匠雅音の家族についてのブックレビュー     男女平等への道|古舘真

男女平等への道 お奨度:

著者:古舘真(ふるだて まこと)明窓出版、2000年   ¥1、300−

著者の略歴−1964年生まれ。室蘭工業大学工学部建築工学科卒業後、轄ヲr組に入社。建築工事現場監督を2年間経験のあと、仮設構造物の設計、構造計算に携わり、人工知能を駆使しての建物診断システムの開発を担当。建物関係のみならず、経済などに関する専門的な知識を得る。1997年、轄ヲr組退社。著書:「ゼネコンが日本を亡ぼす」「『NOといえる日本』への反論」明窓出版

 女性論のブームはすぎたとはいえ、
いまでも著名な人たちの本は、大きな書店に平積みになっている。
男女平等にたいして男性からの発言として、
本書は上梓されてすでに2年近くたつのに、女性サイドから語られることはない。
主流の意見に少しでも批判的な発言は、ほとんど無視される常が、ここでも横行している。
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 しかし、時代は確実に進んでいる。
ボクが「性差を超えて」を上梓したのは1992年である。
当時は類書がまったくなかった。
それを思うと、本書が日の目を見たのすら、隔世の感がある。
和製フェミニズム追従の男性学者はたくさんいるが、
彼らはほとんど論ずるレベルに至ってない。
本書は男性が男女平等について発言しただけではなく、
自分の言葉で語ったという意味で、時代の進歩を感じる。
 
 農耕社会や初期の工業社会までは、男性が社会的な優位者とされるのに必然的な理由があったが、
情報社会になると女性の劣性は無化され、男女は平等になると私は書いた。
そのときには男女平等を主張したので、女性フェミニストが支持してくれると、愚かにも思っていた。
しかし、和製フェミニズムの女性たちからは、反発と無視があっただけだった。

 本書もわが国の女性フェミニストとは、折り合いが悪いだろう。
そして、男女を問わずフェミニズム学者なる者からは、無視されるだろう。

 日本の社会には、「男は仕事、女は家庭」という発想が根強く残っている。これは間違いなく性差別思想だ。直ちに改めなければならない。しかし、このような男女の役割分担について、「男性が得して、女性が損している」という主張についても賛同できない。P18

 現在の日本社会が抱える性差別の問題は役割が性別で固定されている事が問題なのであって、どちらがより損をしたかという議論をしても無意味だ。今の枠組みで、男性の中にも女性の中にも損をしている人がいるのだ。家事をやりたい男性は主夫となり、働きたい女性は外で働いて家族を養なってもよいと思う。P21


 と本書は言うが、まったくそのとおりである。
工業社会まで、女性が社会的な劣者として、低く扱われてきた。
それは事実だが、今後女性が優位者になるわけではない。
フェミニズムという女性解放の思想も、女性が抑圧されてきたから、これからは抑圧する方にまわる、とは言っていない。
男性も女性も同じ社会的な存在となるだけである。 

 確かに現在は、まだ女性差別がまかり通っている。
しかし、女性差別が顕在化するのは、女性が男性と同じ社会的な活動をしようとした場合であって、
専業主婦という生き方を選べば女性差別はない。
 

 女性が社会的な労働者たらんとしたときに、それを妨げる障害がたくさん登場する。
その障害を女性差別というのであって、
専業主婦はむしろ手厚く保護されており、決して不利益を被ってはいない。
むしろ専業主夫を選べない男性は、その点で差別されているとすら言ってもいい。

 問題は女性が家庭をでて、働こうとするときである。
働く女性が、自己の意思を実現できないときに、差別が顕在化するのであって、
専業主婦はむしろ女性差別を支える者であり、働く女性の敵である。
働く女性と専業主婦は利害が対立するので、
女性一般という性別で、女性差別の基準を設定するのは無理である。
女性が差別されているというのは、和製フェミニストがいう意味では、一面の真理でしかない。
 
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 女性が性差別の問題について考える場合に重要なポイントは、男女平等の社会を目指すのと女性に対する差別や偏見に反対するのとでは意味あいが大きく違ってくるという点だ。男女平等運動は女性に対する差別や偏見だけでなく、男性に対する差別や偏見も無くす事を目指している。しかし、女性に対する差別の反対という事は、男性に対する差別や偏見については必ずしも配慮がなされていない事がおうおうにしてある。P78

 わが国の女性運動は、上野千鶴子氏をはじめとして、マルキシズムの影響を受けた女性が担ってきた。
そのために、男女の問題を階級に置き換えて語りたがり、思考がきわめて硬直してしまった。
現在フェミニズムにかかわる女性の平均年齢は驚くほど高く、
筆者がなげく<おっさん>たちよりも高齢かも知れない。
若い女性や働く女性は、今やフェミニズムに距離をとるほうが多いだろう。

 筆者は甘ったれた女性や馬鹿OLには厳しいが、女性の能力は男性以上にかっている。
優秀な女性がいることも、充分に認めている。
そして、今後の社会は、男性とともに女性が担っていくことを、当然としている。
と同時に、男性にも批判の目を向ける。

 フェミニストに対する男性の態度は大きく分かれている。これまで男性からなされた代表的な主張としては、「男女は同質ではないのだから、フェミニストの主張には無理がある」という保守派の頑固オヤジの意見が多い。彼らはフェミニストを毛嫌いし、彼女たちの主張を真っ向から否定している。彼らはフェミニストに対して「権利ばかり主張して、責任を果たさない無責任な連中だ」と思い込んでいる。
 それに対して、最近はフェミニストの意見に同調する男性も見られる。この人たちの意見は、フェミニストの主張を全面的に肯定し、むしろ男性の側の態度を糾弾している。「女性が苦しんでいるのは、旧態依然とした男どもが悪い」、「男も育児や家事を手伝うべきだ」というような主張が聞かれる。P151


 筆者はもちろん頑固オヤジの立場は支持しない。
そして、フェミニストに同調する男性も支持せず、第3の道を進もうとしている。
和製フェミニズムに同調する男性は、学者に多いのだが、彼らもまた現実が見えていない。
今後は家事労働が社会的な労働へと代替されていくから、
ゲスタ・エスピン=アンデルセンが「ポスト工業社会の社会的基礎」で主張するように、
女性の解放は女性の社会参加であって、男性の家事参加ではない。

 和製フェミニズムに反発するか迎合する人が多いなかで、
筆者のように自分の体験から、男女平等を考えるのは貴重な存在である。
男女差別の解消=男女平等は、女性のためだけではなく男性のためでもある、
という筆者の主張に熱い賛同の声を送る。
やっと見えてきた後続ランナーに、大いに期待したい。

 しかし、本書は男女平等を主張するあまり、
女性抑圧の現実的な事実に目が届かず、
差別の歴史を隠蔽しているという批判がでるだろう。
また、女性へのいたわりがないとか、男性の奢りだといった声があがるかも知れない。
そういった意味では、筆者の発言と筆者が批判する対象は、
同じ次元で論争しているに過ぎない。
一種の水掛け論である。

 筆者が自己の論を正当だと主張するためには、
批判する対象を相対化できる次元を獲得しなければならない。
和製フェミニストたちの論を批判するだけではなく、
新たな次元での論を展開しないと、互いに罵倒しあうだけになる。
本書は、個人的な体験から出発しながら、結局個人的な感想にとどまっている。
今後は、個人的な体験を語ることから、一般性をもった論理へと発展させて、
より広汎な説得性を高めて欲しい。      
(2003.2.14)
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002年
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
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黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001

奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009


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