匠雅音の家族についてのブックレビュー    下着の文化史|青木英夫

下着の文化史 お奨度:

著者:青木英夫(あおき・ひでお)−雄山閣出版、2000(同1991) ¥3、800−

著者の略歴−上智大学文学部史学科卒.東京大学文学部西洋史科大学院修了.米国カリフォルニア大学ロス・アンジェルス校(U・C・L・A)歴史科大学院卒(Ph.D.) 日本風俗史学会会長,ビューティサイエンス学会会長.日本生活文化史学会顧問,国際服飾学会副会長。<著書>「下着の流行史」(雄山閣出版),「くらしの文化史」(雄山閣出版),「風俗史からみた1920年代」(源流社),「風俗史からみた1930年代」(源流社).「風俗史からみた1940・50年代」(濠流社),その他50数冊
 人間は衣服を着るという珍しい動物だが、下着というのもまた人間だけが身につける。
本書は、下着の発生から、その歴史や効用を考えている。
前半は主として西洋の下着を、後半はわが国の下着を考察している。
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 人類のはじめ、人間は裸でも生活できたのだから、何も着ていなかったはずである。
それは動物を見ればよく判る。
しかし、人間は衣類をまとう。
なぜか。
衣類が発生した理由は、保護や保温といった実用性からではないだろう。
たぶん、衣類は身分の違いをあらわすものとして、使われ始めのではないだろうか。
高貴だとか、神に近いといった意味で、装飾的な意味をもって着衣が始まったはずである。

 下着とは、表衣があって存在する。
人間がはじめて衣類をまとったときは、一枚の衣類だったろうから、下着なるものはなかった。
それは上着であり、同時に下着だった。
一枚の衣類は、上着か下着かと問われれば、上着と答えざるを得ない。
衣類は一枚だけまとうのではなく、何枚も重ねるようになる。
そのうちの肌に近いほうが、下着化していったに違いない。

 上着が定着して初めて、下着が見せない別のものとして発生する。
下着の発生は、肉体の個人化というか、秘密化といったものを発生させた。
つまり、見せないものとしての肉体意識が生まれたのである。
そして、性的な部分をおおうものとなったので、性と秘密意識がつながり、性に羞恥心が発生した。

 清潔感や衛生意識は、ごく最近になって生まれたものである。
下着の贅沢さは、清潔さとは無関係に発達した。
当初、下着を水で洗うことは、健康に良くないとされていた。
コルセットや骨の入った下着類は、洗濯にむいた代物ではない。
パニエといった女性の下半身にまとうものも誕生したが、今日にいう下履きとしてのパンツは、まだ生まれていなかった。
窓を拭くときか、足をあげるダンサーくらいしか下履きをつけていなかった。
パンツも無用のものだ。

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 文章は資料の残っているものに頼らざるを得ない。
だから、書かれる対象はどうしても上流階級のものになりがちである。
まして上着と違って下着は、記録にも資料も残りにくいものである。
庶民の下着は判らないことが多い。
本書もそうした傾向は免れ得ず、どうしても上流階級の下着を論じるのは仕方ないことだろう。
下履きとしてのパンツは、必要不可欠な欲求によって生まれたものではない。
そのため、下着としては執着されることが、もっとも少ないものである。
ここで、話はとんで現代である。
今や下着は、保温とか保護のためにつける人はいない。
現代における下着の効用は、着衣姿をいかにきれいに見せるかである。

 下着は、体形を保つため、また体形をつくり直す、つまり修正や保護するためにあるわけだから、多くの女性は下着を捨てさって、裸になるということはしない。そこでブラジャーやガードルをそのまま保ち続けるわけである。したがって、捨てられるのは主としてパンティということになる。女性が裸であるという印象を自覚するとすれば、パンティがおおっている場所だけを裸にすればそれでいいわけである。P241
 
 衣類の歴史をさかのぼれば、装飾性が残るわけだから、パンティが残らないという指摘は肯首できる。
それはわが国の歴史を見ると、とくに強く感じるものである。

 1932年(昭和7年)に、白木屋デパートの火事があった。
その時に、女性は下履きをつけていなかったので、和服の裾の乱れを気にして、14人が墜落して死んだという。
その後、パンティをはくようになったというが、それでも戦前は1パーセント程度の普及しかなかったようだ。
だから農村部では、女性たちも立ち小便ができたのである。

 男性の下着でもおもしろいことが書かれている。

 越中褌は、明治以後になって急速に使用者が増加してきた。たとえば日本の戦前の軍隊では、第二次世界大戦終了まで越中褌を使用していたのである。越中褌は前述したように、ごく簡単に着用できるということと、衛生的だということから、今日でも年輩者の中には今だに使用している人がいるくらいである。江戸時代では越中褌を用いるのは、すでに述べたように老人とか、医師とかいうように、労働を必要としない人によってのみ使われたわけである。ということは、越中褌の場合は、しっかりまきつけているわけではないので、すぐに前がとれてしまうという不便さがあった。明治以後は、越中褌を用いた場合、ズボンとかパッチをはくというようなことをしていたから、別に不便さはなかったのである。P148

 衣類は時代をあらわす。
男女同権が定着するに従って、衣類もユニセックス化していく。
もちろん下着も男女の区別がなくなりつつある。
そうはいっても、男女に性別があり限り、見せるための衣類という欲求がなくなることはない。
とすれば、ユニセックス化が進みながら、一方では性別に固有なセクシーさも廃れることはない。
本書は、下着の今後をさまざまに考えさせてくれた。
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか」ハヤカワ文庫、1997
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、183
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004年
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
匠雅音「家考」学文社
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命 ハッカー倫理とネット社会の精神」河出書房新社、2001
マイケル・ルイス「ネクスト」アウペクト、2002
カミール・パーリア「セックス、アート、アメリカンカルチャー」河出書房新社、1995


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