匠雅音の家族についてのブックレビュー    精神分析に別れを告げよう−フロイト帝国の衰退と没落|ハンス・J・アイゼンク

精神分析に別れを告げよう
フロイト帝国の衰退と没落
お奨度:

著者:ハンス・J・アイゼンク 批評社、1988年 ¥3、500−

著者の略歴−1916年ドイツに生まれ、フランスの大学を卒業。ロンドン大学で心理学 の博士号を取得。行動療法を体系化した臨床心理学者である。ロンドン大学教授、モーズレー病院に勤務。
マルクスが凋落したのに、なぜフロイトだけがこうも跋扈するのだろう。
フロイトは精神分析を始めた男として名高いが、
今や医療の世界ではだれもフロイトを使ってはいない。
にもかかわらず、社会科学や人文科学の世界では、いまだにフロイトは大手を振ってまかりとおっている。
フェミニズムも、女性蔑視の権化であるフロイトの軍門に下ってしまった。

 本書は、精神分析に最後通牒を突きつけている。
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筆者が本書を執筆した動機は、つぎの2つだという。

1.精神分析によって多くの患者が苦痛を受け、悪 化している現状を見かねたこと
2. 非科学的な精神分析の影響で、精神医学と心 理学が立ち遅れていること


 そうだろうと思う。
私も、フロイトの論を読んで、どうしても納得いかないのは、
女性がペニス・コンプレックスをもつというのを、生理的な事実として説明することである。
女性が男性に引け目を感じるのが事実だとしても、
それは社会的な男女関係の反映であり、生理的な構造の問題ではないだろう。
社会的な眼をもたないフロイトは、人間に表れてくる言動をすべて、生理的な資質で説明しようとする。
 私は、フロイトを近代の男性支配が強くなった社会に現れた一種の予言者だと考えている。
だから、フロイトの理論は、男女による性別分業が厳しくなっている社会でのみ適合し、
けっして普遍的なものではないと思う。
当時は一面の真理はあったかもしれないが、いまでは役に立たない代物である。
マルクスと同じように、彼も歴史の博物館に入れるべきだろう。

  フロイトの研究は、臨床医学として始まったはずである。
患者を治療して、はじめて彼の理論が正しい、と立証されるはずである。
しかし、彼は自分の治療にかんして、きちんとした立証をしていない。
ヒステリーの女性「ドラ」の話が有名だが、それとても彼の治療の効果は疑わしい。

 筆者は本書において、フロイトの研究をひとつひとつ論駁していく。
少なくとも、フロイトの書物を読むよりも、ずっと説得的である。
もちろん後年になって書く方が、有利なのは事実であるが、
フロイトの理論はフロイトの本を読んでいる最中から、疑問が次々に発生する。
しかも、その疑問はフロイトの理論の根幹を、疑わしく感じさせるものばかりである。
そして、フロイトの論は断定が多く、事実の積み重ねではない。

 本書を私が信頼する根拠の一つは、マーガレット・ミードにかんする次の記述からである。

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 ミードはサモアを、少年少女が緊張せず、性的問題もなく 、結果を深刻に考えない牧歌的な恋愛が行われる熱帯の楽園、協力の精神に富んで争いはなく、犯 罪もなく、何よりも幸福と満足の美しい感覚を備えた理想的な社会として描いています。しかし奇妙なことには 、それはフロイトが描いた抑圧、神経症的葛藤のない理想の世界にかなり似ていると多くの読者に感じられました。多くのひとびとが、マーガレット・ミードの描いたサモアを努力して実現すべき一種の性的ユートピアと受け取り、西洋世界にもおなじようなものを作りたいという希望を持ちました。フリーマン(デレック・フリーマン著「マーガレット・ミ ードとサモア」のこと)が明確にしたように、現実は正反対です−サモアは記録された文化の中では最も強姦の頻度が高く、男性は敵意に満ちて争いが多く、嫉妬のために自分の女性の処女性を守り、猛烈に好戦的で攻撃的です! フロイトの人類学への批判の中で、マーガレット・ミードの発見をもとにしているものは的外れだと除外しておくのが安全です。P198
 
自分の論の正しさを証明するためには、自分に都合のいいものばかりを並べたくなる。
しかし、筆者はそれをしていない。
私は自分の家族論や女性論を構築するために、ずいぶんと人類学にもお世話になった。
その過程で、ミードの話は何度も目にした。
ミードの杜撰さは有名であり、途上国を美しく描くのは、まず疑ったほうが良い。
だから、この話は納得がいく。

