著者の略歴−1952年福岡生れ。東大法学部卒。'92年、文部省初等中等教育局職業教育課長に就任、中学での業者テストと偏差値による進路指導を追放し、ミスター偏差値の異名を取る。広島県教育長、生涯学習振興課長を経て、'99年から大臣官房政策課長。文部省のスポークスマンとして、精力的に教育改革に取り組んでいる。愛称はワツキー。NPO日本映画映像文化振興センターの一員でもある。 やっぱりというか、絶望というか、文部省はなくしたほうが良い。 それが読後感である。 個々の提言が、良いとか悪いというのではない。 教育がこれからどうあるべきかという、スタンスがまったく分かっていない。 工業社会的な発想のままである。 文部省を前提にする限り無理もないのかもしれない。
今までは、すべて学校まかせだった。 学校がすべての教育を担ってきた。 それはいかん。 元来、教育を担ったのは親と家庭だった。 戦後は、学校と家庭と地域が3つ巴の関係だった。 それが、今後は地域のなかに学校と家庭が含まれるのだ、という。 学校にばかり頼るのではなく、地域も家庭も教育に参加しよう。 これからの学校はコミュニティーセンターだという。 こうした発言は、時代が分かっていないのだとしか言いようがない。 社会がどんどん個別していく。 地域といった共同体にはもう頼れない。 そこで教育をどうするか、と問題はたつのである。 しかも筆者は、よく学校を訪問するという。そのときの風景が記されている。 私も仕事柄しばしば学枚訪問をします。(中略)参考までに、私のやり方をご紹介します。 玄関の横には、決まって事務室があります。ここは外から入ってくる人にとって学校の「顔」です。顔がどうなっているかは大切なことです。そこでまず、事務室のドアを開けて、「どう、みんな元気ですか?」と事務職員に声をかけます。枚長が迎えに出てくるので、一緒に校長室に行きはしますが、そこにいるのは2〜3分です。せっかくいれてくださったお茶をいただくのもそこそこに、すぐ学校の中を見て回ります。その中で必ず保健室に行って、部屋の様子を見、養護教諭の話を開きます。P71
筆者のなかには、管理する人間と管理される人間の2つしかない。 管理するほうから見る資質が染みついて、 人間が生の存在であるということに気がついていない。 そして、人間関係とは常に相互関係であることに気づいてない。 官僚を長くやっていると、こうした視点になってしまうのだろう。 外部の誰からもチェックを受けず、 一度官僚になってしまえば、一生その地位に座っていることができる。 こうした立場が、眼力を衰えさせるに違いない。 筆者が教育改革を計画するのではなく、外部の人間を文部省へ入れればいいのだ。 そして、文部省の人間を外へだせばいいのだ。 政策決定は官僚がするのではなく、民間人がやるべきなのである。 官僚はあくまでそれを補佐すべきであって、官僚が政策を立案・決定する構造が間違っている。 文部官僚が闘えば闘うほど、事情は硬くなり流動性がなくなる。 本書は<期待される人間像>と、まったく変わっていない。 教育勅語でも、期待される人間像でも、それなりに良いことを言っている。 言っている中身が良い悪いではない。 管理者が被管理者へ、宣託する構造そのものが駄目である。 管理社会的発想が駄目なのだ。 本書のなかで、筆者は自分の体験を語って、本書を正当化している。 そして、自分自身の日常を語っている。 映画を月に10本以上見るとか、漫画を読むとか、もう何をかいわんやである。 1952年生まれの人間の時代とは、まったく時代が違うことを理解すべきである。 21世紀には、学校がなくなっているかもしれないのに、筆者は学校という枠内で考えている。 脳天気楽なものである。
参考: 下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993 奥地圭子「学校と社会・子どもとカリキュラム」講談社学術文庫、1998 広岡知彦「静かなたたかい:広岡知彦と憩いの家の30年」朝日新聞社、1997 クレイグ・B・スタンフォード「狩りをするサル」青土社、2001 天野郁夫「学歴の社会史」平凡社、2005 浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005 佐藤秀夫「ノートや鉛筆が学校を変えた」平凡社、1988 ボール・ウイリス「ハマータウンの野郎ども」ちくま学芸文庫、1996 寺脇研「21世紀の学校はこうなる」新潮文庫、2001 桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 ユルク・イエッゲ「学校は工場ではない」みすず書房、1991
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