匠雅音の家族についてのブックレビュー     貧農史観を見直す|佐藤常雄

貧農史観を見直す お奨度:

著者:佐藤常雄(さとう つねお)−−講談社現代新書、1995 ¥650−

著者の略歴−1948年、秋田県に生まれる。1972年、東京教育大学農学部卒業。1974年、東京教育大学大学院修士課程修了。現在、筑波大学農林学系教授。専攻は日本農業史。主な著書に、「日本稲作の展開と構造」吉川弘文館、共著に、「江戸時代と近代化」筑庫書房

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 マルクス主義が全盛だった頃、江戸時代の農民に対する認識は、筆者も言うように次のようなものだった。

 「農民は幕藩領主から年貢を収奪されるだけの存在であり、常に農民の生産と生活は過重労働と過少消費にさらされている」p.110
 
 物が溢れた今日の生活から見れば、江戸時代の農民の生活は厳しいものだったろう。
不衛生は環境、短い寿命など、肉体労働が支配していた時代、人々の生活は過酷だったことは間違いない。
しかし、「貧農史観」は豊かな現代のものではない。
わが国が貧しかった時代の歴史観であり、
しかもそれは体制への叛逆の思想や運動に裏付けられていた。

 支配者だけが贅沢な生活をし、庶民は虐げられ厳しい生活に追いやられている。
それを何とかせねばという、溢れんばかりの正義感に支えられていたといっても過言ではない。
「貧農史観」は庶民の生活を改善しようとする熱意からでたもので、
農民を貧農と見なしても、決して江戸時代の農民を蔑視しているものではなかった。
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 江戸時代は武士が威張っており、庶民は斬り捨てられても文句が言えなかった、とも言われる。
しかし、農民=庶民は支配を支える底辺であり、庶民がいなかったら支配は成り立たない。
とすれば庶民を斬り殺すことが、公に許されていたとは考えられない。

 どうしてこんな簡単なことが判らなかったのであろうか。
しかも、優秀な学者ほど、こうした歴史観に染まっていたのである。
彼等の庶民に対する熱烈な愛情がなさせたのだろうが、真実を見るうえでは大変な障害だった。
むしろ庶民の生活改善どころか、当時の支配者を肯定する役割すら果たしてしまった。
希望的な願望=イデオロギーが、歴史や事実を見る目を歪めてしまったのである。
 
 全5冊の<新書・江戸時代>は、今までの江戸時代への常識を問いなおす企画で、
本書はその第3巻である。本書のシリーズは、事実を事実としてみようという前提の上に展開されている。
実証を旨とする歴史観である。
イデオロギー優先の視点は、とかく実証を欠きがちになるが、
反対に事実に拘る姿勢は、体制肯定派になりがちである。
歴史観は政治力学の下にあり、つねに時代に翻弄される運命にあるとしても、
事実をきちんと掘り起こす作業は不可欠である。
こうした歴史書が登場するのは不可避である。

 「貧農史観」は非支配者を解放するイデオロギーに縛られていたが、
女性解放の「男性悪者観」もイデオロギーの縛りにあっている。
女性が虐げられてきた、女性を解放しなければいけない。
とすれば、悪いのは男性社会支配だ。
女性を解放したという願望に満ちた思考構造が、
通俗的なマルクス主義と結びつくとき、フェミニズムはみずみずしい命を失う。
本書が教えてくれるのは、いつの時代にも通用する事実を見る目である。
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参考:
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
H・G・ポンティング「英国人写真家の見た明治日本」講談社、2005(1988)
A・B・ミットフォード「英国外交官の見た幕末維新」講談社学術文庫、1998(1985)
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
松原岩五郎「最暗黒の東京」現代思潮新社、1980
イザベラ・バ−ド「日本奥地紀行」平凡社、2000
リチャード・ゴードン・スミス「ニッポン仰天日記」小学館、1993
ジョルジュ・F・ビゴー「ビゴー日本素描集」岩波文庫、1986
アリス・ベーコン「明治日本の女たち」みすず書房、2003
渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社、2005
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
雨宮処凛「生きさせろ」太田出版、2007
菊池勇夫「飢饉 飢えと食の日本史」集英社新書、2000
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988
ポール・ウォーレス「人口ピラミッドがひっくり返るとき高齢化社会の経済新ルール」草思社、2001
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
塩見鮮一郎「異形にされた人たち」河出文庫、2009(1997)
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
杉田俊介氏「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
横山源之助「下層社会探訪集」文元社
大山史朗「山谷崖っぷち日記」TBSブリタニカ、2000
三浦展「下流社会」光文社新書、2005
高橋祥友「自殺の心理学」講談社現代新書、1997
長嶋千聡「ダンボールハウス」英知出版、2006
石井光太「絶対貧困」光文社、2009
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005
雨宮処凛ほか「フリーター論争2.0」人文書院、2008 
金子雅臣「ホームレスになった」ちくま文庫、2001
沖浦和光「幻の漂泊民・サンカ」文芸春秋、2001
上原善広「被差別の食卓」新潮新書、2005
M・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか 


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