匠雅音の家族についてのブックレビュー    かくれた次元|エドワード・ホール

かくれた次元 お奨度:☆☆

著者:エドワード・ホール−−みすず書房、1970年出版、¥2、800−

著者の略歴−著者は、コミュニケーシ∋ン論「沈黙のことば」1959で知られるアメリカのすぐれた文化人類学者.イリノイ工科大学教授を経て、現在ノースウェスタン大学教授.せまい専門意識を打破し、人類学、社会学、言語学、動物学等、超学問分野的(インターデシプリナリー)アプローチの第一人者である。1914年生れ。
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 この本の中心的なテーマは、社会的・個人的空間と、人間によるその知覚との問題である。−P3

と始まる本書に、私は多大な影響を受けている。
本書の紹介は後述するとして、人種や文化によって個体間距離(空間における人間と人間の物理的な距離)に違いあるという指摘は、自分の体験からもまったく肯首できるものだった。

 当初は筆者の言うように、それを人種や文化の違いによるものだと考えていた。
しかし、その後の調査・研究によって、必ずしも人種や文化の違い、つまり地域に固有のものではないと思うようになった。

 一般にイギリス人やアメリカ人は個体間距離が遠く、フランス人・イタリア人・アラブ人となるに従って、近くなる傾向がある。
それは海外を旅行してみれば、すぐに判ることである。
ここからその国独特の空間構成が生まれても来るのだが、その後のアジア旅行によって、これは単に人種の違いだけではないと考えるようになった。

 アジアの農村地帯を歩くと、人は大地に尻をつけて腰を下ろしている。
それが都市に近くなるに従って、低くても椅子のようなものを尻の下に、挟んで座るようになっているのだ。
つまり都市化することによって、人間の身体が大地から離れ始めるのである。
私はこの現象を、「近代を準備する者たち」でいくらか展開しているが、個体間距離もこれと同じ現象ではないかと考えるようになった。

 農村部は人口密度も低く、人間が密集して生活することは少ない。
しかし、近代化が始まると、都市へと人口が移動を始め、ここで密集して生活せざるを得ないことになる。
よりよい生活を求めている人、もしくは農村部を脱落した人が都市に来るのだから、彼等は狭い居住空間にも耐える。
スラムに限らず、初期の都市における居住空間は、どこもきわめて狭い。
ここで人は、短い個体間距離の時代を体験させられるのである。

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 都市化とは言い換えると近代化である。
つまり近代化とは、都市における狭い居住空間から、出発するのではないかと思う。
近代化が進み裕福になるに従って、居住空間は拡大されていく。
近代化が成熟するに従って、人は個体間距離をより多くとるようになっていくのではないか。
そう考えるようになったのである。

 わが国の住まいはウサギ小屋だといわれる。
しかし、現在の平均的な住宅の広さは、西ヨーロッパ諸国とほとんど変わらない。
近代化の成熟が、広い住宅をもたらした。
個体間距離の違いは、地域や文化という空間の違いによるものではなく、近代化という時間の違いによるものだ、というのが私の考えである。

 では、農耕社会ではどうかといえば、近代以前の農耕社会には、そもそも個体間距離の遠近という概念が当てはまらないように思う。
個体というという意識は、自己なる意識の登場があって生まれるものである。
だから、自我の登場以前である前近代では、自他の距離が未分化で密着かつ分離もしていると思う。
そのため個体間距離は、民族による違いが生じないはずである。
それゆえに前近代から近代へは転進できても、近代から前近代へは戻れないのである。

 近代化の問題は、今後も私の主要なテーマだが、そのきっかけを与えてくれたのが本書である。
大きな影響を受けた本である。
下記に掲げた同じ筆者の著書も文化を考える上で参考になった。
最後に裏表紙の紹介文を掲げるのがいいだろう。

 今日の世界では,われわれは.多くの情報源からのデータに圧倒され,きまざまの文化に接触し,世界中いたるところで人びとにインヴォルヴされてゆく。それとともに.世界全体とのかかわりが失われているという意識もしだいに強くなっている。
 本書は,人間の生存やコミュニケーション・建築・都市計画といった今日的課題とふかく結びついている“空間”利用の視点から人間と文化のかくれた構造を捉え,大量のしかも急速に変化する情報を,ひとつの統合へと導く指標を提供するものである。

 ホールは,2つのアプローチを試みる。
 1つは生物学的な面からである。視覚・聴覚・嗅覚・筋覚・温覚の空間に対する鋭敏な反応。混みあいのストレスから自殺的行為や共食いといった異常な行動にかられるシカやネズミの例をあげ,空間が生物にとっていかに重要な意味をもつかを示す。人間と他の動物との裂け目は,人びとの考えているほど大きくはない。われわれは,人間の人間たるところがその動物的本性に根ざしていることを忘れがちである。

 もう1つは文化へのアプローチである。
 英米人・フランス人・ドイツ人・アラブ人・日本人などの,私的・公的な空間への知覚に関して多くの興味ぶかい観察を示し.体験の構造がそれぞれの文化にふかく型どられ,微妙に異なる意味をもつことを示す。それはまた疎外や誤解の源でもあるのだ。
 このユニークな把握は,人間に人間を紹介しなおす大きな助けとなり,急速に自然にとってかわり新しい文化的次元を創り出しつつあるわれわれに,新鮮な刺激と示唆をあたえてやまない。
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参考:
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
青山二郎「青山二郎文集」小沢書店、1987
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004年 
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命 ハッカー倫理とネット社会の精神」河出書房新社、2001
マイケル・ルイス「ネクスト」アウペクト、2002

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