匠雅音の家族についてのブックレビュー     失われた手仕事の思想|塩野米松

失われた手仕事の思想 お奨度:

著者:塩野米松(しおの よねまつ)   中公文庫  2008年(2001)¥724−

 著者の略歴−1947年 生まれ。秋田県出身。作家。アウトドア、職人技のルポルタージュ活動をする一方で文芸作家 としても四回の芥川賞候補となる。著書に『木のいのち木のこころ』『手業に学べ』『大黒柱に刻 まれた家族の百年』(全3巻)『イギリス職人話』『啖呵こそ、わが稼業 会津家本家六代目・坂田春夫』 『木の教え』『最後の職人伝』、ほかに『たぬきの掌』『なつのいけ』『芝棟の家』など多数。

 前半は、鍛冶屋から始まって、消えゆく24職の職人たちを追っている。
そして、後半は職人を支えた社会背景を書いている。
徒弟制度について入念にのべ、手仕事の時代が終わったという。
次の時代にはいるのだろうが、いまだ先が見えてないと結んでいる。
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 本書が鍛冶屋から始まっているのは、慧眼である。
職人たちは道具を使わないと、何もできない。
彼等の手となるのは、道具である。
その道具でも、刃物だけは職人たちには作れない。
大工だって、百姓だって、石工だって、板前だって、床屋だって、みな刃物が必要だった。
職人たちは鍛冶屋に頼むのである。

 最終消費者に近い職人は、比較的最近まで残っていた。
大工や板前や床屋などは、今でも残っている。
消費者から遠い職人たちから、先に死んでいく。
もっと早く姿を消したのは、道具をつくる鍛冶屋だったのかもしれない。
時代は残酷である。

 道具について、筆者は次のように言う。
 
大量生産の品は安く、欲しいときに店に行けばいつでもすぐに手に入る。しかしそれら の品々は標準的体格に合わせた規格品である。鍛冶屋に図面や古くなつた鍬 を持っていって頼んでいた時代は、自分の寸法、使い勝手に合わせた道具を使うことができた。それは効 率がいい道具であった。だから、使い手は補修しながら長く大事に使ったのである。P17

 ボクも大工だったから、筆者の言うことはよく判る。
原則的には筆者の言うとおりだ。
しかし、必ずしも筆者とは違う視点もある。
たとえば、大工には左利きは許されなかった。
右利きに強制された。
左利き用の刃物がなかったから、他の職種でも同じだったろう。

 また道具の体系は完結しており、小柄な大工であっても、小型な道具というわけにはいかなかった。
柱の寸法が決まっている以上、それを削る鉋も寸法が決まっており、自分だけが小さな鉋を使うことはできない。
3寸5分の柱は、1寸8分の鉋を、2度引いて仕上げる。
幅の狭い鉋で3度引けば、仕上がりが落ちるし、能率も悪い。
それでは1人前の手間が取れない。

 身体が小さいからと言って、他の人より小さな物を作るわけにはいかない。
職人の世界では、出来上がりが勝負だから、完成品のサイズが職人の働きかたを決めた。
小柄な職人は、板削りの時には台にのって、背の丈をおぎなったが、それでも背の高い者にはかなわなかった、とボクの親方は言っていた。

 石工の世界では、昔どおりの仕事は不可能になったという。
     
 (復元した掛川城や清洲城の)石積みは、昔のように地山(自然のままの地盤)を出し、裏側にくり石や胴ごめ石などを入れた方法で石垣を組み上げることをしていない。
「コンクリートで裏打ちしなくてはならず、どうしても石だけで組む許可は下りない」のでやりたくてもできないのだという。
「なぜコンクリートを打つのかというと、石垣にかかる土庄を、何を使って、 どれぐらいの強度で止めるのかということを申請しなくてはならないわけですが、一個一個性質や形状の異なる石の強度を実験 で証明できないのです。江戸城や姫路城は石だけで組んで持っているじゃないかといいましても、それでは、なぜあれが持っているのか ということを計算して出してください」といわれたそうだ。P154

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 長い経験と勘でおこなってきた職人仕事は、復元性がなく、1回限りの仕事である。
それでは仕事が蓄積されず、職人たち共通の財産にならない。
また、安全も保証されない。
同じような話は建築でもある。
住宅では在来工法と言われるが、これは昔の建て方ではない。
貫を使った昔の建て方は、もはや許可されないから、建築できない。

