匠雅音の家族についてのブックレビュー    フリーターにとって「自由」とは何か|杉田俊介

フリーターにとって「自由」とは何か お奨度:

著者:杉田俊介(すぎた しゅんすけ)   人文書院、2005年  ¥1600−

 著者の略歴− 1975年、神奈川県川崎市生れ。法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了(日本文学専攻)。卒業後アルバイトを転々とし、3年前より、川崎市で障害者サポートNPO法人勤務。現在、ヘルパーとして障害者福祉の仕事にあたる。批評誌『エフェメーレ』主宰。
ホームページ「批評的世界」http://www5c.biglobe.ne.jp/~sugita/
メールアドレス sssugita@hotmail.com


 身につまされながら、本書を読了した。
筆者とは年齢がまったく違い、団塊の世代の私は、筆者が敵と見なしている年齢である。
にもかかわらず、本書に同感してしまう。
会社勤めをしない辛さを、嫌というほど教えられてきた。
仕事がなくなることに怯え続けた私も、いわばフリーターだったのである。
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 人生はお金がすべてではない。
しかし、お金がないと生きていけない。
しかも、ある年収以上ないと、まっとうな生活ができない。
衣食足って礼節を知るのであり、
衣食住に事欠くようでは、無力感に襲われ、性格もギスギスしてくる。
フリーターを自称する筆者であるだけに、切迫した状況が良く伝わってくる。

 若い時代、多くの人がアルバイトを体験する。
多くの場合、アルバイトの収入で、生活を維持するのではなく、生活費の足し前に過ぎないだろう。
だから時給800円でも、収入があるだけで満足できる。
しかし、アルバイトだけで生活するとなると、事情はまったく違ってくる。

 1日8時間働いて、日給が6400円。
1ヶ月の給料は、25日働いて16万円である。
1年では192万円となるが、これでは300日も働くことになる。
週休2日とすれば、年収は150万円となる。
何歳になっても、アルバイトである限りこの収入は変わらない。
しかも、会社の都合で簡単にクビになる。フリーターの将来は暗い。

 職人だった時代、私は日給だった。
1日でも休めば、給料が減る。
いまは職人にとって良い時代になった。
怪我をしても労災がでるし、収入もそれほど低くはない。
しかし、職人の収入の基本構造は、まったく変わっていない。
たとえ2万円の日給を取っても、年間250日労働とすれば、年収500万円である。
これが最高額であり、何歳になっても500万円以上にはならない。
しかも、この中から自分持ちの道具代をだすのだ。

 筆者は、フリーターが次のようにして生まれたという。

 フリーター階層の形成と増加は、もともと高度成長期に完成した日本型の男女分業システム−男性大企業被雇用者+専業・パート主婦というカップルへの手厚い保護−と不可分だった。即ち、高度成長期には主に中高年女性が占めたパート労働のポジションを、1990年代以降のバブル崩壊と長期デフレ不況に伴い、若年の安価で機動的な男女労働者がなだれ落ちるように占めていった。
 総務省の『労働力調査特別調査』によると、アルバイト・パート出現率(雇用者数を100とした時のアルバイト・パートの比率)は、90年代の景気後退を期に急速に上昇する。P64


 企業は利益追求のため、より低賃金で使える人間を雇おうとする。
それは自然な行動だが、労働者には限りがある。
労働者は無限にいるわけではない。
だから、最低賃金を保証して、労働者の再生産を計らないと、企業は存続できなくなる。
それが社会福祉を必然とさせた。
そして、同一労働には同一賃金を支払わないと、近代企業の秩序が維持できないはずだった。

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 我が国は、同一労働同一賃金ではない。
同じ労働でも身分によって時間単価が違う。
同じ労働には同じ賃金を支払わないと、労働倫理が維持できないはずだが、
身分の違いによって差別しても許される。
だから、フリーターを特殊な労働者として固定し、一種の身分とした。
これは典型的な分裂支配であり、きわめて前近代的な雇用形態である。

