著者の略歴−『金なし知名度なしで選挙に出る法』ダイヤモンド社で著作デビュー。その後『ふざけるな専業主婦』ぶんか社でブレイク。異論、反論、言いがかりも含め、あまりの反響のため『くたばれ!専業主婦』『さよなら専業主婦』共にぶんか社と立て続けに刊行。日々、専業主婦と熱いバトルを繰り広げている。最新刊に『おまえとは寝たいいだけ』(知恵の森文庫)がある。 本書は「さようなら専業主婦」「くたばれ専業主婦」シリーズの第1弾である。 文体は謙虚さを装っているが、内容はなかなかに本物である。 こうしたライターの手になるものは、読みやすい文体をとるので、部数ものび広く読まれる。 本書も反響が大きかったらしく、すぐに続いて上記の2冊が出版された。
専業主婦が1千万人を超えるわが国では、声にならない専業主婦の居直りが感じられる。 また専業主婦擁護論も多い。 それは主婦も立派な職業だといったものから、アンペイドワークの評価といったいったものまで、さまざまにある。 専業主婦は大事にされている。 フルタイムで働く女性には、夢のような待遇が用意されている。 フェミニズムがいう女性の台頭とは、主婦達がエプロンを捨てて、職業を求めて家をでたことを意味する。 だからアメリカの女性運動は、最初から専業主婦擁護をとらなかった。 しかしわが国では、女性の自立が歪曲され、女性であることが価値のあることになってしまった。 そのため、専業主婦と働く女性の区別がつかず、とにかく女性なら連帯してフェミニズムといった風潮ができてしまった。 専業主婦達が、自分の立場を肯定したいのはよくわかる。 家事にいそしむ自分が無価値だといわれるのは、耐えられないだろう。 しかし、フェミニズムの信奉者達が、専業主婦について次のように言うのは信じられない。 面白かったのは、女性の中でも、いわゆる「フェミニスト」を名乗る人たちの意見です。 「専業主婦だって、男性社会が生み出した被害者です」 「専業主婦と兼業主婦という分け方自体がナンセンス! そんなことをして、女性同士がいがみ合っていては、敵(男性)の思うつぼです!」 これにはびっくりしました。男性と女性って、二手に分かれて争っていたんでしたっけ? 私は知りませんでした。それに、男性社会の被害者って言いますけれど、社会を構成しているのは、半分は女性です。男性対女性という分け方をしたって、どちらか片方に一方的に有利な社会を作ることができるでしょうか。いまのこの社会を作ってきたのは、男性だけではないはずです。 また、誰かが無理矢理専業主婦を強制しているんでしょうか。それぞれの意思で、働いたり、働かなかったりしているんじゃないんですか? それなのに、被害者……。加害者はいったい誰なんでしょう。P60
しかし、女性も社会を支える一員として、男性と対等にたとうとすると、 わが国のフェミニストは女性の足を引っ張るものになってしまった。 筆者のような女性を、フェミニズムは取り込むことこそ望まれ、 こうした意見を書かれるようでは、わが国のフェミニズムは救いようがない。 「私は大学を出ていなくて、苦労したからうちの○○には……」とか、「私は小さい頃、ピアノを習いたかったから、娘には……」とか、「主人の子どもの頃の夢がサッカー選手だったからその夢を息子に」 って言う人たち、いますよね。 私がどうしても理解できないのは、こういう人たちの理屈です。 自分が苦労したと思うなら、いまから大学に行けばいいじゃないですか。高校を出ていれば、いまからでも受験のチャンスはあるし、高校も中退してしまったなら、大検という方法もあるんですから。いまどき、働きながら夜間の大学に通う人や、主婦をしながら大学院に通う人だって、いくらでもいます。P118 これこそフェミニズムが主張すべき視点であって、 こうした建設的な姿勢が女性の地位を高める。 にもかかわらず、わが国のフェミニストは専業主婦という立場を認め、専業主婦は被害者だという。 わが国のフェミニストは、すでに死んだと言っても良い。 おそらくフェミニズムを罵倒する本書のような形で、女性の自立は少しずつ続いていくのだろう。 不景気で男性の職場が少なくなり、女性も生活をかけて働かなければならない。 そんな時代がすぐ目の前に来ようとしている。 にもかかわらずフェミニストたちは、専業主婦を擁護し続けるのだろうか。 本書は軽い読み物ではあるが、凡百のフェミニストの本よりはるかに説得力がある。
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