匠雅音の家族についてのブックレビュー    ひきこもりと家族トラウマ|服部雄一

ひきこもりと家族トラウマ お奨度:

著者:服部雄一(はっとり ゆういち)  NHK出版、2005年  ¥660−

 著者の略歴−1949年、福岡県生まれ。狭山心理研究所主宰、セラピスト。元東京理科大学非常勤講師。ロサンゼルスでの語学留学、8年間の通訳業を経てカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校で6年間学び、心理学修士課程修了。国内の数少ない多重人格専門家。トラウマ性の心理障害の治療が専門。セラピストとして患者さんと向き合うほか、ひきこもりについては、初めて英字論文で症例を発表。

 <ひきこもり>は100万人いると推定される。
また、ひきこもりは我が国に特有の現象であり、外国では例がないといわれる。
本当だろうか。
いままで、ひきこもりに関して、納得できる説明に出会わなかった。
しかし、本書の主張は、信じても良いように感じる。
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 ひきこもりの原因は、親子関係のコミュニケーション不存在だ、と本書はいう。
親が生身で子供と向き合わず、親としての役割を演じるだけである場合、
子供が良い子を演じる限界を超えたとき、子供はひきこもるのだという。
精確な認識だと思う。
ひきこもり現象が生じる前の時代にも、親子関係にコミュニケーションはなかった。
しかし、貧しかったので、それが顕在化しなかっただけだというのも納得である。

 団塊の世代である私も、実は親子関係では悩んできた。
本書が書くような、夫婦仲のきわめて悪い両親に育てられた。
しかも、父親は仕事熱心で、経済的な成功を成し遂げたが、子供とはまったく没交渉だった。
子供に対しては、命令するときか、叱るとき以外は口をきかず、
口答えしようものなら、「誰に食わせてもらっているのだ」という言葉が返ってきた。

 商売で成功した父親は、家庭内では暴君だった。
が、家庭の外に対しては、気持ち悪いほどに如才なかった。
家族の誰かが、よその人と対立すると、父親は必ずよその人の味方になった。
親は子供を守り、かばってくれる存在だとは、夢つゆ思っていなかった。
父親は自分のメンツのために、子供を養育していたように感じていた。
そのため、私は父親に養育費の出資者として以外には、信頼というものを持たなかった。
親の経済的な庇護の元から、一刻もはやく脱出したかった。
小学生の時から、父親からの独立だけを考えてきた。
 
 私のクライアントに限って言えば、ひきこもりの家庭は中流以上、親は社会的地位が比較的高く、経済的に困窮している家庭はほとんど見られません。離婚は国民平均(25パーセント)より少ない(6パーセント)が、夫婦仲が良くない(86パーセント)のが特徴です。
 ひきこもりは両親の冷たい夫婦関係についてよく語ります。こうした家庭は子どもが親に安心して甘えられる状況ではありません。親は何のために結婚しているのか分からない、親同士でもあまり会話がない、うちは仮面家族だったとは、クライアントがよく口にする表現です。
 一方で、持ち家が多く、子どもには小さい頃から個室を与え、教育にも金と時間をかける家庭が多いのが特徴です。親にはアルコール依存症の問題はありません。しかし、ほとんどの親がワーカホリック(仕事中毒)です。大雑把に言えば、父親は仕事人間、母親は専業主婦で教育熱心という図式が浮かんできます。一般的に言うと、ひきこもりの親は世間体にこだわり、子どもを甘やかすことを悪いと考える真面目な親のイメージが浮かびます。P16


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 小さな頃の私の境遇も、本書がいう状況そのものだった。
その上、母親は夫である父親におびえ、
家付き娘であるにもかかわらず、まともに反論できなかった。
裕福であるがゆえに、子供に贅沢な環境を与えているので、
世間の人は父親を褒め、悪いのは子供だと思いたがる。
私の場合は、血縁のない祖母が同居しており、
彼女が愛情を注いでくれたので、辛うじて自立できたように思う。