 しかし、現在、在来工法で建築されている建物は、昔の貫を使った建物より、はるかに頑丈だし、暮らしやすい。
建築は石垣より施工例が多いから、強度を証明するための計算方法を何とか編みだしたのだ。
だから、建築できるようになった。
石垣も石だけで安全が確保できるように、構造計算を生みだすべきである。

 筆者も言うように、時代の転換点にいるのだ。
いくら逆立ちしても、手の時代の職人仕事では、飛行機は空を飛ばないし、心臓の手術はできない。
手仕事というのは、一種の社会の体系であり、部分だけが生き延びることはできない。
手仕事の体系は、死滅する運命にある。

 我々は友人を大事にし、家族や学校社会で暮らしている。
筆者は、桜を愛でるのも、紅葉に感激するのも、また、友人とか家族や学校も、手仕事の時代のものだという。
そして、部分だけを存続させることはできない、という。

 同じことは自然観にもいえる。自然保護や共生、還元する自然という言葉が飛び交っているが、どこか一部だけを元に戻すことはできない。手仕事の時代の基盤は人々の生活からすべてが生まれていたのである。生活が変わってしまったのに、都合のいい、聞こえのいい部分だけを昔に戻そうというのは無理というものである。
 私たちは手仕事の時代を終焉させてしまったのである。P287


 手仕事を葬っておきながら、自然保護を言うなど絵空事に聞こえる。
かつて職人だったボクは、本書にはすべて同意する。

 しかし、職人たちは貧乏だった。
職人ではどう頑張っても、その日暮らしで、金持ちにはなれなかった。
職人たちは金持ちに頭をさげて、卑屈になって暮らしていたのだ。
だから、出世の道が庶民にも開かれると、職人たちは無理をしても自分の息子を大学にやったのだ。

 手仕事の時代とは、別名、貧しい時代でもあった。
当時、社会の富は、働かない人たちに独占され、身分差別の厳しい時代だった。
現代はたしかに軽佻浮薄な時代かも知れないが、ボクは手の仕事の時代に戻りたいとは思わない。 

 手の仕事とは、何より身体の時代でもあった。
頑健な身体を持つ者が、圧倒的に有利であった。
そのため非力な女性は、劣位におかれざるを得なかった。
社会の価値を、身体から頭脳へと転換し、人間は新たな時代を創るべきである。
 (2008.11.24)
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参考:
谷田部英正「椅子と日本人のからだ」晶文社、2004年 
ヘンリー・D・ソロー「森の生活」JICC出版局、1981
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服部真澄「骨董市で家を買う」中公文庫、2001
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高見澤たか子「「終の住みか」のつくり方」集英社文庫、2008
矢津田義則、渡邊義孝「セルフ ビルド」旅行人、2007
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増田小夜「芸者」平凡社 1957
福岡賢正「隠された風景」南方新社、2005
イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」みすず書房、1997
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オットー・マイヤー「時計じかけのヨーロッパ」平凡社、1997
ロバート・レヴィーン「あなたはどれだけ待てますか」草思社、2002
増川宏一「碁打ち・将棋指しの誕生」平凡社、1996
宮本常一「庶民の発見」講談社学術文庫、1987
青木英夫「下着の文化史」雄山閣出版、2000
瀬川清子「食生活の歴史」講談社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
ニコル・ゴンティエ「中世都市と暴力」白水社、1999
武田勝蔵「風呂と湯の話」塙書店、1967
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命」河出書房新社、2001
R・L・パーク「私たちはなぜ科学にだまされるのか」主婦の友社、2001
平山洋介「住宅政策のどこが問題か」光文社新書、2009
松井修三「「いい家」が欲しい」三省堂書店(創英社)
匠雅音「家考」学文社
バーナード・ルドルフスキー「さあ横になって食べよう」鹿島出版会、1985
湯浅泰雄「身体論 東洋的心身論と現代」講談社学術文庫、1990
吉岡郁夫「身体の文化人類学」雄山閣、1991
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
李家正文「住まいと厠」鹿島出版会、1983
エドワード・T・ホール「かくれた次元」みすず書房、1970
ペッカ・ヒマネン「リナックスの革命 ハッカー倫理とネット社会の精神」河出書房新社、2001
マイケル・ルイス「ネクスト」アウペクト、2002
ダイアン・コイル「脱物質化社会」東洋経済新報社、2001


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