匠雅音の家族についてのブックレビュー     被差別の食卓|上原善広

被差別の食卓 お奨度:

著者:上原善広(うえはら よしひろ) 新潮新書 2005年 ¥680−

著者の略歴−1973年大阪府生まれ。ノンフィクションライター。被差別部落から殺人現場まで、あるいはニューヨーク・ハーレムの路地裏からイラクの戦場まで、国内外を闘わず独自のルポを主に月刊誌などに発表している。また徒歩による五大陸縦横断をライフワークとする。
 世界各地で、人々は差別し、差別されている。
差別の原因はさまざまであるが、人種や宗教、それに出自による差別の場合には、社会的な待遇がまったく違ってしまう。
本書がいうように、食べる物さえ違ってしまう。
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 筆者は大阪の被差別部落で生まれ、その中で少年時代まで過ごした。
そのため、むらと呼ぶ被差別部落のなかで食べていた食べ物=「あぶらかす」を、誰でもが食べている物だと思って育ってきた。
しかし、むらの外を知るに及んで、そうではないことを知る。

 こうした「むらの食べ物」は、被差別の民の知恵と工夫の結晶である。最初に事実を知った時は、自分が普段から食べていた料理にそんな歴史が潜ったのかと軽い衝撃を受けた。しかし成長するにしたがって、わたしはそのような環境に育ったことを、徐々に誇りに思うようになつたのであった。P6

 ソウルフードという言葉を知るに及び、被差別民はどこでも特殊な食べ物を食べていたと知る。
しかも、差別されていたがゆえに、食べにくい残り物しか入手できず、食べるために何とか手をかけて料理した。
それがソウルフードとして認知され、差別しているほうも口にするようになったという。
 
 アメリカ、ブラジル、ブルガリア、イラク、ネパール、そして日本と、被差別民の食べ物を追っていく。
そうじて内臓、鶏の骨付きの部分、ナマズや死肉が、被差別民の食べ物になっていった。

 アメリカのソウルフードといえば、フライドチキンである。
現在では、ケンタッキー・フライドチキンとして、誰でも食べる。
しかし、当初はフライドチキンは、黒人だけが食べたものだ。

 ももや胸肉は白人農場主が食べるために手に入らない。だから白人が食べずに捨てていた手羽、足先、首の部分を、骨も気にせずおいんく食べられるようにディープ・フライにして食べた。それがフライドチキンのルーツだったのだ。P20

 ちょっと脱線するが、我が国では鶏の足先を食べない。
ぞくにモミジと呼ばれる足先は、日本人が食べないので、足先だけが中国に輸出されて中国人の胃袋へ入っている。
モミジはコラーゲンが豊富で、煮ても焼いても美味しいのだが、日本人は味覚の一部を失っている。

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 本題に戻って、筆者はアメリカのナマズフライ、ザリガニ料理、豚の足先などなどを食べている。
旅行者として歩く以上、どうしてもレストランでの食事が中心になる。
しかし、被差別民たちは裕福であるはずがない。
レストランというお金がかかる外食ではなく、家庭での料理にソウルフードの神髄があるという。
とくに、お袋の味こそ、もっとも美味しいソウルフードだという。

 ブラジルといえば、フェジュアーダが有名である。
あまりにも有名すぎて、ブラジルを代表する料理のように思われている。
しかし、フェジュアーダは豚の耳や尻尾が入っており、貧しい黒人たちが食べ始めたものだ。
それが美味しいので、差別するほうも食べるようになったに過ぎない。
 
 1888年まで奴隷制度が存続したブラジルだが、いまでは人種差別がないといわれている。
それは白人との混血のムラートが38%をしめるため、人種差別が目立たなくなっただけである、という。
圧倒的少数になってしまった黒人や、逃亡奴隷たちはいまだに社会の網から、こぼれ落ちたままだ。
イギリスやフランスでは、黒人への差別がないというの同様であろう。

 イラクのロム(=ジプシー)を書いている部分では、サダム・フセインはロムを保護し、住居を与えていたが、アメリカが侵攻してアパートから追い出されたという。
サダム時代には裕福だったロムは、いまでは住宅を失って、極貧に貶められた。

 後半の大きな部分を、ネパールの被差別民にさいている。
カーストが残るネパールでは、貴賤意識がきわめて強く、職業とむすびついて差別が厳しい。
前近代では職業は世襲だから、鍛冶屋、服飾職人、漁師、吟遊詩人、また売春などに従事することで、差別が確定していく。
とりわけ、死牛馬の処理や皮革加工に従事することは、我が国と同様にもっとも大きな差別の原因になっている。 

 死牛馬の処理の処理から、被差別民は牛の肉を食べる。
その結果、牛肉を食べること自体が、差別の原因になっていく。
前近代は、人々の移動が少なく、職業は世襲だったし、出自が人間の価値を決めた。
そのうえ、非科学的な穢れ意識がはびこっていた。
そのため、差別は強まりこそすれ、弱まることはなかった。
前近代では差別は悪いことだと、意識さえされていなかった。

 近代にはいるにしたがって、差別が社会の進歩を阻害することが認識され始めた。
そこで、差別が表面化し、差別は悪であるという意識が芽生えた。
近代に入って、はじめて差別撲滅の運動が生まれたのである。
近代を悪くいう人がいるが、近代化こそ差別を克服する道である。

 中国やフランスでは強大な王朝がさかえた。
庶民には食べる物がまわらず、仕方なしに残り物を食べた。
そこから、世界で絶賛される料理が生まれたという。
中国料理やフランス料理も、もとをただせば被差別民の料理が、たくさん紛れ込んでいるのだ。
美味しいものは、誰が食べても美味しい。    (2009.4.18)
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参考:
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佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
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横山源之助「下層社会探訪集」文元社
大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000
三浦展「下流社会」光文社新書、2005
高橋祥友「自殺の心理学」講談社現代新書、1997
長嶋千聡「ダンボールハウス」英知出版、2006
石井光太「絶対貧困」光文社、2009
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
雨宮処凛ほか「フリーター論争2.0」人文書院、2008 
金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001
沖浦和光「幻の漂泊民・サンカ」文芸春秋、2001
上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005
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G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000

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瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001
西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001
アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001
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レナード・ショッパ「「最後の社会主義国」日本の苦悩」毎日新聞社 2007
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古島敏雄「台所用具の近代史」有斐閣、1996
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田中琢&佐原真「発掘を科学する」岩波新書、1994
臼田昭「ピープス氏の秘められた日記」岩波新書、1982
パット・カリフィア他「ポルノと検閲」青弓社、2002

下川裕治「バンコクに惑う」双葉文庫、1994
清水美和「中国農民の反乱」講談社、2002  
編・暁冲「汚職大国・中国」文春文庫、2001
顧蓉、葛金芳「宦官」徳間文庫、2000
金素妍「金日成長寿研究所の秘密」文春文庫、2002
邱永漢「中国人の思想構造」中公文庫、2000
中島岳志「インドの時代」新潮文庫、2009
山際素男「不可触民」光文社、2000
潘允康「変貌する中国の家族」岩波書店、1994
須藤健一「母系社会の構造」紀伊国屋書店、1989
宮本常一「宮本常一アフリカ・アジアを歩く」岩波書店、2001
コリンヌ・ホフマン「マサイの恋人」講談社、2002
川田順造「無文字社会の歴史」岩波書店、1990
ジェーン・グドール「森の隣人」平凡社、1973
阿部謹也「ヨーロッパ中世の宇宙観」講談社学術文庫、1991
永松真紀「私の夫はマサイ戦士」新潮社、2006


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