匠雅音の家族についてのブックレビュー    モダンガール論|斉藤美奈子

モダンガール論 お奨度:☆☆

著者:斉藤美奈子(さいとう みなこ)   文春文庫  2003年 ¥657−

著者の略歴−文芸評論家。1956年新潟市生まれ。成城大学経済学部卒業。児童書等の編集者を経て、94年『妊娠小説』(ちくま文庫)でデビュー。2002年『文章読本さん江』(ちくま文庫)で第1回小林秀雄賞受賞。他の著書に『紅一点論』『趣味は読書。』(以上、ちくま文庫)、『読者は踊る』『あほらし屋の鐘が鳴る』『文壇アイドル論』『麗しき男性誌』(以上、文春文庫)、『それってどうなの主義』(白水社)、『たまには、時事ネタ』(中央公論新社)などがある。
 近代における女性のあり方をめぐって、丁寧に書かれた本である。
女性史のうえでは必読であろう。
婦人解放運動の力を賛美する進歩史観や、性差別を訴える抑圧史観をとらず、筆者は欲望史観で書くという。
まずこのスタンスが良い。
筆者のいう進歩史観や抑圧史観は、歴史を後からみて語るものだが、欲望史観は歴史とともに内在視できる。
だから、本書では生きた歴史になっている。
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 モダンガールとは「近代女性」を意味したもので、最初は、「不良娘」の代名詞だったという。
筆者は、自分が不良娘だと自覚しているようで、本書は不良娘へエールを送っている。
そして、女の子の出世には、2つの道があると始まる。
自分自身が出世していく道と、出世した男性の妻になる道が、女の子にはある。
それにたいして、男の子は、自分自身が出世する道だけだ。

 江戸時代までは、誰も出世など望んでいなかった。
生まれが身分を決めたので、庶民には出世の道もなかった。
明治になると身分制が崩れ、社会の階梯を登ることが可能になった。
とりわけ男性には、教育を受けることが出世につながったので、学校へ行くことが一般化した。
しかし、明治も最初のうち、女性には出世の道は閉ざされたままだった。
 
 明治も中頃になると、女性も脚光を浴びるようになる。
そして、良妻賢母教育を旨とした女学校ができはじめる。
少数だが、女性も学校へ通うようになった。
しかし、当時の日本は貧しかった。
女性たちの大半は、農家の嫁、女工や女中などになるほかはなかった。
自立した職業婦人になるのは、教員など本当に少数だった。
筆者は先進的な女性とともに、主流を占めた女性たちを中心に論じる。
とにかく、男女ともに貧乏だったのだ。

 1920年(大正9)の労働女性を360万人として、内訳は次のようになる。
     農業労働者       131万6000人
     工場労働者(女工)    87万2000人
     家事使用人(女中)    68万5000人
     女子事務員(職業婦人) 16万8000人    P80


という数字から、若い女性が働くということは、農家を出たら、女工か女中になるかしかなかった。
ここから女性が抑圧されたという話になる場合が多いが、筆者はじつに冷静に筆をすすめる。
      
 女工も女中も、たいていは3〜5年で勤めをやめ、最終的にはどこかのだれかと結婚した。だが、問題は結婚相手だ。戦前の結婚は個人ではなく家どうしの結びつき。当然相手も似たりよったりの境遇、家柄、階級の男になる。したがって、あなたの選択は二つしかない。都市の貧乏人と結婚するか、故郷に帰って「農家の嫁」になるかである。
 結婚ぐらいで辛い労働から解放されようったって、そうは問屋がおろさない。こんなことなら、自分のことだけ考えていればよかった娘時代のほうが、ず−つとマシだったわよっ! というようなものである。P128


 戦前は、上流階級は別として、誰もが必死で働かなければ、生きていけなかった。
子供から大人まで、一家総出で働いたのが、紛れもない事実であった。
性差別を云々する前に、階級差別がひどくて、多くの人たちは貧乏だった。
だから、めぐまれた職業婦人の家庭生活など、大多数の女性には無縁のものだった。
 
 いつの時代にも、夢を売る商売はあるもの。
女性向けの雑誌が次々に発刊された。
階級差別による貧乏にあえぐ庶民の女性には、日々の生活に負われて性差別に思い至らなかったが、豊かな階級の女性たちには性差別が関心事になっていた。
1911年(明治44)に「青鞜」が発刊される。

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 だが意外にも、発足当時の『青鞜』は、社会派のフェミニズム雑誌ではなく、才能のある女流作家の発掘を目的とした、お嬢さまチックな文芸同人誌だったのだ。らいてうと親交のあった山川菊栄は、初期の『青鞍』は<ロマンティックで貴族的、高踏的なにおい>があったといい、印刷所が同じで紙や活字や装丁が似ていたため<その前年に創刊された「白樺」としばしば混同され、きょうだい雑誌のような感さえありました>と述べている(『日本婦人運動小史』)。
 さらにいうと、らいてうは自らの強い意志でこれを創刊したわけでもじつはなかった。彼女の才能を見込んで「女だけの雑誌」の創刊をすすめ、そのコンセプトをととのえたのは評論家の生田長江だ。『青鞜』の成功は彼のジャーナリスティックな企画力に負うところが大きい。P177