 子供が小さなうちは、親が子供を叱るのはしつけであり、子供の反抗は許されない。
成人しても親子が衝突したとき、子供が折れるべきだと世間は言う。
子供を育てるのに、親はどれほど苦労したか、それを想像せよと、世間は子供に言う。
子供の人格を曲げてまで、親に従うことを世間は強制する。
しかし、親の元を離れて、ほんとうに楽になった。
すでに何十年もたった今でも、父親とは没交渉である。

 昔はひきこもりはいませんでした。たとえば江戸時代の若者がひきこもっていたという文献は見たことはありません。それどころか、戦後、経済成長前の貧しい日本でもひきこもりはいなかった。ひきこもりが社会的な問題として登場してくるのは、80年代後半のバブル期あたり、そして新開などで取り上げられ始めたのはバブル崩壊後です。
 なぜ、ひきこもりは日本経済が破綻した頃に斯在化したのか。その問題を解くキーワードは「豊かさ」だと、私は考えています。個人を否定する日本では昔から、ひきこもりが生まれる素地があったのです。しかし、貧しい時代は、それが問題にならなかった。誰もが食べることで必死だったからです。P113


 その通りだ思う。
農耕社会では、親の生き方を押しつけることが、正しい教育だった。
日本は貧しかったのだ。
全員が生きることに必死だった。
今でこそ豊かな社会になったが、1960年代まで我が国は貧しかった。
だから、和をもって生きなければ、生活が立ちゆかなかった。
農耕社会では個人を殺しても、社会からの強制に従わなければ、生きていけなかったのだ。

 衣食足って礼節を知る。
豊かになった今、やっと日本人は礼節が語れるようになった。
個人の精神活動が問題視されるようになった。
心の触れあいがない人間関係は、どんなに経済的に豊かでも不安なのである。
触れ合えないくらいなら、いっそ心を閉じるほうが納得できる。
おそらく家庭内暴力も、ひきこもりも同根であろう。

 本書は日本文化に、ひきこもりの原因を求めるが、慧眼だと思う。
たとえば少子化についても、誰も本当のことを言わない。
わずかに福岡賢正さん等が「隠された風景」で、真実に目を向けようとするが、
多くは見たくないもの、触れたくないものは、この世に存在しないのだ、といった風潮である。
真実を口にすることを、和の精神が否定し去ってしまう。

 人口の減少に加えて、経済、教育、政治、社会システムの崩壊が続きます。この崩壊の原因になるのが「システムを変えられない日本」を作る「和の文化」です。和の精神を重んじる日本社会は「自分からは方向を変えられない」という致命的な欠陥をもち、そのために社会崩壊が進んでいきます。しかも、その問題を見ない「臭いものにフタをする習慣」が問題を悪化させています。(中略)
 日本人は、今度は子どもの感情を抑圧する日本的しつけと教育を変えられずに、子どもを病気にしています。P183


 ひきこもりに限らず家族問題は、我が国が本当に近代化するための通過儀礼であろう。
問題は個人的なことではなく、古い日本的な行動様式と、近代的な自我の衝突である。
いわば世代の衝突といっても良い。
自浄作用が働かないとしたら、自然淘汰を待つ以外に、方法はないのかも知れない。
団塊の世代が死んで初めて、近代的でしやかな自我が誕生するのだろう。

 今まで、自分の体験談を語っても、誰も共感してくれなかった。
親との抗争では、つねに子供が非難される。
だから黙ってきた。
しかし本書は、親子問題を精確に捉えていると思ったので、この書評では珍しく自分の体験談を書いてみた。
親子間のコミュニケーション確立に失敗すると、愛情欠乏症になり愛情に飢える。
親から遠ざかりながら、親の愛情を渇望する。
それが実感である。   (2006.1.22)
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参考:
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
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黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
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A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
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高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
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