匠雅音の家族についてのブックレビュー    ふざけるな専業主婦−バカにバカといってなぜ悪い|石原里紗

ふざけるな専業主婦
  バカにバカといってなぜ悪い
お奨度:

著者:石原里紗(いしはら りさ)−新潮文庫、2001年 ¥524−

著者の略歴−『金なし知名度なしで選挙に出る法』ダイヤモンド社で著作デビュー。その後『ふざけるな専業主婦』ぶんか社でブレイク。異論、反論、言いがかりも含め、あまりの反響のため『くたばれ!専業主婦』『さよなら専業主婦』共にぶんか社と立て続けに刊行。日々、専業主婦と熱いバトルを繰り広げている。最新刊に『おまえとは寝たいいだけ』(知恵の森文庫)がある。
 本書は「さようなら専業主婦」「くたばれ専業主婦」シリーズの第1弾である。
文体は謙虚さを装っているが、内容はなかなかに本物である。
こうしたライターの手になるものは、読みやすい文体をとるので、部数ものび広く読まれる。
本書も反響が大きかったらしく、すぐに続いて上記の2冊が出版された。
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 専業主婦が1千万人を超えるわが国では、声にならない専業主婦の居直りが感じられる。
また専業主婦擁護論も多い。
それは主婦も立派な職業だといったものから、アンペイドワークの評価といったいったものまで、さまざまにある。
専業主婦は大事にされている。
フルタイムで働く女性には、夢のような待遇が用意されている。

 フェミニズムがいう女性の台頭とは、主婦達がエプロンを捨てて、職業を求めて家をでたことを意味する。
だからアメリカの女性運動は、最初から専業主婦擁護をとらなかった。
しかしわが国では、女性の自立が歪曲され、女性であることが価値のあることになってしまった。
そのため、専業主婦と働く女性の区別がつかず、とにかく女性なら連帯してフェミニズムといった風潮ができてしまった。

 専業主婦達が、自分の立場を肯定したいのはよくわかる。
家事にいそしむ自分が無価値だといわれるのは、耐えられないだろう。
しかし、フェミニズムの信奉者達が、専業主婦について次のように言うのは信じられない。

面白かったのは、女性の中でも、いわゆる「フェミニスト」を名乗る人たちの意見です。
「専業主婦だって、男性社会が生み出した被害者です」
「専業主婦と兼業主婦という分け方自体がナンセンス! そんなことをして、女性同士がいがみ合っていては、敵(男性)の思うつぼです!」
これにはびっくりしました。男性と女性って、二手に分かれて争っていたんでしたっけ? 私は知りませんでした。それに、男性社会の被害者って言いますけれど、社会を構成しているのは、半分は女性です。男性対女性という分け方をしたって、どちらか片方に一方的に有利な社会を作
ることができるでしょうか。いまのこの社会を作ってきたのは、男性だけではないはずです。
また、誰かが無理矢理専業主婦を強制しているんでしょうか。それぞれの意思で、働いたり、働かなかったりしているんじゃないんですか? それなのに、被害者……。加害者はいったい誰なんでしょう。P60


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 女性が差別されていることを告発するには、ウーマン・リブやフェミニズムは好都合だった。
しかし、女性も社会を支える一員として、男性と対等にたとうとすると、
わが国のフェミニストは女性の足を引っ張るものになってしまった。
筆者のような女性を、フェミニズムは取り込むことこそ望まれ、
こうした意見を書かれるようでは、わが国のフェミニズムは救いようがない。

「私は大学を出ていなくて、苦労したからうちの○○には……」とか、「私は小さい頃、ピアノを習いたかったから、娘には……」とか、「主人の子どもの頃の夢がサッカー選手だったからその夢を息子に」 って言う人たち、いますよね。
私がどうしても理解できないのは、こういう人たちの理屈です。
自分が苦労したと思うなら、いまから大学に行けばいいじゃないですか。高校を出ていれば、いまからでも受験のチャンスはあるし、高校も中退してしまったなら、大検という方法もあるんです
から。いまどき、働きながら夜間の大学に通う人や、主婦をしながら大学院に通う人だって、いくらでもいます。P118

 これこそフェミニズムが主張すべき視点であって、
こうした建設的な姿勢が女性の地位を高める。
にもかかわらず、わが国のフェミニストは専業主婦という立場を認め、専業主婦は被害者だという。
わが国のフェミニストは、すでに死んだと言っても良い。
おそらくフェミニズムを罵倒する本書のような形で、女性の自立は少しずつ続いていくのだろう。

 不景気で男性の職場が少なくなり、女性も生活をかけて働かなければならない。
そんな時代がすぐ目の前に来ようとしている。
にもかかわらずフェミニストたちは、専業主婦を擁護し続けるのだろうか。
本書は軽い読み物ではあるが、凡百のフェミニストの本よりはるかに説得力がある。
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参考:
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
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黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
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S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
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瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、
I・ウォーラーステイン「新しい学 21世紀の脱=社会科学」藤原書店、2001
レマルク「西部戦線異常なし」新潮文庫、1955
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
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G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
オルテガ「大衆の反逆」白水社、1975
E・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
田川建三「イエスという男」三一書房、1980
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
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ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


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