匠雅音の家族についてのブックレビュー    大江戸残酷物語|氏家幹人

大江戸残酷物語 お奨度:

著者:氏家幹人(うじいえ みきと)  洋泉社、2002年  ¥720−

著者の略歴−1954年福島県生まれ。東京教育大学文学部卒業。日本近世史専攻。主な著書に「江戸藩邸物語」中公新書、「武士道とエロス」講談社現代新書、「江戸人の老い」PHP新書、「大江戸死体考」平凡社新書、「不義密通」講談社メチエ、「元禄養老夜話」新人物往来社、「江戸の少年」平凡社ライブラリーなどがある。
 残虐な犯罪が流行って、今の若い人は凶暴で恐ろしい、といった風評を耳にする。
かつては平和だったが、今は危険きわまりないと言うわけだろうか。
テレビや新聞も、凶悪犯罪の多発を報道してやまない。
しかし、それは事実ではない。
1956年には2862件もあった殺人事件は、1996年には1242件へと激減している。
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 1956年には20歳代の犯行が53.4%を占めたのに対して、1996年には21.1%へと減っている。
20歳代殺人は、実数にして1/4に減った。
代わって増えたのは、40歳代以上の殺人であり、とりわけ60歳以上の殺人は3.8%から11.3%へと3倍の増えた方である。
真実は時代が下るに従って、若者は暴力を好まなくなり、中高年齢者が凶暴になっているのだ。

 豊かな自然や質素な生活をなつかしみ、古き良き江戸時代に惹かれる人は多い。
江戸を研究対象とする筆者もその一人で、江戸時代の人々の心優しさにふれ、江戸の遊び心に共感できるようになったという。
しかし、筆者はそれだけではない。
心優しい江戸時代には、裏の面もあったことを見抜いている。

 巾着切(きんちゃっきり)は江戸の華、といわれて華麗なスリの技術を誇ったという。
現代の暴力スリとは違い、本人の知らないあいだに、財布が懐から喪失しているのだ。
もうこれは芸術としか言いようがない。
しかし、巾着切には30歳を超えた者はいなかったらしい。
というのは、30歳になる前に首を、刎ねられてしまったからだという。
平和な現代なら、スリで死刑になることは、絶対にありえない。

 筆者は江戸の犯罪に対して、次のように書いている。

 八州廻に捕縛されるまでの数年問、男が巧みな弁舌と殺人技術ですくなからぬ金を得ることができたのは、事を穏便に済ませようとする事なかれ主義だけが原因ではなかったと思う。その背景には、強請・騙り・巾着切までも生業の一つと認め、彼ら悪党の<芸>に対して少々の出費は仕方ないとする当時の常識が作用していたにちがいない。
 江戸時代、犯罪に対する制裁(刑罰)は現代とは比較にならないほど冷酷だったが、それとは裏腹に、犯罪を生業とする多彩な悪党が棲息する空間は、(中央においても地方においても)われわれの想像以上に広く奥行き豊かだったのである。P32


 これにはまったく同感である。
フウテンの寅さんではないが、テキ屋・悪党は迷惑な存在だとは思いつつも、芸としての所作には多くの人がお金を出した。
すでに廃れてしまったが、門付けに来た渡り芸人でも同じだった。
しかし今の我々は、駅前や広場でエレキ・ギターをかき鳴らす、若き大道芸人に対しても、見料を払わなくなっている。

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 職業が今日のように豊富に存在せず、人口の90%が農民だった江戸時代には、農業以外の堅気の仕事で生きていくのは、きわめて難しかったのだろう。
また、病気や怪我が死に繋がる可能性は、現在よりはるかに高かった。いつも死と隣り合わせだったろうから、天寿を全うすることも難しかった。
そして、残酷な処刑がまかり通った江戸時代は、命の値段が安かったのである。

 今日では未成年者は、残酷な殺人事件を起こしても、死刑になることは少ない。
いたいけな少年少女は、江戸時代には人殺しなどしなかったのだろうか。
そんなことはない。数えで12〜13歳の少年たちが、立派に人を殺している。
とりわけ江戸前期は、満10歳前後の少年たちが、しばしば刃傷沙汰に及んでいる。

 少年たちの流血事件の史料を見ていて、ずいぶん現代と違うなと引っ掛かったのは、過激な暴力や殺人行為を記しながら、記録者にややもすれば賞嘆の気分が感じられることである。たとえば寛文3年(1663年)に14歳の渋谷佐助と小川平三郎が死ぬまで闘った事件でも、『紅葉集』の著者は「少年ノ働き、相互に珍敷事也」と許している。両者深手を負って死ぬまで切り合うなんて立派じゃないか、という口ぶりなのだ。
 少年たちの流血沙汰にどうしてこんなに寛容なのか。江戸時代がいくら太平の世だったとはいえ、武士の時代だったことに変わりはない。武士の本質は突き詰めれば戦士であり、したがって少年たちの血を恐れぬ暴走を、男らしいと評価し喝宋する風潮が根強く残っていたのではないだろうか。
 それが限りなく暴力に近かった(あるいは暴力そのものだった)としても、死を恐れぬ行為を男(武士)らしいと容認する風は、博徒を見る武士の眼差しの<優しさ>からも感じられる。P53

                     
 近代以前を長閑な社会だと見がちだが、じつは暴力が支配していた社会だった。
農業というのは自給自足つまり自立が可能な産業である。
農民たちが自治組織を作ってしまえば、生産活動をしていない武士は、食料が入手できない。
人口の90%が農民という社会は、自立できる農民をいかに屈服させるかが、支配であり行政だった。

 今日のサラリーマンは、失業したら食う術がない。
企業の倒産は、失職につながる。
しかし、農民は土地を耕してさえいれば、食うには困らず生きてはいける。
サラリーマンに対しては、法による管理的支配が可能だが、農民の支配は法による管理ではなく、暴力による支配が不可避だった。

 暴力つまり人を殺す能力が、武士の能力であり仕事だった。
武士という人種自体が、より強い暴力を身につけることを、人生の最高目標にしているのであり、強大な暴力の持ち主はそれだけで尊敬された。
とすれば、社会の規律が暴力によって律されていたのは当然で、武士の失敗は死をもって償うのが当たり前だった。
そして、農民や街の庶民たちも、犯罪を犯せば容赦なく死罪に処せられた。

 前近代には、暴力がむきだしで眼前にあった。
支配がむきだしの暴力に支えられていれば、その社会の人々も暴力に寛容というか、暴力に馴染んでいたことも、また当然だった。
だから処刑の場面は公開され、見物客で大賑わいだったのも、ごくごく自然なことだった。

 本書は後半になるとやや迫力を欠くが、前半は暴力が支配していた江戸時代を、見事に浮き彫りにしている。
それぞれの時代を全体的にみてこそ、人間が生きていくことを、真摯に見ることができる。
(2002.9.20)
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参考:
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか」ハヤカワ文庫、1997
早川聞多「浮世絵春画と男色」河出書房新社、1998
氏家幹人「大江戸残酷物語」洋泉社、2002
福田和彦「閨の睦言」現代書林、183
田中優子「張形−江戸をんなの性」河出書房新社、1999年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
生出泰一「みちのくよばい物語」光文社、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
イザベラ・バード「日本奥地紀行」平凡社、2000
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
白倉敬彦「江戸の春画」洋泉社、2002
成松佐恵子「庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
山本昌代「江戸役者異聞」河出文庫、1993
A・B・ミッドファード「英国外交官の見た幕末維新」講談社学術文庫、1998

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