 戦前は、まだまだ大家族が主流で、核家族を是とする人は少数だった。
しかし、近代化とは核家族化である。
国を挙げて近代化にすすむなか、女性の理想像は良妻賢母になることだった。
女性たちのへの教育も、男性が働いてもちかえった給料で、いかに家庭を円滑に運営させるものか、というものだった。

 日本が戦争への道を進むとき、女性たちも戦争から無縁ではいられない。
戦争への道が、近代化の結果だとすれば、近代的な女性たちのほうが戦争に馴染みが良い。
軍部に引きずられて戦争にのめり込んだという俗説を、筆者はきっぱりと否定する。 

 「15年戦争」は1931(昭和6)年の満州事変(柳条湖事件)からはじまる。戦時色が強まったのは、1937(昭和12)年7月7日の日支事変(廬溝橋事件)からである。対中国戦の勝利を告げるこの報を、日本国民は熱狂的に歓迎した。
 証拠をひとつ、おみせしよう。「進歩的」な女性知識人の面々が、非常時来たるの報にどんな反応を示したか。左の文章は、羽仁もと子と奥むめおが、「日支事変」勃発直後、それぞれ自分が主宰する雑誌に載せたアピールの一部である。P195


といって、戦争への協力を訴える文章を引用している。
そして、その後には、もっと過激な市川房枝の総動員賛歌を並べる。
良妻賢母教育が、女性を家庭に閉じこめていた。
それが戦争で、男性は戦場へいった。
後方支援という形で、女性は職場へとなり、女性の生きがいは大きく広がった。
進歩的な女性たちは、羽仁もと子や市川房枝にかぎらず、高群逸枝から平塚らいてうまで、全員が翼賛運動に参加していった。
 
 私はこんなふうに思う。当時の女性は、もはや唯々諾々と人の意見に従うだけの籠の鳥ではなかった。みんな新しがり屋で前向きで上昇志向の強いモダンガールだった。だからこそ「新体制」に順応し、あっさり軍国婦人や軍国乙女に移行できたのではなかっただろうか。
 進歩的な女性知識人が、率先して戦争協力に走った理由も、そう考えれば納得がゆく。インテリ女性は、そのときどきの「新体制」にいち早く反応し、いつも張りきっちゃうのだ。P218


 しかも、彼女たちは戦後になっても、戦争責任をまったく感じることはなかった。
そのまま女性運動の先頭に立ったことは周知であろう。
本書からは少し脱線するが、現在の大学フェミニズムがやはり同じ道を歩いており、ファッシズムノ露払い役を果たしていると感じるのも、筆者なら共感してくれるのではないだろうか。

 核家族制度を前提とする限り、いかに女性解放を訴えても、二律背反である。
それは戦後の高度経済成長ではっきりと検証された。
筆者は若い女性たちに、エールを送りながら次のように言っている。

 戦前戦後を通じて女の子たちをとらえた出世の夢は、「男は外/女は内」という性別役割分業社会の上に成立したものである。
 である以上、職業人と家庭人という二つの道は、好きなほうを自由に選べる「選択肢」ではなかったのだ。若い間は職業婦人→適齢期をすぎたら家庭婦人というように、仕事と家庭は年齢で棲み分けられてきた。あるいは、無産階級は労働婦人/中産階級は家庭婦人というように、それはもともと階級(階層)で棲み分けられてきた。
 仕事と家庭が抵触しないように作られたシステムである以上、両方をとろうとすれば必ず壁にぶちあたる。でも、誤解してはいけない。彼女たちは性別役割分業イデオロギーに屈して、いやいやOLや主婦になったのではない。望んでそのコースに乗り、行けるとこまで行ったのだ。P300


 その結果、庶民の生活水準は上がって、男性のみならず女性も、豊かな生活を享受できるようになった。
しかも、他の先進国とはちがって、女性たちが家計を握ったのだ。
筆者の筆が鋭いのは、女性たちがいやいやOLや主婦になったのではない。望んでそのコースに乗ったのだという点だ。
望んで軍国女性になったと同様に、すすんでOLや主婦になったのだ。
望んでやらなければ、こんなに豊かにならないし、戦争などできない。
貧しい時代には性差より階級差が切実で、豊かな社会になって、男女という性差に目がいくのだ。
それを筆者はよく判っている。

 少なくとも、今までのところ核家族と性別役割は、それなりにうまく機能してきた。
しかし、今後は核家族は機能不全になっていく。
筆者もそれは感じているようで、文庫版の補足で、<ポストモダンガールの時代を生き抜くために>という文章を付け加えている。
そのなかで、出世とはちがうモチベーションで、男女ともに一生続けられる仕事を見つけろ、と言っている。
この結論にも大賛成である。
また、本書からは少し外れるが、筆者がジェンダー論に移行しないで、いまだにフェミニズムに拘っているのも正しいと思うし、大賛成である。
当サイトもジェンダー論を語らずに、フェミニズムを熱く語っている。
文句なしに星を2つ献上する。    (2009.5.19)
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参考:
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005年
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫  2008年
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994

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