著者の略歴− 1977年東京生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに執筆活動を行う。そのほか、ペンネームでの写真発表やラジオ、漫画のシナリオなども手掛ける。著書に、アジアの障害者や物乞いを取材したノンフィクション、『物乞う仏陀』(文奉春秋)がある。http://kotaism.com/ 2006年の1月、28歳の筆者はイスラームの国で、男女はどのように裸体を絡ませているのか、という問題意識にかられて、6ヶ月の東南アジア・中東へと旅立った。 多彩な現実を見たいという問題意識は、当サイトの問題関心にきわめて近い。
<目次>を見ると、 第1章 街娼たちの渇愛−インドネシア/パキスタン 第2章 異境を流れる者−ヨルダン/レバノン/マレーシア 第3章 家族の揺らぎ−バングラデシュ/イラン/ミャンマー 第4章 掟と死−パキスタン/アフガニスタン/インド 第5章 路上の絆−バングラデシュ とならんでおり、筆者が各地を丁寧に歩いていることが判る。 現地への思いこみが強く、感情の入れ込みすぎだ、という感じもしなくはない。 しかし、ナイーブな筆者の正義感は良く伝わってくる。 我が国は本当に豊かな社会である。 我が国にいると、我が国の様子が当たり前で、それ以外の生き方は、存在しないように思ってしまいがちだが、そんなことはない。 イスラムという社会が、我が国からは特殊に見えるが、そこで生活している人たちには、特殊でも何でもない。 彼(女)等には、それが当たり前の生き方である。 貧しさは子供たちに集約的にあらわれる。 本書も、子供を良く取材している。 工業社会化以前の社会では、子供はまず何よりも労働力なのだ。 小さな身体だといっても、それなりに価値がある。 そのため、子供は誘拐の対象になる。 我が国でも子供が誘拐されるが、我が国では子供を使役の対象として、誘拐するのではない。 しかし、発展しつつある途上国では、生産に役立つ機械と同様に、子供は有用だから誘拐され、人身売買の対象となる。 筆者は上記の事例を、イスラムの国に見ているが、かつて我が国もそうだった。 イスラムに限らず、農業が主な産業である社会では、生まれや出身がものをいってしまう。 金持ちの家に生まれたら、一生にわたって陽の当たる道が保証される。 貧乏人の家や貧乏な村に生まれたら、ほぼ確実に貧乏で一生を終わる。 伝統的社会の貧乏は悲惨ではないが、そこに近代が侵入してくると、貧乏が悲惨につながっていく。 貧乏からはい上がるために、男の子は労働力として、女の子は売春婦として、身売りされる。 しかし、社会の壁は高く厚い。 個人がどんなに頑張っても、貧乏からはい上がることはできない。 かつての日本の貧乏は、国内の貧乏だったが、いまでは貧乏が国境を越える。 だから、その悲惨さは想像を絶するものになる。 ミャンマー領には、ロヒンギャという民族が暮らしている。彼らはバングラデシュのベンガル人と、宗教も言葉もほぼ同じだ。 ミャンマーの軍事政権は、そんな文化的に異なるロヒンギャを弾圧してきたのである。国籍を与えずに、強制労働を課したり、性的な暴力の対象にしたりしたのだ。 70年代の末から90年代の初めにかけては、総計で数十万人規模のロヒンギャが国境を越え、バングラデシュに逃げ込んできていた。その後、国連の介入によりミャンマーヘの帰還が促され、多少は落ち着いてきているが、それでも万単位の難民が残っていて、バングラデシュでも歓迎されているわけではない。つまり、どこからも排除されている民族なのである。P134 このロヒンギャ人の男性が、バングラデシュの村の女性と結婚して子供をもうけた。 しかし、男性たちは金を求めて町へと逃走し、あげ句のはてに、自分の子供を誘拐するために村に戻る。 そのため、子供を守っている村の女性たちは、自分の夫と死闘を演じるのだという。 ロヒンギャ人の男性が殺されることもあったという。
近代が侵入してきたのだ。 そこでの現金収入をあてに、地元の男性たちが村をでてしまった。 そこへミャンマーから来たロヒンギャ人の男性が、村の女性たちと結婚し子供をもうけた。 しかし、しょせん流れ者のこと、ロヒンギャ人の男性も女性を棄てて町へとでていってしまった。 町へ出たロヒンギャ人の男性も貧しい。 勝手知ったる村に戻って、子供の誘拐をしたというわけだ。 貧乏は、疑心暗鬼を生む。 社会が生みだす貧乏を、外部の個人は克服できない。 一時的にしか滞在しない者には、貧乏を見ることしかできない。 この事件を取材しようと、村に入った筆者は、自分の気持ちとはまったく違う反応を受けてしまう。 「女たちの寄り合いで、誰かが君のことを、工場の従業員か人買いに違いないといいだしたようだ。子供をさらう下調べにきた、と思ってる。女たちが、鎌やら鍬やらをもって襲ってくるんだよ!」 「なぜ僕が、子供を誘拐しなければならないんですか」 そこまでいって、はたと子供の写真を撮ったことに思いいたった。 この村では、どういおうとも、私は得体の知れぬ外国人なのだ。工場に出入りする外国の人間と思われても仕方がない。そんな人間が突然、村にやってきて人さらいの話を根掘り葉掘り訊いて子供の写真を撮っていれば、親たちが不審の目を向けるのは当然だ。P145 旅行者である外国人が、現地の人と仲良くなるのには、細心の注意が必要である。 地元の価値観と無関係に生きる外国人は、流れ者である。 外国人がいなくなった後、地元はふたたび地元者の世界に戻る。 そのとき、外国人と仲良くした人は、すでに寄るべき外国人を失っている。 人はどんな境遇でも、生きていかなければならない。 しかも、農業や牧畜が主な産業である社会は、土地からの制約がきわめて強い。 土地から離れたら生きていけないし、土地が求める制限や掟に服さないと、誰も生きていけない。 人権など語ることは思いもつかない。 私は旅にでた時、人のために何かをしたいと切望していた。いや、人を助けることができるのだと思い込んでいた。 しかし、実際には何一つできず、ついには取り返しのつかない事態を招いてしまった。挙句の果てに、手を差し伸べようとした相手に逆に救われ、慰められているのである。 なんという思い上がった考えだったのだろう。自分の浅薄さを、いやというほど思い知らされた。羞恥のあまり、顔を上げることができなかった。P306 筆者はズタズタになって帰国しただろう。 僕も似たような経験があるから、無力感に襲われる気持ちは良く判る。 しかし、先進国の人権意識をもちこむと、結果は芳しくないことが多い。 先進国のような人権意識をもたないイスラムが諸悪の根元だと思うが、なぜイスラムが生まれ、人々に信じられているのか、そのあたりにまで迫って欲しかった。 途上国と先進国の格差は、ますます開いていくだろう。 今後は筆者のようには、貧乏人の生き方に共感できなくなる可能性がある。 援助という言葉が空しく響く。 共感の断絶が恐ろしい。 (2008.2.2)
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