匠雅音の家族についてのブックレビュー     親を殺した子供たち|エリオット・レイトン

親を殺した子供たち お奨度:☆☆

著者:エリオット・レイトン−草思社、1997 ¥1、900−

著者の略歴−カナダのメモリアル大学人類学教授。1982年よリカナダ社会学人類学協会会長。ブリティッシュコロンビアの新興ビジネス階級やアイルランドの漁村、ニューファンドランドの青少年非行と家庭などのフィールドワーク研究をへて、社会評論、殺人研究をおこなう。著書に、全米でベストセラーになった「Hunting Humans」(『大量殺人者の誕生』中野真紀子訳、人文書院刊)、「Man of Blood」などがある。
 子供を殺す親もあれば、親を殺す子供もある。
血縁が愛情を保証することはない。
親子の愛情とは、親子の両者とりわけ親からの働きかけによって、後天的に作られるものである。
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 子供にとって、育ててくれる人間がいないと、生まれても育ちようがない。
育てる人間が、絶対的に必要不可欠である。
育てる人間の、多くは親だった。
親にとって、子供は労働力として、また老後の面倒を見させるものとして、子供が必要だった。
子供のいない老後は、惨めなものだった。
だから今まで、子供も親もそれぞれに必要な存在だった。

 親子であれば、自動的に愛情がわくと錯覚してきたのは、親にとって子供が必要だったからである。
現在になっても、子供にとって親が不可欠な事情は変わらないが、親にとって子供は必要とは限らなくなってきた。
夫と妻が性交すれば、子供は生まれてしまう。

 子供はもはや労働力と見ることはできない。
むしろ子育てには、多大な費用がかかる。
しかも、子供は老後の保障にはならない。
社会福祉という形で、親世代の蓄財が終了したので、子供を老後の保障とする必要もない。
もはや子供の必要性はない。
いまや子供は、ただ愛情の対象としてだけ、存在することが許される。

 いかなるかたちの殺人も、現代社会ではその絶対数は少ない。どこの国をみても殺人による死亡率は、職業病、戦争、革命による死亡率にくらべればごくわずかなものだ。子供による肉親殺しは、さらに数がかぎられる。しかし  ここ数十年のあいだ、そうした事件は世界じゅうで目立っており、検死報告は  中流階級の家庭をむしばむ病巣をあらわにしている−秩序の崩壊を背景に、子供たちは発砲し、火をつけ、ナイフを使い、殴打し、爆弾をしかけ、押しつぶし、毒を盛り、窒息させ……などといった手段で、両親、兄弟姉妹、あるいは祖父母、おじ、おばなどを殺害する。肉親殺しという最大のタブーを犯す殺人者たちの動機は不可解であり、それがいっそう人々の動揺を深め、精神異常とみなされる場合もある。しかし肉覿を殺す行為そのものは狂気と隣合わせであっても、精神のほうはきわめて正常のようだ。P11

 子供による親殺しは、絶対にあってはならないことだった。
だから、こうした事件がおきると、社会はどう対処して良いかわからなくなる。
そこで何らかの理由を見つけようとして、教育制度や精神異常のせいにされる。
本書は親を殺した子供たちを、何例も追いかけて、その社会的な背景や原因を探ろうとするものである。

 わが国の例も取り上げられているが、子供による親殺しは先進国におきがちであり、しかも、上昇志向的で裕福な家庭に起こりがちである、と筆者は述べる。
かつては、犯罪は貧困が生むといわれた。
しかし、先進国では絶対的な貧困がなくなり、むしろ喰うには困らなくなった。
そこに残るのは、相対的な貧困である。
つまり、より裕福な家庭と、より裕福ではない家庭の違いが、残るだけである。
そこで人はどういった行動をとるのであろうか。

