著者の略歴−イギリス・バーミンガム大学現代文化研究センター研究員、ウォルバーハンプトン・ポリテクニック客員教授を歴任。フリーランサーとして若者文化の調査研究を続ける。本書のほかに『プロフェイン・カルチャー』『ユース・レヴユー』などの著作がある。 とんでもないタイトルが付いているので、どんな内容かと不安かもしれないが、 中身はいたって真面目である。 原題は、「LEARNING TO LABOUR−How working class kids get working class jobs」で、 本国では1977年に出版されている。 労働者階級の子供たちが、なぜ学校文化に反抗し、労働者階級に憧れていくのかを、体験的にまとめたものである。
イギリスの教育制度は、パブリック・スクールなどがわが国でも有名である。 しかし、多くの子供たちが通う普通の学校は、あまり知られていない。 本書が書かれた当時、小学校を卒業すると4つのコースに別れた。 総合制中学、グラマー・スクール、テクニカル・スクールそして、本書が扱うセカンダリー・モダン・スクールである。 ここでは、義務教育を終えると、そのまま就職する前提である。 そうした中学が、4062校中に、1002校ある。 本書はいわばオチコボレといっても良い、職業進路校の物語である。 中産階級の子どもたちは、総じて、その階級にふさわしい職業を獲得する。そのとき不可解なのは、他の階級の人びとがなぜそれを容認するのかということだ。一方、労働階級の子どもたちは、総じて、労働階級の職務におもむいてゆく。この場合に不可解なのは、なぜみ ずから進んでそうするのかということである。P13 という問題意識に本書は始まって、階級が引き継がれていく構造を解明する。 わが国では階級が存在しないことから、上昇志向がが激しく、成り上がることが可能だという常識がある。 しかし、それもどうなのだろうか。 本書を読むと、そうばかりも言っていられない感じがする。
しかし本書は、現代の学校文化が、労働者階級に浸透しない状況を描く。 精神労働と肉体労働が、また男性と女性の役割が分断され、 学校がすすめる個人主義を拒んでいる。 人間社会が「手足でかせぐ」住人と「頭でかせぐ」住人に別れていること。 また、男性の身勝手な性的な欲求を肯定し、女性は男性にあわせること、 といった労働者階級の倫理が、学校文化と衝突するという。 肉体労働は家父長の社会的優位と結合し、精神労働は家父長に服従すべき女性の社会的劣位と結合する。この文脈においては、肉体労働こそが、その現実的内容がそうである以上に、男性的な威厳を帯びた職域として観念されるのである。P349 すでに肉体労働者という存在が、強固な階級として存在すれば、 彼等が独自の文化を持つことは当然だろう。 ここでは労働に対して、自我の全的な没入が拒絶されているという。 肉体労働者は、肉体労働それ自体で自己の尊厳を保つのではないのは了解する。 しかし肉体労働が、今後どのような経路を辿るかは自明である。 肉体的な労働には生の実感がなくなるどころか、肉体労働自体が消滅する。 その時にも、肉体労働者という階級は存在するのだろうか。 本書はすでに古い事象を扱っているに過ぎないが、 それでも現実を見るという原則はしっかりしており、とても面白く読んだ。 海外のこうした図書が上梓されていながら、わが国での子供研究を見ると、なんだか心細い感じがするのは私だけだろうか。
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