匠雅音の家族についてのブックレビュー    なぜ、結婚できないのか−非婚・晩婚時代の家族論|菊地正憲

なぜ、結婚できないのか
非婚・晩婚時代の家族論
お奨度:

著者:菊地正憲(きくち まさのり) すばる舎、2005年 ¥1600−

 著者の略歴− 1965年北海道紋別市生まれ。国学院大学文学部卒業。業界紙、北海道新聞の記者生活を経て、2003年にフリージャーナリストとなる。記者時代に培った徹底的な現場取材力で、教育と地域問題の観点から、世代に関わる社会現象に深く切り込むことをライフワークとしている。主に『AERA』などのメジャー誌や論壇誌などで活躍中。書き下ろしの本格的ルポルタージュとしては、本書が初の著書になる。メールアドレス mrkick@nifty.com

 結婚が減ってきた原因は、時代背景のみならず、
産業構造等とも密接に絡み、個人の意識の次元で解消できる問題ではない。
にもかかわらず、筆者は個人の意識のみを、分析の対象にしている。
非婚・晩婚時代の家族論とサブタイトルを付けた本書は、
結婚することが善、核家族を維持することが善という前提で、論が展開されているように読める。
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 ある社会現象が発生したときに、まず問題とされなければならないのは、その社会現象を発生させた社会の構造分析である。
非婚や晩婚化が進んできたのは、結婚の必要性が社会的に薄れたからである。
それでも結婚したいと望む若者が多いのは、意識の変化は社会の変化に遅れるからだ。
社会の構造分析を捨象したまま、結婚を普遍的なものと見なし、結婚への意識を喚起しようとする筆者の論には、大いに疑問がある。

 人々の意識に変化があって、社会変化が起きるのではない。
社会変化があった後、それに適応しようとして、意識が変わっていくのである。
だから、非婚・晩婚化がすすむなかで、結婚願望が残っても、それは意識の遅延現象に過ぎず、不思議気でも何でもない。
社会に変化が起きたとき、遅延した意識を追って分析することは、来る社会の姿を描くことにはならない。

 個人の意識を分析の対象にして、それ以上に論が進まないないとき、
その分析は個人を責めることに変わってしまう。
個人の生き方は、時代が要求するものに適応している結果であって、意識はその反映に過ぎない。
意識変革で状況が変わるものなら、全員が宗教の信者になればいいし、
戦前の天皇教やナチスのように、意識変革を訴えれば良い。

 本書は、結婚に対する様々な視点を登場させているので、
賛否両論に公平に目配せをしていると勘違いさせる。
しかし、筆者の立場は、結婚こそ維持されるべき制度と考えている。
結婚しない世の中になったのは、「親の世代が失敗した」からだという。
その上、非婚は不幸であり、非婚者の老後は孤独だと、考えているようだ。

   第1章 焦りを感じた親たちが動き出した
   第2章 「結婚難民」世代を抱える親たちの本音
   第3章 晩婚化する都会の男女事情
   第4章 「非婚」から「避婚」へ−30代未婚者たちの素顔
   第5章 女が強くなったのは本当か
   第6章 非婚・晩婚をとりまく社会情勢
   第7章 若者を結婚難民化させない方策はあるのか


という目次から伺えるのは、少子化対策に便乗して、国民皆結婚を復活させようという願望に見える。
歴史的にみると、結婚は全員がすべきものでもなかったし、するものでもなかった。
国民皆結婚のような様相を呈したのは、高度経済成長が華やかだった時期の、一過的な現象に過ぎない。

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 農業が主な産業だった大家族の時代には、次男・三男の結婚は困難だった。
長男以外が結婚するようになったのは、工業社会が会社員を生み出してからだ。
工業社会になると、工場という職場が女性を吸収できなかったので、
1対の男女が終生にわたって同居する核家族が成立した。
つまり国民皆結婚とは工業社会の制度である。

 工業社会から情報社会になれば、工業社会の男女関係は当然に変質する。
情報社会では職場が女性を吸収するので、新たな男女関係が成立し、
国民皆結婚でなくなるのは、自然の成り行きである。

 ジャーナリストの仕事となし得るのは、情報社会にどう適応していくか、
国民皆結婚ではなくても男女は幸せに暮らせる、といった時代の先を見据えた視点の提示であろう。
にもかかわらず、過ぎ去った時代の価値観に拘泥し、
古き良き時代を懐古する姿勢は、むしろ読者を不幸に陥れる。

 復古を訴える姿勢は、読者の中に体験があるだけに、共感を呼びやすい。
とりわけ、高齢者は復古を好みたがる。
しかし、1対の男女が、終生にわたって同居する核家族という結婚制度は、すでに時代への適応性を失っている。
だから非婚・晩婚が進行しているのだ。

 大家族、核家族の次の「子連れの離婚経験者」「片親」「里親」「養子」「外国人」、それに「単身者」「同性愛者」なども含めた、家族の新しいモデルを見出せていない。見通しすら立っていない状態である。P261

と言いきってしまうのは、筆者の不勉強を物語る。
大家族、核家族のつぎの家族の新しいモデルは、すでに「核家族から単家族へ」として提示している。
徐々にではあるが、単家族は認知され始めている。
ジャーナリストを名乗るのなら、旧を懐古するのではなく、
新たな時代への生き方を提示して欲しい。   (2005.08.01)
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参考:
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
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高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
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J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
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エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
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黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
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S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
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香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
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ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
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信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
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原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
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塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
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瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
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