著者の略歴−1962年東京生まれ。早稲田大学法学部卒。宝島社で『宝島』『別冊宝島』『宝島30』編集部に在籍。『このビデオを見ろ!』『おたくの本』『裸の自衛隊!』『いまどきの神サマ』『映画宝島』などを企画濡集。95年、洋泉社にて『映画秘宝』創刊。97年渡米してアメリカ各地を転々とする。現在サンフランシスコ郊外在住。著書に『アメリカ横断TVガイド』、柳下毅一郎との共著に『地獄のアメリカ観光』『フアビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(いずれも洋泉社)がある。 雑誌「映画秘宝」に連載したものを、加筆して単行本になったと、あとがきにある。 実によく調べてあり、当方も映画に関して書いているので、とても参考になった。
かつて映画は、劇場でしか見ることができなかった。 そのため、劇場公開を見逃してしまうと、その後は見る機会がなかった。 しかし、今では映画がビデオやDVDになっているので、本などと同様にいつでも見ることができ、良い時代になった。 封切り上映の時に、同時代体験をしていなくても、後年になっても充分に映画を楽しむことができる。 筆者は1962年生まれとあるから、本書に取り上げられている映画は、同時代で体験したものではないだろう。 反逆の時代だった60年代には、反逆の映画が生まれたのだが、筆者の時代には反逆の動きは、すでになかったように思う。 60年代のアメリカン ニュー シネマを筆者は、特別の思いを込めて取り上げている。 筆者はアメリカン ニュー シネマの一体どこに感激したのだろうか。 第1章『2001年宇宙の旅』映画史上最大の「マジック」のタネ明かし 第2章『俺たちに明日はない』『卒業』『イージー・ライダー』ニューシネマという反乱 第3章『猿の惑星』猿が猿を殺すまで 第4章『フレンチ・コネクション』『ダーティハリー』アウトロー刑事の誕生 第5章『時計じかけのオレンジ』レイプとウルトラ暴力とベートーベンがオレの生きがい 第6章『地獄の黙示録』戦場は本当に「地獄」なのか? 第7章『タクシードライバー』孤独のメッセージ 第8章『ロッキー』70年代をノックアウトした男 第9章『未知との遭遇』星に願いを と9章に分かれているが、タイトルになっている映画だけではなく、さまざまな映画が取り上げられている。 また巻末には、邦文・英文の資料も掲載されており、筆者がよく調べいることが分かる。 筆者は60年代の映画を、名作だと考えているらしい。 それは文面からもわかるのだが、ちょっと表面的な感じがする。 むしろ筆者の本心は、「タクシー ドライバー」から「ロッキー」にかけてのほうにあるように思える。 「タクシー ドライバー」の孤独から、「ロッキー」のアメリカ再生へと続くながれに、筆者の溜飲が下がったのではないだろうか。 これは当方の深読みだから、外れているかも知れない。 しかし、気になるのは、次の文章である。
70年代に、せっかく「見世物」から「作品」へと成長したアメリカ映画は、80年代に「製品」になってしまったのです。多様な見方を許す映画、取り扱いの難しい映画、客を傷つけるおそれのある映画、論争を招くような映画は作りにくくなりました。「製品」として失格だからです。 「あのころ、たしかに革命があった。しかし、それは完全に失敗した。80年代になると資本は以前以上に大企業に集中し、映画は以前以上に勧善懲悪で現実逃避的な商品に成り果ててしまった」 『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生』(68年)でホラー映画に革命を起こしたジョージ・A・ロメロに会ったとき、彼は当時を思い出して、そう嘆いていました。 社会も映画も、結局元に戻った、いや、前より悪くなった。P253 自分の体験しなかった時代に作られた古い映画を賛美し、同時代の映画が悪くなったというのは、どういった映画の見方をしているのであろうか。 映画とは、大衆のものであり、時代によって創られるものだ。 とすれば、筆者は同時代の映画にこそ、共感するのが自然ではないだろうか。 「俺たちに明日はない」のラストシーンには涙したし、当方も好きな映画である。 しかし、やはり過去の映画であり、この映画からはもはや時代の息吹を感じない。 むしろ「ミリオンダラー ベイビィ」のほうにこそ、今は共感を覚えるし、時代を切り開く力を感じる。 また、「ミリオンダラー ベイビー」は作品としての完成度だって、充分だろう。 60年代に起こった反逆映画は、直接的に主義主張を訴えていた。 だから、若かった当時の私たちは、スクリーンに熱狂した。若者にはわかりやすかったが、保守的な人からは反発も多かった。 現在のハリウッド映画は、商品としての広い流通性を獲得しながら、その底に見る人にはわかるメッセージをこめる、という高等な手法へと変化した。 現在のハリウッド映画は、製品のなかに作品としての主張を込めている。 受け入れられにくい主題を扱っても、「スタンド アップ」のように、誰にでも抵抗なく見ることができる作品に仕上げる技量をもった。 また、「ハード キャンディ」などは表面的な娯楽性をたもちながら、しかも子供の台頭、私刑の肯定といった高度に哲学的な展開方法を、いまのハリウッド映画は身につけている。 そのため、我が国の映画評論家は、今のハリウッド映画が何を訴えているか、理解できないようにさえなった。 筆者がそうした評論家の1人ではないことを祈る。 本書に登場するポーリン・ケイルでさえ、不評だった同時代の映画をくわしく論じて、今日の彼女をなさしめた。 次には、ぜひ同時代の映画を評論して欲しい。 (2006.9.6)
参考: 荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001年 エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970 ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995 ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990 長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995 池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986 佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000 伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004 篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995 ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998 ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991 伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995 瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983 宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004 荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001 奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008 田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991 柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001 パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990 仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004 小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969 赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003 金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007 町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002 藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006 オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997 ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
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