  人々が個々の可能性を活かし、階級の上昇も下降も体験できるという、可能性に富んだ社会をつくりあげたのは、現代社会の偉大な功績だった。この創造的な働きによって、人々は世襲性の階級や身分制度にもとづく社会の差別的因習から大幅に解き放たれた。しかし  社会が前向きに発展した裏側で、予想外の副作用も生じた。獲得した自由が、以前とは異なる足枷となって人々を縛りはじめたのだ。P145

 人間とは何と難しい生き物だろう。
やっと身分秩序から解放され、貧困に陥ることなく生活できるようになった。
すると、改善された生活環境が、人間の精神性をからめ取ってくるのである。
人間はより裕福になる可能性を手に入れた。
するとその可能性が、より裕福になるようにと、人間をせきたてるのである。

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 成人した親には、社会はさまざまな顔を見せる。
親は生きる術を自分で選ぶことができる。
裕福になるもならないも、自分で選ぶことができる。
しかし、子供は直接に社会と接触するのではない。
子供は親を通して社会と接触する。
だから子供にとって、親と親が作る家庭は、全世界に匹敵する。

 その家庭が、裕福になろうとする上昇志向性をもてば、無意識のうちに子供にも上昇志向が強制される。
親は良かれと思って、子供の自主性を無視して、子供の尻を叩く。
上昇志向性の押しつけは、無意識のうちに子供への抑圧となる。
誰でも抑圧されれば、抑圧を排除しようとするのは当然である。
親が子供を抑圧すれば、親は排除の対象になる。
家族が自分を抑圧していると感じれば、家庭の全構成員を排除しようとするのも、自然である。
それが親殺しとなって、表面化する。

 不幸な家族のありようは、さまざまに異なっている。
また表面化する仕方も異なっている。
しかし、不幸な家庭は、子供の自主性を押しつぶそうとする。
子供の育つ可能性を伸ばそうとせず、自分たちや社会の規範を子供に押しつける。
古い社会のことを教えてくれる人類学の文献には、家族殺人はまったく登場しない。

 原始社会では、家族と社会が分離していなかったから、人間は血縁幻想に生きることができた。
固定的な社会では、機能性の精神異常が発生しにくい。
社会を上にも下にも移動可能な人々のほうが、精神障害の発生率はたかい。

 すべての大量殺人と同様に、家族殺人は自分自身のための行為である。彼らの犯行はけっして社会体制に向けられたものではない。上昇指向の家族の特懲である感情の火花に容赦なくかきたてられ、出口のない人間関係の迷路のなかで窒息状能に追いこまれ、彼らは個人的反乱へと押し流されてゆくのだ。その目的は主体性をとりもどすことであり、革命に火をつけることではない。 悲劇でもあり皮肉でもあるのは、現代文明の大きな功績のひとつが、こうした殺戮の原因をつくりだしたことだ。
  現代文明は、多くの人々に階級的な移行を可能にし、家族、人種、宗教、性別の足枷をとりはらった。こうした可動的な社会が、人類の輝かしい勝利であるいっぽう、それはまた不慣れな役割に戸惑う家族と、地位の向上に苦戦する者たちに過酷な代償を強いた。その代償のひとつが、子供による家族殺人なのだ−親のほうは、彼らのために死にものぐるいで働いてきたつもりなのに。人類の歴史には、こうした皮肉がいくつもちりばめられている。P288

 子供が親を殺した個別研究はたくさんある。
ルポルタージュも出版されている。
本書は多くの事例のなかから、現代社会にひそむ共通の原因をさぐりだし、それを平易に展開している希有な例である。
私は筆者の見解に、ほぼ全面的に賛成する。
子供による親殺しは、情報社会化への通過儀礼である。

 戦争になると精神異常が減る。
反対に、たくさんの選択肢を与えられると迷う。
人間の柔らかい精神が、可動的な社会では戸惑う。
豊かな社会では、子供に生き方を強制する必要はない。
子供の自発性こそが、新たな社会を開いてくれる。
新たなものはなかなか信じることができないように、子供の可能性を信じるまでに、私たちは時間がかかる。
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参考:
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995  
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年


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