 それと思う一つ、フロイトが死滅しない理由がある。
フランスでも未だにフロイトは猛威を振るっているそうだが、
フランス現代思想がフロイトに依拠しているので、
フランスはかんたんにフロイトの旗を降ろせないのだろう。
フランス現代思想が残るのは、本国とアメリカ東部の一部、それにわが日本である。

 とすれば、わが国でもフロイトが廃れないのは、よく理解できる。
実はフランス現代思想も、もう命脈が尽きている。
しかし、それを飯の種にしてきた人が沢山いるので、
いまだにフランス現代思想といわれるだけである。
フランス現代思想を信奉するかぎり、フロイトの命は延命してしまうのである。

  わが国の大学界にかぎらず社会的な風潮は、ヨーロッパ指向が強い。
アメリカとの戦争に負けたせいでか、または平等ということを認めたくないのか。
映画にしてもなぜか判らないが、ヨーロッパ映画のほうを高く評価する偏見がある。
実際にはヨーロッパ映画の無力さははっきりしているのに、
それを認めないることができない。
同じようにアメリカの思想を認めないのである。

 アメリカをプラグマティズムというだけで、
アメリカの覇権力が何に基づいているか考えない。
だから、フランス現代思想にしがみつきたいのだ。
その支えが、ドイツ人のフロイトだとすれば、
反アメリカのためにもフロイト支持の旗は降ろせないに違いない。
しかし、不幸なことである。
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参考:
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
松本彩子「ピルはなぜ歓迎されないのか」勁草書房、2005
榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973
ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000
沢山美果子「出産と身体の近世」勁草書房、1998
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史」勁草書房、1994
ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999
小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP研究所、1999
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松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981
ハンス・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
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佐藤早苗「アルツハイマーを知るために」新潮文庫 2007年
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熊篠慶彦「たった5センチのハードル」ワニブックス、2001
正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
加藤康昭「日本盲人社会研究」未来社、1974
北島行徳「無敵のハンディキャップ」文春文庫、1997
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御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

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アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
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G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
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アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」みすず書房、1988
イマニュエル・ウォーラーステイン「新しい学」藤原書店、2001
田川建三「イエスという男」三一書房、1980
ポール・ファッセル「階級「平等社会」アメリカのタブー」光文社文庫、1997
橋本治「革命的半ズボン主義宣言」冬樹社、1984
石井光太「神の棄てた裸体」新潮社 2007
梅棹忠夫「近代世界における日本文明」中央公論新社、2000
小林丈広「近代日本と公衆衛生」雄山閣出版、2001
前田愛「近代読者の成立」岩波現代文庫、2001
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
フランク・ウェブスター「「情報社会」を読む」青土社、2001
ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」紀伊国屋書店、1979
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」創元新社、1951
ハワード・ファースト「市民トム・ペイン」晶文社、1985
成松佐恵子「庄屋日記に見る江戸の世相と暮らし」ミネルヴァ書房、2000
デビッド・ノッター「純潔の近代」慶應義塾大学出版会、2007
北見昌朗「製造業崩壊」東洋経済新報社、2006
小俣和一郎「精神病院の起源」太田出版、2000
松本昭夫「精神病棟の20年」新潮文庫、2001
斉藤茂太「精神科の待合室」中公文庫、1978
ハンス・アイゼンク 「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
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古舘真「男女平等への道」明窓出版、2000
ジル・A・フレイザー「窒息するオフィス」岩波書店、2003
三戸祐子「定刻発車」新潮文庫、2005
ケンブリュー・マクロード「表現の自由VS知的財産権」青土社、2005
フリードリッヒ・ニーチェ「悦ばしき知識」筑摩学芸文庫、1993
ソースティン・ヴェブレン「有閑階級の理論」筑摩学芸文庫、1998
リチヤード・ホガート「読み書き能力の効用」晶文社、1974
ガルブレイス「ゆたかな社会」岩波書店、1990
ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、2000
C.ダグラス・ラミス「ラディカル デモクラシー」岩波書店、2007
オリーブ・シュライナー「アフリカ農場物語」岩波文庫、2006
エマニュエル・トッド「新ヨーロッパ大全」藤原書店、1992


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