匠雅音の家族についてのブックレビュー    緑の世界史|クライブ・ポンティング

緑の世界史 上・下 お奨め度:

著者:クライブ・ポンティング−−朝日選書、1994年
上 ¥1、700− 下 ¥1、600−

著者の略歴−
 近代工業文明が地球を汚染し、環境破壊を続けているといわれて久しい。
本書は、人類の起源まで遡り、人間がいかに自然環境を破壊してきたかを、細かくデーターをあげながら論証している。
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 産業発展の影で豊かな地球は失われた。自然の蹂躙と生き物たちの殺戮によって成立した近代文明はどこへ行く?

と腰巻きには書かれているが、本書の前半3分の1は前近代を扱っている。
筆者によれば、人間の存在自体が自然を破壊するものであり、狩猟採取民でさえ自然汚染をしたという。

 自然破壊のすさまじさや環境への影響力という意味では、
もちろん工業社会のほうがはるかに決定的な力を持っているが、
筆者は農業の開始と定住が環境破壊を始めたという。
この視点は凡百の環境保護論者とは違って、じつに鋭いものがある。まさにその通りだろう。

 最近よく聞かれる地球に優しいとか、環境を守れという声は偽善的で、私は大嫌いである。
昨今の環境保護論者は、近代がなしてきた正の面をみないで、負の面ばかり強調する。
たしかに工業社会が環境に与えた影響は大きいが、それは必ずしも悪い面ばかりではない。

 200万年前に人類は、アフリカに誕生した。
それから199万年のあいだ、狩猟採取を生計の道としてきた。
この間、地球の人口はほとんど増えなかった。
狩猟採取の生活で人間一人が生きていくためには、広大な土地が必要だったから、
人口の増加は歓迎すべきことではない。
そこで、生まれてくる子供を間引いたのだ。
とりわけ腕力に劣る女性は、4割近くが間引かれたと推定されている。
最近の学説では狩猟採集民たちは、健康で文化的な生活をおくっていたとされるが、この当時の平均寿命は40歳前後だった。

 移動生活では持ち物も少なく、土地を所有するという観念がなく、
階級制の発生する余地はない。
しかし、農耕の開始によって余剰生産物が発生し、貧富の差が生まれた。
これは土地所有なる概念を生み、農耕社会では階級の発生をみた。
それから1万年たったのが、地球上の多くの土地における現代である。
農業の開始と定住は同時代に始まり、より多くの人口を養うことが可能になった。
それでもわが国の江戸時代を見ればわかるが、間引きという殺人は続いてきたのである。

 わずか200年前、西ヨーロッパのかたすみに産業革命が勃発し、人口が爆発的に増え始めた。
そして現代、地球の人口は60億を数える。
もちろんこれは近代工業が誕生したからである。
近代社会では、少なくとも人命は大切なものとされ、間引くことは禁止される。

 いま西側諸国では、さまざまな問題を抱えながらも、餓死する人はいない。
明日の食糧に困ることはなくなり、
衛生面でも改善され、平均寿命は80歳近くまで伸びた。
こうした現象は、第三世界を搾取したからではあるが、人類が初めて到達したものでもある。
それまで飲む水と排水を分けることができなかったのだ。
上下水道を分離する発想が生まれたのは、近代になってからなのだ。

 本書が訴える地球環境の大切さはよくわかる。
しかし本書が言うように、人間存在自体が本質的に地球環境に敵対的だとすると、
環境改善のためにはどうすればいいのだろうか。
まさか59億の人間を殺して、残りの1億の人間が、狩猟採取で生きよというわけではあるまい。

 残念ながら近代工業社会の矛盾は、前近代へと回帰することによってでは解決されない。
農耕社会は住み易かったというのはウソであり、
前近代では人間が自由だったことはない。
環境汚染の解消は、文明をより進める方向でしかあり得ない。
技術は技術によってしか解決できないのだ。
近代批判は前近代からなしてはならず、
後近代への射程として辛うじて近代批判が成り立つだけである。
本書は事実の指摘としては有意義ではあっても、
環境破壊や地球の汚染を回復するにはまったく役に立たない。
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参考:
天野郁夫「学歴の社会史」平凡社、2005
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寺脇研「21世紀の学校はこうなる」新潮文庫、2001
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ユルク・イエッゲ「学校は工場ではない」みすず書房、1991
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、
I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
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野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
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G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
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E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


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