匠雅音の家族についてのブックレビュー    個室群住居−崩壊する近代家族と建築的課題|黒沢隆

個室群住居
崩壊する近代家族と建築的課題
お奨度:☆☆

著者:黒沢隆(くろさわ たかし)−住まいの図書館出版局、1997年 ¥2、300−

著者の略歴−1941年東京生まれ。1965年日本大学理工学部卒業。1967年3月まで東京大学教養学部研究生を経て、日本大学大学院理工学研究科人学。1971年同、大学院博士課程修了。大学院在学中より芝浦工業大学建築工学科、山脇学園短期大学、日本大学理工学部、東海大学工学部、東京芸術大学講師を歴任。1973年より黒沢隆研究室を開設し住宅、集合住宅を中心とした設計活動を続ける。学生時代より建築雑誌に「個室群住居」をテーマにした投稿を行ない、住宅の中の家族と個室の在り方に視点を向けた建築論を展開する。現在、早見芸術学園理事長。日本大学芸術学部、生産工学部講師。主な著書に、『住宅の逆説−生活編』レオナルドの飛行機出版会(1976)、『翳りゆく近代建築』彰国社(1979)、『建築家の休日』丸善(1987)、『近代=時代のなかの住居』(1990)など多数。
 本書は、1968年に発表された「個室群住居とは何か」がもとになっている。
後半は作例が図面と共に掲載されている。
建築設計者のあいだでは、個室群住宅という言葉は、誰一人知らぬ者はいないくらいに有名である。
その割には、筆者の名声はそれほど高くない。
「個室群住居とは何か」を発表した当時、筆者がまだ学生だったこともあって、親分子分といった人間関係や勢力関係が邪魔して、筆者の名声を高めさせなかったのだろう。
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 高度成長期にあったわが国は、核家族の大切を訴えなければならず、家族の崩壊は容認できなかった。
しかし時代は、家族の崩壊を予見しており、個室群住居に思いをはせても良かった。
この時点で本論が広く読まれていれば、今日のような家族への戸惑いはなかったろう。
この優れた概念が、世に広まらなかったのは、とても残念である。
優れた概念の普及も、時代の要求に従うということか。
早すぎたのである。やっと、単行本として世にでた。

 本書の第一論文である「個室群住居とは何か」だけをとっても、現在再読する価値は充分にある。
私の単家族論にも大きく影響を与えた。
本書は家族論としてもいまなお輝きを失っていない。
近代住居の要件として、筆者は次の2つをあげる。

1. 単婚の家族によって住まわれている。=単婚の家族とは、父系制単婚小家族を意味するが、普通の言葉でいえば核家族である。
2. 住居が仕事場から分離された私生活の場である。=職住の分離が、ベッドタウン を生んだのは自明だろう。

しかも、単婚家族は産業革命を契機とするのではないという。

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 単婚家族は中世から現代までをつらぬく西欧社会の基本的な家族像であった。P12

 この指摘が正しいとしても、核家族は近代の産業と馴染みが良かったことは変わらない。
そして、筆者は近代住宅の建築的特性を次のようにいう。

 近代住居一般では「LR+ΣBR」なる数式をもって家屋構造を現わす。つまり、居間(LR)ひとつと、寝室(BR) いくつかから住居の基本構成がなされる、という意味である。(中略) では子供部屋はどうだろうか、それが ただの寝室でないことは明らかである。それは個人用の部屋すなわち個室である。(中略)したがって「LR+ΣBR」は「LR+BR+Σ子供部屋」と書かなければならない。P15

までは、たやすく肯首できるだろう。
筆者は1968年当時、すでに次のように言っていた。

 賃金労働の定着と重大なかかわりのもとに誕生した近代住居は、やはり第二次産業を基幹産業とする社会に のみ有効なのであって、第三次産業を基幹産業とする現代社会にとってその意味をもたない。P21

 近代住居における「社会−家庭−個人」という段階構成が、いまや「社会−個人」という直接の関係に転化してしまった。「一体的性格」のある夫婦は夫婦ふたりで社会的一単位を構成するが、いまや、夫もそして妻も共に 社会的な一単位であり、夫婦あわせれば社会的には二単位の生活となる。それはふたつのパブリックな生活と、ふたつのプライベートな生活の共存である。こうして「家族」ということそのものの意味が失われる。あきらかに「家庭」は消滅したというべきであろう。P22

 本文が書かれているのは、1968年であることを思い出して欲しい。
あまりの先進性に、ただ黙るより他はない。
そして、論理は次のように展開する。
現代では核家族はもはやその内実はないので、個人だけがむきだしで社会に存在する。
だから住宅のかたちも、個室がそのまま住宅の単位となる。
つまりΣ個室あるいはΣIRで表される個室群住宅である。
ここには居間はある必要はなく、その機能はコミュニティによってになわれる、と実に明快である。

 まだ時期尚早といわれるボクの単家族論と、何ら変わることはない。
この先蹤者に敬意を感じる以外にはない。
社会学として家族論をやるにしろ、建築として住宅設計をやるにしろ、本書は必読である。
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参考:
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
今一生「ゲストハウスに住もう!」晶文社、2004年
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫 2008(2001)
青山二郎「青山二郎文集」小沢書店、1987
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002

谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004年 
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
野村雅一「身ぶりとしぐさの人類学」中公新書、1996
永井荷風「墨東綺譚」新潮文庫、1993
服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
エドワード・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、2000
高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命 ハッカー倫理とネット社会の精神」河出書房新社、2001
マイケル・ルイス「ネクスト」アウペクト、2002

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