匠雅音の家族についてのブックレビュー    武士の娘|杉本鉞子

武士の娘 お奨度:

著者:杉本鉞子(すぎもと えつこ)
ちくま文庫、1994(筑摩書房、1967)年  ¥816−

著者の略歴−1873(明治6)年、新潟・長岡藩の家老の娘として生まれ、武士の娘としてのきびしい躾と教養を身につける。渡米して貿易商杉本氏と結婚。夫の死後ニューヨークに住み雑誌「アジア」に「武士の娘」を連載、7ケ国語に訳され好評を得る。コロンビア大学で日本文化史を講義するなど活躍した。
 1873年(明治6年)に、長岡藩の家老、稲垣家に生まれた女性の見聞録である。
原文が英語で書かれた本書は伝記的な色彩が強いが、
原題は「The Daughter of the Samurai」ではなく、「A Daughter of the Samurai」だと、
あとがきにある。
これは筆者の伝記として読むのではなく、
この時代に生きた武士の娘の一般論として読んで欲しいのだろう。
筆者という個人と、同時代の同じ立場の人間が、同じ感受性をもったという確認であろう。
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 江戸時代までを前近代といって、現在とはまったく違った価値観がいきていた。
それがこの本を読むと、実に良く判る。
前近代とは、ある完結した価値観の大系があって、
その価値観にしたがって人々は生きていた。
それを筆者は自覚しているがゆえに、個人の自伝ではないというのだろう。
その価値観は現在から見ると、ひどく違ってはいるが、
どちらが優れているといったものではない。
だから日露戦争の時に、わが国の戦艦に乗った西洋の観戦武官たちが、我が将軍たちの有能さ・立派さに驚いたというのだ。

 前近代と近代は、価値の体系が違うだけであって、両者のあいだに人間的な優劣はない。
ただし、近代のほうが武力や経済力に優れていたので、
それをもって近代のほうが優れているということはできるが、
そこに生きる人間的な魅力といったものは別なのである。
近代の経済的な優位性に惑わされて、時代や社会とそこに生きる個人の人格に、区別のつかなくなることが多い。

 筆者が生まれたときは、すでに明治になっていたとはいえ、
長岡は江戸から遠かったので、近代化の波は届いていなかった。
そのため、筆者は武士の娘として、養育された。
次女だったことなどにより、筆者は尼になるように教育されたことも手伝って、女性でありながら男性的な教養も身につけた。

 当時、女の子が漢籍を学ぶということは、ごく稀れなことでありましたので、私が勉強したものは男の子むきのものばかりでした。最初に学んだものは四書−即ち大学、中庸、論語、孟子でした。
 当時僅か6歳の私がこの難しい書物を理解できなかったことはいうまでもないことでございます。私の頭の中には、唯たくさんの言葉が一杯になっているばかりでした。もちろんこの言葉の裏には立派な思想が秘められていたのでしょうが、当時の私には何の意味もありませんでした。P31


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 同じように教育された男性だって、6才で四書がわかるはずがない。
ただ頭から暗記させるのが、当時の教育だった。
それでも人格者は生まれたが、新たな社会を生みだす開発力は育たなかった。
そこでは、当人の人生は自分で決めることはできずに、年長者たちが最良の道を選んで決定した。
親族会議によって、筆者の婚約=結婚が決まるのである。

 母は優しく「ヱツ子や、神仏の御守りあって、お前の嫁入先が定まりました.兄上はじめ皆々さまのお計らい故、よくよくお礼を申し上げなさい」と申しました。
 私は額が畳にぴったりつく程に丁寧にお辞儀をして、また部屋に帰り手習をつづけました。当時婚約は、私個人の問題ではなく、家全体のかかわることと思っていましたから、誰方のところへと尋ねてみようとも思いませんでした。その時分の日本の女の子の常で、ごく幼い頃から、私もいつかは必ずお嫁にゆくものと思っていましたが、それがいつのことかも知らずその時を待っていたのでもなく、恐れていたのでもなく、全く考えてもみませんでした。まだ13歳にも満たない私のことでございますから、何もかも人任せでありました。当時の女はみなこんな風だったのでございます。P112


 筆者の婚約相手とは、兄の親友でアメリカに行っていた。
そのため、筆者は婚約期間中に、東京で英語を勉強し、20才の頃に渡米する。
当時の日米間の懸隔たるや、現在の比ではない。
しかし、筆者の肝の座り方は、驚愕に値する。
まさに武士の教育の賜物であろう。

 アメリカの第1年は、まごつきながら、唯あわただしく暮れてしまいましたが、それは幸福な1年でありました。日本の女は、幼い頃から、定められた家に嫁いで一生を終るものと思いこんでおりますので、花嫁が生家を恋しがるということはありません。結婚は、人生の学校へあがるのと同じに、当り前のことと思っていますし、学投では、勉強しなければ運動場へ出て遊ぶということはないのですから、家庭に入れば、苦労なしに幸福をこいねがうということもない筈でございます。P192

 その後、2人の娘をもうけたが、夫の死により帰国する。
しかし数年後、娘の教育のために、ふたたび渡米した。
本書には、すでに知ることのできないわが国の旧習がたくさん記されている。
たとえば、寝るときの姿勢が、<き>の字になるように躾けられたという。
また武士と庶民では挨拶の仕方から、歩き方まで違ったこと。
だから裸になっても、どの階級に属するのか、一目でわかったという。

そして、上級階級の者は、恥にならぬようにと、身を引き締めて生きたこともわかる。

 当時のわが国の武士夫婦は、夫が外回り、妻が家計を切り盛りしていた。
収入の大半を妻が管理していたのは、現在のわが国と変わらない。
しかし、アメリカでは違って、財布の紐は男性が管理しており、妻はわずかのお金も自由にできなかった。
そのことに筆者はとても驚いている。

 婦人が自由で優勢な、このアメリカで、威厳も教養もあり、一家の主婦であり、母である婦人が、夫に金銭をねだったり、恥しい立場にまで身を置くということは、信じられそうもないことであります。
 私がこちらへ参ります頃は、日本はまだ大方、古い習慣に従って、女は一度嫁しますと、夫にはもちろん、家族全体の幸福に責任を持つように教育されておりました。夫は家族の頭であり、妻は家の主婦として、自ら判断して一家の支出を司っていました。家の諸がかりや、食物、子供の衣服、教育費を賄い、又、社交や、慈善事業のための支出を受持ち、自分の衣類は、夫の地位に適わせるよう心がけておりました。P216

 これは今日に続く男女の立場として、考えさせられる。
アメリカの女性は、経済的にまったく夫に寄生せざるを得なかった。
それが、女性の経済的な自立をめざしたフェミニズムへとつながったのだろう。
家庭内の経済を、女性が一手に取り仕切っていたわが国とは、いささか事情が違うようだ。

 蓄えが乏しくなり、生活の道に困り始めたとき、筆者はさまざまな雑誌や新聞に投稿する。
投稿したものの、ボツになって毎日にように返送される。
しかし、筆者は挫けることはなく投稿を続け、とうとう分筆で生計をたてるまでになる。
筆者のプライドの持ち方には、本当に感動した。

 現在では、もうこうした時代へと戻ることはできないし、戻ることは時代錯誤である。
しかし、どんな時代、どんな社会に生きる人間も、その生きようにおいては等価であり、
美しい生き方があるのだ、と本書は感じさせてくれた。
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参考:
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