匠雅音の家族についてのブックレビュー    ハマータウンの野郎ども|ボール・ウイリス

ハマータウンの野郎ども お奨度:

著者:ボール・ウイリス−−ちくま学芸文庫、1996 ¥1、450−

著者の略歴−イギリス・バーミンガム大学現代文化研究センター研究員、ウォルバーハンプトン・ポリテクニック客員教授を歴任。フリーランサーとして若者文化の調査研究を続ける。本書のほかに『プロフェイン・カルチャー』『ユース・レヴユー』などの著作がある。
 とんでもないタイトルが付いているので、どんな内容かと不安かもしれないが、
中身はいたって真面目である。
原題は、「LEARNING TO LABOUR−How working class kids get working class jobs」で、 本国では1977年に出版されている。
労働者階級の子供たちが、なぜ学校文化に反抗し、労働者階級に憧れていくのかを、体験的にまとめたものである。
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 イギリスの教育制度は、パブリック・スクールなどがわが国でも有名である。
しかし、多くの子供たちが通う普通の学校は、あまり知られていない。
本書が書かれた当時、小学校を卒業すると4つのコースに別れた。
総合制中学、グラマー・スクール、テクニカル・スクールそして、本書が扱うセカンダリー・モダン・スクールである。
ここでは、義務教育を終えると、そのまま就職する前提である。
そうした中学が、4062校中に、1002校ある。
本書はいわばオチコボレといっても良い、職業進路校の物語である。

 中産階級の子どもたちは、総じて、その階級にふさわしい職業を獲得する。そのとき不可解なのは、他の階級の人びとがなぜそれを容認するのかということだ。一方、労働階級の子どもたちは、総じて、労働階級の職務におもむいてゆく。この場合に不可解なのは、なぜみ ずから進んでそうするのかということである。P13

という問題意識に本書は始まって、階級が引き継がれていく構造を解明する。
わが国では階級が存在しないことから、上昇志向がが激しく、成り上がることが可能だという常識がある。
しかし、それもどうなのだろうか。
本書を読むと、そうばかりも言っていられない感じがする。

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 学校は工業社会の労働者を生みだすためい、近代になって生まれたものである。
しかし本書は、現代の学校文化が、労働者階級に浸透しない状況を描く。
精神労働と肉体労働が、また男性と女性の役割が分断され、
学校がすすめる個人主義を拒んでいる。
人間社会が「手足でかせぐ」住人と「頭でかせぐ」住人に別れていること。
また、男性の身勝手な性的な欲求を肯定し、女性は男性にあわせること、
といった労働者階級の倫理が、学校文化と衝突するという。

 肉体労働は家父長の社会的優位と結合し、精神労働は家父長に服従すべき女性の社会的劣位と結合する。この文脈においては、肉体労働こそが、その現実的内容がそうである以上に、男性的な威厳を帯びた職域として観念されるのである。P349

 すでに肉体労働者という存在が、強固な階級として存在すれば、
彼等が独自の文化を持つことは当然だろう。
ここでは労働に対して、自我の全的な没入が拒絶されているという。
肉体労働者は、肉体労働それ自体で自己の尊厳を保つのではないのは了解する。
しかし肉体労働が、今後どのような経路を辿るかは自明である。
肉体的な労働には生の実感がなくなるどころか、肉体労働自体が消滅する。
その時にも、肉体労働者という階級は存在するのだろうか。

 本書はすでに古い事象を扱っているに過ぎないが、
それでも現実を見るという原則はしっかりしており、とても面白く読んだ。
海外のこうした図書が上梓されていながら、わが国での子供研究を見ると、なんだか心細い感じがするのは私だけだろうか。
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参考:
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
奥地圭子「学校と社会・子どもとカリキュラム」講談社学術文庫、1998  
広岡知彦「静かなたたかい:広岡知彦と憩いの家の30年」朝日新聞社、1997
クレイグ・B・スタンフォード「狩りをするサル」青土社、2001
天野郁夫「学歴の社会史」平凡社、2005
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
佐藤秀夫「ノートや鉛筆が学校を変えた」平凡社、1988
ボール・ウイリス「ハマータウンの野郎ども」ちくま学芸文庫、1996
寺脇研「21世紀の学校はこうなる」新潮文庫、2001
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ユルク・イエッゲ「学校は工場ではない」みすず書房、1991
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005

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