著者の略歴−1930年新潟市生まれ。映画評論家。52年新潟市立工業高校卒業。54年『思想の科学』に「任侠について」を発表。56年『日本の映画』を上梓、翌年これでキネマ旬報賞受賞。57年上京、『映画評論』『思想の科学』の編集長を務め、62年以降フリーとなる。73年より久子夫人とともに個人雑誌『映画史研究』を刊行。 95年毎日出版文化賞、96年芸術選奨文部大臣賞ならびに紫綬褒章。主著に『日本映画300』『黒澤明の世界』『みんなの寅さん「男はつらいよ」の世界』(朝日文庫)、『日本映画史』(全4巻、岩波書店)など。96年から日本映画学校校長。 1971年、1978年と2度にわたり刊行された本書だが、序論といくらか加筆され、完本として文庫化された。 小津安二郎が死んでからわずか5年後に書かれたので、当時は小津を知る人たちが存命だった。 そのため、本書にはたくさんのインタビューが掲載されており、小津の人となりを知る手がかりとなっている。 本書は小津安二郎の研究書として、最も早い時期に出されたものだろう。 小津の映画に関しては、今さら言うまでもないだろう。 なかでも後期の作品の名声が高いが、本書は小津の誕生から初期の作品まで丁寧に追っており、小津の映画製作の姿勢が良く伝わってくる。 有名人の伝記物にありがちな絶賛に終始することなく、冷静な目で見た読み物風の研究書になっている。 また筆者が若かった当時、小津映画に理解できなかった部分があったことを、正直に書いていることも本書の信頼性を高めいている。
筆者は小津の映画を、大家族が核家族化していく時代に、大家族の良さを純粋化された様式美で描いたという。 そのなかで、小津映画のスタイルの特長を、次のように整理している 1. カメラの固定 2. ロー・アングル 3. 相似形の人物配置 4. 正面からの人物撮影 5. 類似と繰り返し 今日では定説化している視点であるが、本書が書かれた時点では、必ずしも定説とはなっていなかっただろう。 30年前に提出された視点として、瞠目に値する。 本書の白眉は、とかく日本的と言われる小津の映画が、実はアメリカ映画の影響を強く受けている、と論じている部分である。 影響を受けることは何ら恥ずかしいことではなく、むしろ自らの視点の形成過程を隠すことこそ恥ずべきことである。 小津は、1930年代のアメリカ映画をよく見ており、映画界に入るまでは日本映画はほとんど見てはいない。 その後も、戦争中シンガポールにいたときは、アメリカ映画をたくさん見たらしい。
しかし、小津を羨ましく思うのは、日本的なものを素直に肯定できたことである。 通常は日本的なものから逃げようとしてもがきながら、歳をとって気がついてい見ると、日本礼賛をやっている例が多い。 若いときには左翼、歳をとってからは右翼というのは、日本人表現者の辿る道だが、小津にはそうした転向の軌跡を感じさせない。 それはおそらく小津が職人だったせいではないかと思う。 本書でも小津が映画職人だと言っているようが、職人はイデオロギーには関係ない。 作った結果が、お客に喜ばれるかどうかである。 技術に沈潜することは、人格的に保守化することでもある。 もちろん小津は本物の保守主義者であると、筆者は尊敬をこめて語っている。 後年は家族映画に特化してきた小津だが、大家族から核家族への流れを農業社会から工業社会への転換の反映だ、とみなす筆者の指摘は全面的に正しいと思う。 ただ表現が大衆的にヒットする要件は、寅さんの映画を持ち出すまでもなく、来るべき新たな家族像を描くのではなく、過ぎゆく家族像を描くことなのである。 小津もその例に漏れず、消えゆく大家族を描いたがゆえに、巨匠ともてはやされたのである。 旧守懐古する姿勢が、ヒットにつながる道かと思うと少し寂しい。 父親がいなくても、母親と子供がいれば、それは立派に家庭である。父親と娘だけでも、まだ家庭である。なぜなら、彼らは固定した家で緊密に結びついて生活することが必要だからである。しかし、父親と男の子だけの家庭は、はたして家庭であろうか。(中略) 母親と子供というのは離すことのできない一体の存在だが、父親と息子というのは、それよりはよりはよほど、一対一の個人同士である。P303 といった部分は、やや古い記述が目立たなくもない。 1971年に書かれた原稿だから、今日的な目で見るのは酷ではあるが、本文に手を入れることができなければ、「あとがき」ででも新しい視点を補って欲しかった。
参考: ロバート・スクラー「アメリカ映画の文化史 上、下」講談社学術文庫、1995 ポーリン・ケイル「映画辛口案内 私の批評に手加減はない」晶文社、1990 長坂寿久「映画で読むアメリカ」朝日文庫、1995 池波正太郎「味と映画の歳時記」新潮文庫、1986 佐藤忠男 「小津安二郎の芸術(完本)」朝日文庫、2000 伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004 篠山紀信+中平卓馬「決闘写真論」朝日文庫、1995 ウィリアム・P・ロバートソン「コーエン兄弟の世界」ソニー・マガジンズ、1998 ビートたけし「仁義なき映画論」文春文庫、1991 伴田良輔ほか多数「地獄のハリウッド」洋泉社、1995 瀬川昌久「ジャズで踊って」サイマル出版会、1983 宮台真司「絶望 断念 福音 映画」(株)メディアファクトリー、2004 荒木経惟「天才アラーキー写真の方法」集英社新書、2001 奥山篤信「超・映画評」扶桑社、2008 田嶋陽子「フィルムの中の女」新水社、1991 柳沢保正「へそまがり写真術」ちくま新書、2001 パトリシア・ボズワース「炎のごとく」文芸春秋、1990 仙頭武則「ムービーウォーズ」日経ビジネス人文庫、2000 小沢昭一「私のための芸能野史」ちくま文庫、2004 小沢昭一「私は河原乞食・考」岩波書店、1969 赤木昭夫「ハリウッドはなぜ強いか」ちくま新書、2003 金井美恵子、金井久美子「楽しみと日々」平凡社、2007 町山智浩「<映画の見方>がわかる本」洋泉社、2002 藤原帰一「映画のなかのアメリカ」朝日新聞社、2006 バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう:忘れられた生活様式」鹿島出版会、1985 瀬川清子「食生活の歴史」講談社学術文庫、2001 西川恵「エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交」新潮文庫、2001 菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000 アンソニー・ボーデン「キッチン・コンフィデンシャル」新潮社、2001
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