著者の略歴−昭和23年生まれ、神戸市出身。京都大学工学部建築学科卒、東京大学 経済学部卒。三菱商事、米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て平成12年退社。現在、平河総合戦 略研究所代表理事。評論家として数々のジャンルに取り組む。映画評 論についてはメルマガ「興れ美しい日本」、「月刊日本」にて連載中。映画を通じて世相に斬り込むスタイルが特徴。 本書は当サイトと同様に、自腹で切符を買って、映画館にかよった筆者によって書かれている。 そのため、配給元に気兼ねすることなく、感じたままを書いているのだろう。 提灯持ち的な映画評論が多いなかで、自分の意見が直截に書かれている。 そのスタンスには、とても好感をもつ。
そのためか、本書はすこぶる説教臭い。 楽しい映画だと認める「プラダを着た悪魔」の最後で、次のように言う。 日本の若い観客よ、どんな悪魔のような上司に仕えようと、不平不満を言う前に、その上司から学ぼうという気持を捨てず、その懐に入っていく努力をし給え。それがこの映画の若き日本人への教訓である。P269 現代日本を堕落したと心配するあまり、現代日本人を、腑抜けになったと言って止まない。 これは、企業人として看板を背負って外国生活を体験した人に特有の傾向だろう。 筆者はおそらく外国で商売をやるのに、苦労したに違いない。 そして、信条のない劣等感にさいなまれたのだろう。 だから、信条を求めて、我が国の戦前を懐古しているのだろう。 大企業の看板を背負って外国へでると、筆者のような精神状態になる人が多いようだ。 しかも、我が国に戻ってからは、外国通だと自負しているから、本当に困ったものだ。 たしかに海外の企業活動では、国益リアリズムが支配しているだろう。 国際競争をしようとすれば、国益を考えざるを得ない。 国益を優先したほうが、自分の商売に有利なのだ。 筆者のスタンスからは、パワー・ポリティックスにも簡単にたどりつく。 しかし、リアリティが必要な世界で行動するには、現状をふまえた信念が必要であり、筆者にはそれがない。 だから、戦中の古い大和魂に戻ってしまうのだ。 子供は母親が育てるべきであり、良妻賢母が筆者の好みであり、性別役割分業こそ守るべき美風なのだ、という。 しかし、この筆者の思考は、男女平等化が進む先進国の事情を、まったく無視したものとしか言いようがない。 先進国を羨ましく感じながら、なぜ先進国が先進国たりうるのか、そのあたりを考えべきだろう。 当サイトも高く評価するスザンネ・ビアの「ある愛の風景」を、筆者も高く評価する。 同士を得たりと思って読み進むと、この映画は<これこそ良妻賢母の鏡>なのだそうだ。 あ〜あ、とため息がでる。 1968年の5月革命をへた西洋諸国で、良妻賢母があり得るはずがないであろう。 先進国では専業主婦はもういない。 そして、情報社会の家族観や価値観を必死で探しているのだ。 時代に適合できない古いものが、死滅するのは必然であり、旧を懐古する姿勢は反動と呼ばれても仕方ないだろう。 最初のうちは、興味深く読んでいたが、後半では古い男の身勝手さに呆然とした。
しかし、国籍は選択できるものであり、移民もできるのだ。 日本人であることだけしか思考範囲に入らないのは、思考が硬直していると言わざるを得ない。 「その名にちなんで」のなかで、筆者は次のように言っている。 (主人公は)カルチャーショックの望郷の思いの妻をなだめながら、一男一女 をもうける。二人の子供はアメリカナイズされアメリカ人と同化していく。丁度、日本人でアメリカで 育った子供たちと同様である。しかし日本人とインド人とは、アメリカナイズされても完全に アメリカ人になりきれない。一つは世界のどこに住もうと、それぞれ日本人社会やインド人社会とのくび きがある点と、何よりも世界に誇る歴史的民族のDNAが、潜在しているからである。P315 この発言は、国籍至上主義と言ったらいいのだろうか。 筆者は民族と国籍を同視したうえで、国籍を普遍的で、固定したものと捕らえているようだ。 しかも筆者は、同じ映画の評論でありながら、次のページでは矛盾することを平気で書いている。 そんな時、ガールフレンドの露骨なアメリカ的ミーイズムに接し、そこでゴーゴリは完全に白人ガールフレンドに内存するアメリカ社会の本質がわかり白けてしまう。その後、母の仲介で、イギリス・フランス育ちのソルポンヌ卒の才色兼備のベンガル女性と結婚する。だがある日、彼女には結婚前から、フランス人の間男がいることを発見してしまう。彼女はまさにフランスの性愛至上主義の虜だったのである。 絶望の中、母と息子の絆に精神的に支えられ、ゴーゴリはさらに強くインド人の血の誇りを持ちつつ、アメリカ社会で生きて行くに違いない。P316 西洋文明に染まったベンガル女性には、インド人のDNAはないのだろうか。 世界に誇る歴史的民族のDNAが潜在しているなら、フランスの性愛至上主義の虜になったのは、何がなさせたのだろうか。 この映画の製作者は、インド人であるという理由では、インド人を賛美してはない。 むしろアメリカに感謝しているように感じた。 筆者は団塊の世代であり、熱血漢であるのは文脈からよくわかる。 また、日本映画への絶望感も共感する。 しかし、時代は動くものであり、時代の変化につれて価値観も変化するものだ、ということに無自覚である。 大企業の看板を背負わずに、海外を歩いてくれば現実がよく見え、もう少し柔軟な思考が身についただろう。 (2008.12.06)
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