匠雅音の家族についてのブックレビュー     新聞が面白くない理由|岩瀬達哉

新聞が面白くない理由 お奨度:

著者:岩瀬達哉(いわせ たつや〉    講談社文庫、1998年 

 著者の略歴−1955年和歌山県生まれ。ジャーナリスト。96年第3回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」の企画賞とスクープ賞をダブル受賞。受賞作は、「大蔵官僚たちが溺れた『京都の宴』」(『現代』95年5月号)と、「新聞 正義の仮面の下に腐敗あり」(『Views』95年12月号〜96年5月号)。官僚腐敗やメディアの問題などを中心に旺盛な執筆活動を続けている。

 批判なき権力は必ず腐敗するから、憲法をつくって権力に規制を加えた。
それだけでは不充分だから、先進国では新聞が権力を監視している。
だから、新聞は権力の暴走を防ぐために、つねに権力者を監視し、批判し続けるもののはずである。
しかし、我が国では事情はまるで違う。
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 我が国の新聞は、つねに横並びであり、どの新聞を開いても、おおむね同じことが書かれている。
それは我が国の新聞が、批判精神から出発したためではなく、
物を書くことによって利益を得てきた、つまりたかってきたからだ。
かつて学生の頃、新聞記者になりたいと言ったとき、たかるような仕事には反対だと言われた。
その時は、たかり記事を書くのは、特別な新聞だけだと思っていたが、
実は日本の新聞はすべて、たかることによって成り立っている。

 <記者クラブ>という組織が、官庁や自治体の建物には必ずある。
民間企業でも、大きな組織になると、記者クラブがある。
本書は、記者クラブの解明を通じて、ジャーナリズムのあるべき姿を考えている。
本書のいうとおりで、内容に関してはまったく賛成である。
しかし、我が国にジャーナリズムは確立されない、という絶望も確かな読後感である。
 
 欧米には、このようなジャーナリズムの独立性に疑問を抱かせる「記者クラブ」のようなシステムは存在しない。代わって、ジャーナリストならば誰でも、情報源への自由なアクセスを保障する制度を設けている国が多い。米国の「ホワイトハウス記者証」やフランスの「プレスカード」などは、その典型例であろう。
 「ホワイトハウス記者証」は、ホワイトハウスをはじめ各省庁への取材を可能とする記者登録証で、基本的にジャーナリストであれば差別なく発行される。P79


 我が国の記者クラブに入れない赤旗の記者にも、「ホワイトハウス記者証」は発行されたという。
反対に、我が国の記者クラブには、一部の例外を除いて、外国人記者は入れてもらえない。
外国人記者のみならず、フリーランスのジャーナリストや雑誌社の記者も、記者クラブには立ち入り禁止である。
つまり自分たちが仲間と認めた者しか、参入を認めない。
記者クラブとは、いわば談合的組織である。

 この記者クラブをとおして、官庁や自治体は情報を流し、記者たちはその情報を記事にしている。
だから、どの新聞を見ても、紙面が同じになるはずである。
筆者は、記者クラブをもつ全国800ヶ所(有効回答は536)の組織に対して、
当該組織がどんな対応をしているか、アンケートを採っている。
それによると、とんでもない経済的な利便を図っていることがわかる。

 東京都は、あの広い新都庁舎6階の半分を、記者クラブとして無料で与えている。
そのうえ、家具や電話も無償で提供され、一時は記者専用の麻雀室まであったという。
ジャーナリストは権力を批判するのだから、権力と癒着して良いわけがない。
権力から援助を受ければ、権力に迎合せざるを得ない。
記者たちがどのくらい癒着しているかを例示してみよう。

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 「ロサンゼルス・タイムス」のルポは、宮沢喜一元首相が、クリントン大統領との最初の日米首脳会談に出席した時のもので、同行を許されたレスリー・ヘルム記者が皮肉の効いたコミカルなタッチで描いたものだ。(中略)
「その機が離陸し、太平洋の向こうのアメリカをめざすと、宮沢喜一首相は前部の広々とした専用室を離れ、後部にいる記者たちの前にあらわれる。総勢33名の記者たちは、シャンパンのつがれたフルートグラスを手に、彼を待ち受けていた。……首相番の『記者クラブ』の代表が立ち上がり、乾杯の音頭を取る。『総理がアメリカとの信頼関係を築かれんことを祈って、カンパイ』。他の記者たちもこれに続き、自分のグラスを次々にかかげ、『カンパイー』と声をあげた。こうして、宮沢首相への敬意に満ち、ほとんど忠誠をつくしているといっていい記者団の訪米の旅がはじまった」(中略)
 「飛行機が帰路につくと、またもやシャンパンが開けられた。首相は、『どうもご苦労さま。きっと、かなりお疲れになったことでしょう』と挨拶し、続けてこう語った。『みなさんの報道については、必ずしも状況を正確には伝えていなかったと申し上げておきます』。つまり、宮沢首相とクリントン大統領との間には貿易問題について報道されたような大きな隔たりが無かったことをほのめかしたのだ。一行の代表は、首相の立場を明らかにさせるのではなく、あやまることで和を保とうとした。
『わたしたちが、問題を単純化しすぎているとしたら謝ります。しかし、どうかわたしたちがキツイ締め切りの中で書いていることもご理解ください。それにご存じのとおり、わたしたちのほとんどは経済問題にはよく通じていないのです』
 これで平和が築かれたのは明らかである。なぜなら飛行機が着陸する直前、首相からの個人的な贈り物として乗務員から、記者ひとりひとりに17年もののスコッチウイスキーのボトルが配られたからだ」(1993年4月27日付)


 日本の新聞は、権力に対峙しているように装いながら、
読者の目が届かないところでは、権力者と癒着している。
そして、権力の庇護を受けていることを、まったく恥じてもいない。
本書が書かれる前から、記者クラブの問題は巷間でささやかれていたが、
筆者はきっちりとしたアンケート調査によって、その癒着ぶりを暴露している。

 表現の自由や報道の自由、はたまた国民の知る権利といった言葉が飛びかう昨今だが、
新聞の現状を見ると空しく響くだけである。
似たり寄ったりの新聞が、こんなにたくさん必要だろうか。
独自の批評眼をもって、自分の得意分野で、きっちりと仕事をする。
そんな新聞になって欲しいが、本書を読む限りは無理だろうと思う。

 本書の後半では、朝日新聞の官僚体質を批判しているが、
私はとうの昔に朝日新聞をとるのはやめている。
朝日新聞の偽善的な体質は、産経など保守的な新聞より、はるかに始末に悪い。
権威主義的な新聞の跋扈を許しているのも、結局は国民性と言うことになるのだろう。

 無名の個人にとって、表現の自由など存在しない。
大企業に勤める記者たちだけが、表現の場をもっていた。
しかし、インターネットができ、誰でも表現できるようになった。
無秩序とか反社会的といわれるが、これは本当に良いことだと思う。
権力の広報機関としての新聞は、百害あって一利なしである。   (2006.3.22)
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参考:
福岡賢正「隠された風景
鈴木邦男「公安警察の手口
浜田 寿美男「自白の研究
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走
浅野健一「犯罪報道の犯罪

金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001年
石原里紗「ふざけるな専業主婦」新潮文庫、2001年 
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993年(角川文庫 2001年)
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003年
大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000年

吾妻ひでお「失踪日記」イースト・プレス、2005
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大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000

荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986
佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
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ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998
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伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995
瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983
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田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991
柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001
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小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004
小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969
赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003
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藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

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エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
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青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
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多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955
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横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
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