著者の略歴− 近代工業文明が地球を汚染し、環境破壊を続けているといわれて久しい。 本書は、人類の起源まで遡り、人間がいかに自然環境を破壊してきたかを、細かくデーターをあげながら論証している。
産業発展の影で豊かな地球は失われた。自然の蹂躙と生き物たちの殺戮によって成立した近代文明はどこへ行く? と腰巻きには書かれているが、本書の前半3分の1は前近代を扱っている。 筆者によれば、人間の存在自体が自然を破壊するものであり、狩猟採取民でさえ自然汚染をしたという。 自然破壊のすさまじさや環境への影響力という意味では、 もちろん工業社会のほうがはるかに決定的な力を持っているが、 筆者は農業の開始と定住が環境破壊を始めたという。 この視点は凡百の環境保護論者とは違って、じつに鋭いものがある。まさにその通りだろう。 最近よく聞かれる地球に優しいとか、環境を守れという声は偽善的で、私は大嫌いである。 昨今の環境保護論者は、近代がなしてきた正の面をみないで、負の面ばかり強調する。 たしかに工業社会が環境に与えた影響は大きいが、それは必ずしも悪い面ばかりではない。 200万年前に人類は、アフリカに誕生した。 それから199万年のあいだ、狩猟採取を生計の道としてきた。 この間、地球の人口はほとんど増えなかった。 狩猟採取の生活で人間一人が生きていくためには、広大な土地が必要だったから、 人口の増加は歓迎すべきことではない。 そこで、生まれてくる子供を間引いたのだ。 とりわけ腕力に劣る女性は、4割近くが間引かれたと推定されている。 最近の学説では狩猟採集民たちは、健康で文化的な生活をおくっていたとされるが、この当時の平均寿命は40歳前後だった。 移動生活では持ち物も少なく、土地を所有するという観念がなく、 階級制の発生する余地はない。 これは土地所有なる概念を生み、農耕社会では階級の発生をみた。 それから1万年たったのが、地球上の多くの土地における現代である。 農業の開始と定住は同時代に始まり、より多くの人口を養うことが可能になった。 それでもわが国の江戸時代を見ればわかるが、間引きという殺人は続いてきたのである。 わずか200年前、西ヨーロッパのかたすみに産業革命が勃発し、人口が爆発的に増え始めた。 そして現代、地球の人口は60億を数える。 もちろんこれは近代工業が誕生したからである。 近代社会では、少なくとも人命は大切なものとされ、間引くことは禁止される。 いま西側諸国では、さまざまな問題を抱えながらも、餓死する人はいない。 明日の食糧に困ることはなくなり、 衛生面でも改善され、平均寿命は80歳近くまで伸びた。 こうした現象は、第三世界を搾取したからではあるが、人類が初めて到達したものでもある。 それまで飲む水と排水を分けることができなかったのだ。 上下水道を分離する発想が生まれたのは、近代になってからなのだ。 本書が訴える地球環境の大切さはよくわかる。 しかし本書が言うように、人間存在自体が本質的に地球環境に敵対的だとすると、 環境改善のためにはどうすればいいのだろうか。 まさか59億の人間を殺して、残りの1億の人間が、狩猟採取で生きよというわけではあるまい。 残念ながら近代工業社会の矛盾は、前近代へと回帰することによってでは解決されない。 農耕社会は住み易かったというのはウソであり、 前近代では人間が自由だったことはない。 環境汚染の解消は、文明をより進める方向でしかあり得ない。 技術は技術によってしか解決できないのだ。 近代批判は前近代からなしてはならず、 後近代への射程として辛うじて近代批判が成り立つだけである。 本書は事実の指摘としては有意義ではあっても、 環境破壊や地球の汚染を回復するにはまったく役に立たない。
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