに行かずにスカートの下で、こっそりと用を足したのだとか。
この美しい溲瓶は好評で、パリからヨーロッパ各地へと広まったとある。
なんということはない、公衆便所がきわめて少なかったのだ。
そして、当時の女性たちはパンツをはいていなかったのだ。
女性がパンツをはくようになるのは、近代になってからだろう。

 わが国でも、宮廷儀式のときは溲瓶ならぬ溲袋をつけたとあるから、ヨーロッパ人を笑えない。
いずれにせよ、ふだん普通にやっている生活の習慣を、もう一度考え直してみることは、とても有意義である。
本書は頭を柔らかくしてくれる。
広告
 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004年
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
青山二郎「青山二郎文集」小沢書店、1987
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004年 
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命 ハッカー倫理とネット社会の精神」河出書房新社、2001
マイケル・ルイス「ネクスト」アウペクト、2002
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001


「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる