匠雅音の家族についてのブックレビュー    明治の結婚、明治の離婚−家庭内ジェンダーの原点|湯沢雍彦

明治の結婚 明治の離婚
家庭内ジェンダーの原点
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著者:湯沢雍彦(ゆざわ やすひこ)   角川選書  2005年   ¥1500−

著者の略歴−1930年、東京都生まれ。1954年、東京都立大学人文学部社会学科、1957年、同大学法学科卒業。専攻は家族問題の法社会学。東京家庭裁判所調査官、お茶の水女子大学教授、東洋英和女学院大学教授を歴任。現在、お茶の水女子大学名誉教授。1981年、毎日出版文化賞、2005年、内閣総理大臣賞などを受賞。主な著書に『少子化をのりこえたデンマーク』(編著、朝日選書)、『データで読む家族問題』(NHKブックス)など。
 明治時代の結婚と離婚を、元年〜15年頃、16年ころ〜30年頃、31年頃〜45年までと、3期に分けて論じている。
80歳に近い老人の筆になるものだから、現代の法律婚に基づく男女関係を良しとするのは仕方ないところだろう。

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明治の結婚 明治の離婚
 現在の核家族を肯定する結果、明治の結婚を女性抑圧の歴史としながら、誠実に歴史を追っている。
本書の美点は、社会を上中下に分けて、それぞれの階層での動きを別々に論じていることである。

 第1期は、まだ江戸時代の続きで、戦火の名残もあり世の中は騒然としていた。
統計資料もなく、なかなか確定的なことは記述できない時代だった。
とにかく、早婚だったらしい。
娘盛りは14〜17歳くらいまでであった。
そのため、都市部の男性は20歳までに、女性は15歳くらいで結婚していた。

 都市部の男女といっても、貧しい庶民と裕福な人々では、結婚の動向はひどく違っていた。
庶民たちは互いに気に入れば、鍋釜1つで同居を始め、気に入らなくなれば別居した。
とうぜんに結婚を届け出るなどといった、面倒な手続きとは無縁だった。
それにたいして、裕福な階層では結納といった儀式からはじまって、近隣人を集めて結婚式をあげたらしい。
しかし、裕福な階層とは、人口の約5%くらいだったから、当時の結婚がどう言ったものだったか、想像がつくだろう。

 農村や漁村でも、早婚だった事情はかわらない。
そして、庶民にとって結婚は生活のためであり、生きている男女は、何よりも貴重な労働力だった。
結婚も離婚も、人々の生活上の要求にしたがって、自然のうちにおこなわれていた。
そのため、男女関係が破綻すれば、簡単に離婚となった。
明治中期までの離婚率は、きわめて高かった。

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  注目すべきは、東京は別として、当時大人口を抱えていた愛知・京都・大阪・兵庫などの府県の率が低く、農業県と目される青森・岩手・秋田・山形・栃木・群馬・新潟・山梨・静岡などの諸県の離婚率が高いことである。つまり、明治10年代・20年代の離婚は、(東京は例外として)都市住民によって行われたのは比較的少なく、農山漁村の住民によって多く行われていたと言える。
 私は、経済成長期以前の昭和20年代から30年代にかけて東北・中部・近畿・九州の農漁村を十数ケ所調査してまわった。その結果、@嫁が夫の家族と調和できないでいる期間が長い、A追い出し離婚もあるが、嫁の逃げ出し離婚もかなりある、B処女性よりも、労働力の有無が高く評価される、C再婚についての違和感がほとんどない、などが生活の背景にあることが察知された。この傾向は明治時代においてもほとんど変わらなかったものと推定される。P96


 工業化がまだ浸透していなかった地方では、農業が要求する生活形態が主流だった。
農村地帯だった東北地方では、女性が有力な労働力であり、女性の発言権が強かった。
そのため、気に入らなければさっさと逃げ出して、離婚率が高かったのであろう。
それが、工業化の進展と共に、核家族化がすすみ、女性から稼ぎの手段が奪われていった。
また、裕福な地域では、学校教育が普及し始め、良妻賢母のイデオロギーが浸透させられた。
その結果、女性は核家族から出ることはできなくなったのだろう。

 本書を読んでいると、近代的な法律ができてしまって、純朴な農業従事者たちが、自分たちの生活を守ろうと必死の様子が伝わってくる。
農民といえども、法律ができれば、それを破るわけにはいかない。
しかし、近代の明治国家は、農業社会に基礎を置こうとはしていない。
富国強兵・殖産興業である。

 明治が下るにしたがって、産業が農業から工業へと転じ、女性の職場がなくなっていった。
その結果、女性は結婚しなければ生きていけなくなり、家のなかへと閉じこめられていった。
明治31年に民法が施行されると、離婚は急速に減っていく。

 立法者と施政者は、「家」の原理こそ日本家族の最重要事と考えたのだが、要するにそれは300年来支配を続けてきた「武家」の生活様式なのであった。だが明治中期になってその姿を保っているのは、貴族・華族・巨大地主・大商人たちで、合わせても全家族の2パーセントに満たなかったであろう。大多数は、「家」に見合うに足る資産も社会的地位ももたない庶民であったから、ふつうの家族には最初からなかなか適合しなかった。P157

 こうしたなかで、女性は法律上の無能力者=無権利者となり、江戸時代の武士階級の女性と同じ境遇へと転落していく。
つまり、核家族の普及は、家を生産組織から消費組織に変え、男性が外で働いて稼ぎを得ながら、女性の稼ぐ場所を奪ったのである。

 庶民のなかでは、女性も働き手として自活する力をもっていたので、民法ができるまでは男女は同じ立場だった。
しかし、民法ができて以降、家庭に閉じこめられて、女性の地位は一気に転落していく。
誠実な筆致であるが、ジェンダーなどという筆者にとって使い慣れない言葉を、副題に付けないほうが良かった。    (2009.5.30)
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参考:
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
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ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
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