 近代社会では、有効需要がないと企業は存続できない。
有効需要を支えるのは、大衆である。
高給を取る一握りのエリート労働者と、大多数のフリーターという構造では、
近代社会は存続し続けることはできない。
にもかかわらず、企業はもちろん政府は何もしない。
現在は、親に依存して辛うじて生活を続けているフリーターだが、親はいつまでも生きているわけではない。

 (家族を最後の拠り所とする)こんな「恩恵」(?)もじきになくなる。時と共に、親も子も高齢化と貧困化が進むから。家族福祉という最後の安全ネットをはぎとった時、本当のフリーター問題がむき出しになる(それはその時もう「フリーター」と呼ばれないかも知れないが)。さらなる後発者=子の世代にとっては、もはや親の現役フリーター世代も貧相に痩せ衰え、依存対象ではなくなるだろう。P146

 筆者の恐れるとおりである。
フリーターとは、産業の転換が必然的に生んだものだ。
労働の質的変化が、フリーターを生んでいるのだ。
肉体労働が支配的だった時代、多少の知恵遅れでも労働の場があった。
しかし、情報社会では知恵遅れでは職業がない。

 かつては文字が読めなくても、職人仕事はできた。
しかし、現在では仕様書や取扱説明書など、書類が山のようにあり、
文字が読めないと職人仕事ができない。
私の知り合いは、構内運転手で運転は上手いのに、とうとう運転免許が取れなかった。
彼は平仮名しか読めなかったから、学科試験に受からなかったのだ。
今後、こうした傾向はますます強まっていくだろう。

 肉体労働から頭脳労働への転換が始まっている。
にもかかわらず、相も変わらず物作りを提唱し、政府は新たな教育をしようとしない。
工業社会から情報社会へと転じていながら、家族福祉に頼って政府は何の施策もしない。
家族制度も工業社会の核家族を温存しようとしている。
産業構造と社会の制度とが齟齬をきたすと、その狭間で苦しむ人が大量発生する。

 本書は、フリーターを個人の問題ととらえる傾向があり、
それが世代間競争へと視点を移させている。
しかし、問題は個人にあるのではない。
工業社会への転機は、どこの国でも、スラム街に住む貧乏人を大量発生させた。
情報社会への転機は、フリーターを大量発生させるのだ。
労働者は有限である。
労働者を再生産しないと、社会は存続できない。

 産業構造がフリーターを生み出しているのだから、
フリーターに対応するのは、個別企業にできることではない。
フリーターという労働者が、まっとうな生活ができる賃金を確保しても、
なお企業が存続できる仕組みを作らないと、我が国の将来はない。
景気が上向き、問題が見え始めた今こそ、フリーターを労働者として、きちんと位置づける絶好の時期である。

 本書は大企業中高年労働者を、喰い逃げ世代として敵視しているが、
彼等とて企業人間に成り下がった犠牲者なのだ。
フリーターを個人の問題として捉えてしまうと、社会内で敵対関係を生み出してしまう。
よく勉強していると思うので、もっと社会の本質に迫って欲しい、と切に希望する。 
(2006.1.08)
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参考:
雨宮処凛「生きさせろ」太田出版、2007
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
塩見鮮一郎「異形にされた人たち」河出文庫、2009(1997)
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
横山源之助「下層社会探訪集」文元社
大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000
三浦展「下流社会」光文社新書、2005
高橋祥友「自殺の心理学」講談社現代新書、1997
長嶋千聡「ダンボールハウス」英知出版、2006
石井光太「絶対貧困」光文社、2009
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
雨宮処凛ほか「フリーター論争2.0」人文書院、2008 
金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001
沖浦和光「幻の漂泊民・サンカ」文芸春秋、2001
上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005
ジュリー・オオツカ「天皇が神だった頃」アーティストハウス、2002
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000

六嶋由岐子「ロンドン骨董街の人びと」新潮文庫、2001
エヴァ・クルーズ「ファロスの王国 T・U」岩波書店、1989
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985

高尾慶子「イギリス人はおかしい」文春文庫、2001
瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001

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