著者の略歴−1860年、パリに生まれる。1872年エコール・デ・ボザール美術学校に入学。1 882年来日。1895年佐野マスと結婚。1899年佐野マスと離婚して、帰国。マ ルグリット・デスプレと再婚。1927年心臓発作で67才にて死去。「ビゴー日本素描集:続」岩波文庫、1992 本書は、1882年(明治15年)から18年間にわたって、 わが国に滞在したフランス人の描いた素描集である。 わが国近代化を始めてから、まだ150年くらいしかたっていないが、前近代の面影はすでにない。 明治のはじめには、江戸時代の名残がたくさんあったはずである。 それは今アジアを歩くと見ることのできるものと、共通しているように感じる。
現代に生きる我々は、いまを生きるの忙しいので、つい今のアジアとわが国を比較しがちである。 しかし、今のアジアは、かつての日本と比べるべきである。 近代化とは普遍的現象である。 近代化が始まると、どんな社会も同じ現象を呈すると見たほうが、正確だろう。 浮世絵に魅せられて来日したビゴーだが、当時のわが国は混沌としていた。 洋装と和服が混在し、近代化と前近代が同居している。 軍人や成金が跋扈し、前近代に生きる人はそれには無関心だったに違いない。 現実のわが国は、浮世絵のように華やかな街並みではなく、黒っぽく薄汚れた家の連なりだった。 しかし、当時のわが国がもっていたエネルギーにひかれて、彼は日本そのものを描くようになり始める。 どうしたわけか、彼は自由民権運動に心を寄せ、官憲から好ましくない人物と目される。 官憲の尾行がつき、自由に行動できなくなる。 近代化の中で、日本人が初めて経験するものがたくさんあった。 列車に乗るというのも、初めての経験である。 しかも、事前に切符を買うというのも、初めての経験である。 列車での別れと見送り、車中の様子などが、彼の筆によって生き生きと描かれている。 室内では履き物を脱ぐ習慣だったので、列車に乗るときにも履き物を脱いでしまい、 プラットフォームに置き去りにしてしまう人々。 そうしたことが度々あったらしい。 車内でのマナーを守らせるために、鉄道犯罪罰例ができたりした。 日本人の生活習慣も良く観察されている。 指で歯を磨いていたり、上半身をはだけて顔を洗うとか、いまでも懐かしい風景である。 近代以前には、公衆がいなかったのだから、公衆道徳なるものはなかった。 わが国も150年という時間をかけて、公衆道徳をつくってきたのである。 そのために今では、列に割り込む人も少なくなったし、道端で痰を吐く人もいなくなった。 もちろん、道端で大小をする人など想像しようもない。 今、近代化の最中にあるアジアでは、伝統的社会の生活習慣がそのまま表に現れている。 明治の初め、すでに写真も発明はされていたが、同時にスケッチも多用されていた。 そうしたスケッチが、今日の我々に当時の生活を教えてくれるのである。 ビゴーと同じように活躍した人物に、イギリス人のワーグマンがいる。 外国人の書いた文章もおもしろいが、こうした素描集も実に興味深い。 (2002.11. 1)
参考: 杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994 H・G・ポンティング「英国人写真家の見た明治日本」講談社、2005(1988) A・B・ミットフォード「英国外交官の見た幕末維新」講談社学術文庫、1998(1985) 杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994 松原岩五郎「最暗黒の東京」現代思潮新社、1980 イザベラ・バ−ド「日本奥地紀行」平凡社、2000 リチャード・ゴードン・スミス「ニッポン仰天日記」小学館、1993 ジョルジュ・F・ビゴー「ビゴー日本素描集」岩波文庫、1986 アリス・ベーコン「明治日本の女たち」みすず書房、2003 渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社、2005 湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005 M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫、1989 アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999 江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967 桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001 G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000 桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984 ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998 オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975 E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951 アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988 イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001 ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997 橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984 石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007 梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000 小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001 前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001 フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001 ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979 エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951 ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985 成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000 デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
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