匠雅音の家族についてのブックレビュー     歴史人口学で見た日本|速水融

歴史人口学で見た日本 お奨度:

著者:速水融(はやみ あきら)−文春新書、2001年  ¥680−

著者の略歴− 1929年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。経済学博士。日本常民文化研究所研究員、慶應義塾大学教授、国際日本文化研究センター教授を経て、現在、麗澤大学教授。専攻は日本経済史、歴史人口学。2000年、文化功労者に顕彰される。主な著書に『近世農村の歴史人口学的研究』東洋経済新報社、『江戸の農民生活史』日本放送出版協会、『歴史人口学の世界』(岩波書店)など。
 歴史を振り返る作業は、おおくの場合、文字に残された記録を頼りになされる。
そのため、大状況の政治権力や支配者の記録になりがちである。
ほんとうは現実に生きた人間そのものに迫りたいのだが、それが叶わないことが多い。
なかでも社会を支えている庶民の素顔はわからずじまいである。
わが国の人口は、ある程度は想像がつく。
しかし、その中で生きた人間の実像はわからなかった。
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 歴史人口学という分野が、ルイ・アンリによってフランスで開かれると、わずかだが庶民の生活がわかり始めた。
ルイ・アンリは教会に残された「教区簿冊」を読み込むことによって、歴史上の人たちの生活を再現して見せたのである。
それはアナール派という学派に連なるのだが、わが国では筆者がはやくからルイ・アンリの仕事に着目していた。
そして、わが国では教会簿冊に代わって、宗門改帳がその基礎資料となる。

 「宗門改帳」に子供を記載しない例もたくさんある。たとえば、江戸時代のいちばん大きな大名は加賀の前田藩であり、百万石と称せられ、越中、加賀、能登、三か国の領主だった。この前田藩(金沢藩) の場合、15歳にならないと「宗門改帳」に載せなかった。だから、前田藩の史料では乳幼児の死亡率など子供のことはわからない。
 それから紀州藩や広島藩では8歳以下は「宗門改帳」に載せない。ほかにも5歳とか3歳とか、概していえば小さい子供を載せないところがいくつかある。これは死亡率が高かったので、安定するまでは載せなかったのだと考えられる。P52

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 お誂え向きの資料などあるはずがない。
少ない資料から、現実の生活を復元するのだ。
ここでもコンピュータの役割は大きい。
膨大な一次資料をデーターベース化すると、様々なことがわかってきた。
家族の復元もそのひとつである。
たとえば、伊勢湾の干拓新田、東美濃あたりの記録をとってみる。

 家族復元の結果、結婚した者の平均初婚年齢は、男は28歳、女は20.5歳であった。それから結婚の継続期間だが、その分布を見ると、わずか1年というのがいちばん多くて、全体の7%。それからずっと下がっていって、いわゆる銀婚式(25年間結婚が続く)というのは全体の2、3%くらいで、金婚式(50年)まで続くのはほんの0.5%でしかない。これは死亡時期が早いということもあるが、わりと離婚が多かったからでもある。結婚後1〜3年での結婚解消がいちばん多いというようなこともわかってきた。(中略)
 この17か村の合計数でいうと、女子のうち、16歳から20歳のあいだに結婚した者は、生涯に5.39人の子供を産む。これは269例あるから、統計的には相当な数になる。さらに、21歳から25歳のあいだに結婚した者は4.54人産むとなっている。
 統計的には、子供が4.5人未満だと、おとなになるまでに全員死んでしまって跡継ぎがいないという事態が発生する可能性が出てくるが、4.5人以上ならば、その可能性はない。P102


 気の遠くなるような細かい作業を積み重ねて、
歴史を読む基礎資料が生み出されてくる。
こうした作業の結果うまれた資料は、他の社会科学も利用させてもらうので、とてもありがたい。
私のように家族論に関心を持っていれば、
かつての人口構成や家族構成には無関心ではいられない。

 本書は筆者の自分史といった側面もあり、研究資料そのものではない。
新書だから、歴史人口学の紹介であるのは仕方ない。
本物の資料的価値のあるものは、筆者らの努力がデーターベースとして公になってからであろう。
しかし、新書という限界のなかでも、
江戸の商品経済が家族規模を小さくしたという家族の変質様相は、ずいぶんと新鮮な驚きを与えてくれた。

 ちょっと気になったのは、筆者の姿勢である。
たしかに筆者の業績は、他の分野への基礎になるものだが、
何のために筆者はこの作業をしてきたのだろうか。
細かい作業であるだけに、職人的な仕事であり、全体像が見えなくなっているように感じる。
そして、文化功労賞などを受賞したせいでか、学的な謙虚さを失ったようにも感じる。
全体像を欠落しているので、本書の行間からは卑俗なエリート臭がかいま見えてもいた。
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参考:
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、
I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
レマルク「西部戦線異常なし」新潮文庫、1955
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
田川建三「イエスという男 逆説的反抗者の生と死」三一書房、1980
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社

M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
田川建三「イエスという男」三一書房、1980
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


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