匠雅音の家族についてのブックレビュー    アメリカ映画の文化史|ロバート・スクラー

アメリカ映画の文化史 お奨度:☆☆

編著者: ロバート・スクラー  講談社学術文庫、1995年  
上 ¥874−    下 ¥934−

 著者の略歴−1936年生まれ。プリンストン大学卒業。1965年,ハーヴァード大学Ph.D.(アメリカ文明史専攻)。ミシガン大学歴史学教授を経て,現在, ニューヨーク大学映画研究科教授を務める。
 本書は1975年に、アメリカで出版された。
1975年といえば、アメリカ映画の凋落期であった。
テレビなどに喰われて、アメリカの映画産業は青息吐息といった状態だった。
何事も終末期ともいえる時代には、総括的に振り返る書物があらわれるのかもしれない。
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 映画の誕生から、それがアメリカ社会にどんな影響を与えたか、筆者は克明に展開している。
しかし、アメリカ映画は見事に甦った。
1990年代の中頃から、映画はその歴史のなかで、質実ともにいま最高の花を咲かせているように思う。
筆者も1994年に増補版を出して、映画は衰退しなかったという項目を加えている、と解説には書かれている。

 アメリカは移民の国だといわれる。
海外から多くの人がやってきたので、さまざまな文化がもちもまれた。
当初はアメリカ文化というものはなかったのである。
そうしたなかで、アメリカのアメリカたる価値を形成するのに、映画は大きな役割を果たした。
通常の映画論は作品論であり、映画それ自体の芸術性を論じるものだ。
しかし、本書は映画が果たした文化的な役割、またはアメリカ文化の菜から作られた映画といった見方で、文化としての映画を考えようというものである。

 1893年にエジソンのキネトスコープののぞきからくりが、そして1896年には大スクリーン映画が登場する。映画は演芸場と娯楽場に入りこみ、それは10年のうちに労働者階級が居住する地域の店先を劇場に変え、利益をあげるようになった。都市労働者と移民と貧しい人びとは、中産階級による文化の後見と判定といった助けを借りないで、いや実は自ら気づかぬうちに、娯楽の新しいメディアを発見したのである。映画統制の動きは、その後すぐにはじまり、今日に至るまでつづいている。しかし、映画は、大衆に人気のある文化のメディアとして本来の性格を決して失うことはなかった。上−P33

 ニッケル・オデオンといまでもその名前が残るように、ニッケルとは5セントのことである。
5セントで見ることができた映画は、大衆のものである。
それにたいして、舞台は中産階級以上のものだった。
映画が登場する前には、庶民が娯楽にお金を使うことはなかったのだろう。

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 本書は上下2冊の構成になっている。
上巻では、映画の始まりから、それがマスメディア化してきたこと、無声映画の熱情、それとなによりアドルフ・ズーカーという稀代の製作者について語る。
そして、下巻では戦後のアメリカ映画の衰退を論じるのである。

 1930年代のハリウッド映画製作の黄金時代は、ひとつながりのものではなく、2つに分けられるべきものだが、1930年から1934年までの前期は、実際にはハリウッド自体が意表をつかれた異常な状態にあった。トーキー初期の映画が、にわかに社会的なリアリズムに転じ、ギャングとセックスと政治的なメロドラマに明け暮れたのは、明らかに便宜主義のなせるわざである。すなわち、経済状態が悪化し、顧客が減りはじめて、いかなるショックあるいはくすぐりの形式が観客を劇場へひきつけるかについての模索がはじまったのである。下−P38
 
 筆者は、戦後のアメリカ映画の衰退は、たんにテレビが台頭したせいだとは言わない。
それまでの映画は、中産階級の好みをも受け入れつつも、基本的には大衆を相手にした労働者のヒーローだった。
そして、自分が同化できる対象として、映画は描かれてきた。
それにたいして、戦後激しくなった赤狩りに、映画界は膝を屈し、体制迎合的になっていった。

 独自の人物像を描くことに、臆病になった。
これでは観客に受け入れられるはずがなかった、と筆者は言う。
きわめて説得的な見方である。
外的な理由でつぶれるより、どんな組織も外的な事件をきっかけとして、内部から崩壊するのである。

 もし、以前(戦前)と同じ敵意が復活したというだけのことだったら、ハリウッドにたいする戦後の攻撃は再開されなかっただろう。映画製作者に向けられるおなじみの非難は、道徳的な言葉で表現されていたけれども、つまるところ人種的、宗教的、階級的な敵愾心を完全に隠しおおすことはできなかった。ナチズムにたいする戦争の余韻がまだ残っているというのに、いままでのような不平を再び持ちだすことは、下劣でいまわしいことと思われはじめたのである。下−P189

 アメリカ映画が輸出されて、各地でアメリカ文明をうえつけた事実にも目が向く。
固有の文化をもたなかったアメリカ。
固有の文化があれば、その国の文化と衝突する。
が、これから文化を作ろうとしている社会の映画は、どこの国にも受け入れやすかったにちがいない。

 ハリウッドの崩壊と映画の将来を考えて、本書は1970年代で終わっている。
増補版で書かれたアメリカ映画の復活は収録されていない。
我々に馴染みのあるのは、むしろ1960年代後半から1970年にかけて始まった、アメリカンニューシネマである。
そうした意味ではちょっと物たりない。
しかし、映画を通じて社会や文化を考えのは、長い目で見ると不可欠の作業である。
本書は、私の映画論にも通じるところがあり、
単家族的映画論」は本書に大いに影響をうけている。  (2003.10.10)
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参考:
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
高尾慶子「イギリス人はおかしい」文春文庫、2001
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995
ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990
長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995
池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986
佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995
ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998
ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991
伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995
瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983
宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004
荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001
奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008
田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991
柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001
パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990
仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 
小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004
小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969
赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003
金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007
町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002
藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006

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