匠雅音の家族についてのブックレビュー    普通の家族がいちばん怖い−徹底調査:破滅する日本の食卓|岩村暢子

普通の家族がいちばん怖い
徹底調査:破滅する日本の食卓
お奨度:

著者:岩村暢子(いわむら のぶこ)  新潮社 2007年 ¥1500−

 著者の略歴−1953年北海道生まれ。法政大学卒業。広告会社アサツー ディ・ケイの200]ファミリーデザイン室室長。食と家族の調査を続け「変わる家族 変わる食卓」「<現代家族>の誕生 幻想系家族論の死」(ともに勁草書房刊)を著す。

 当然のタイトルだから、それなりに期待して読んだが、
あまりの先入見の強さに辟易した。
本書は、2000年と2005年と2度にわたって行った実態調査に基づき、書かれたものである。
主婦たちの発言に一貫性がなく、矛盾していることに自覚すらない、
という指摘は肯首するにしても、むしろ筆者のほうに問題がある。
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 対象にしたサンプルが、首都圏在住の子供をもつ223人の主婦ということで、
やや偏りがあることが気になるが、それ自体は問題ではない。
また、主婦を対象にした調査なので、主婦の発言だけになっているが、
それも問題ではない。

 問題は、昔からの家族生活を肯定し、
伝統的な家族習慣からの乖離の多寡で、筆者が論を進めていることだ。
そして、記述式の回答のなかから、回答文をそのまま取り出して、自己の論証に使っていることだ。古い家族の習慣を美化するのは、ヤクザ映画のセンスと、まるで同じである。

    目 次
プロローグ 普通の家族を知りたい
第1章 してもらえる「お客様」でいたい
第2章 好き嫌いで変える
第3章 子供中心、私中心
第4章 うるさい親にはなりたくない
第5章 一緒にいられない家族たち
第6章 ノリで繋がる家族
第7章 普通の家族がいちばん怖い
エピローグ 現実を見ない親たち


という目次だが、第1章からエピローグまで、章のタイトルに「〜は良くない」と付け加えると、
筆者の主張になる。
「してもらえる『お客様』でいたい、のは良くない」し、
「好き嫌いで変える、のは良くない」と、筆者は主張しているかのようだ。

 変わらない家族などあり得るだろうか。
すべての社会現象は、常に変化に晒されているのであり、家族とて別様ではない。
本書は、とくにクリスマスと正月を取り上げ、クリスマス・デコレーションに力を入れ、
正月習慣には手抜きする主婦をなげいている。
しかし、西洋文明を歓迎し、伝統文明を否定するのは、主婦に限ったことではない。

 お節料理とクリスマス料理を比べれば、
クリスマス料理に軍配が上がるのは、料理の来歴からして当然だろう。
お節料理を取り上げて、主婦たちがお節を作らない、と憤っているが、
飽食の時代に、お節のような保存食を作る意味があるのだろうか。

 お節料理は保存食だから、とびきり美味いものではない。
食べ物の少なかった時代に、お節料理はたんなる習慣で、つくり続けてきたに過ぎない。
老女たちが作らなくなれば、誰も食べたいとは思わないだろう。 

 40代半ばですでに子供のいる夫婦などが、
自分の親からお年玉をもらってことを、否定的に書いている。
しかし、お年玉=祝儀とは、可処分所得の多い者が、少ない者へあげるものだったとすれば、
年齢の多寡で考えることは必ずしも適切ではない。

 子供中心、私中心は、良くないと言いたいのだろう。次のように言う。

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 主婦たちは、このように子供の言うことを尊重し、子供の意向次第で右往左往し、子供をもてはやすばかりか、周りの人々やさまざまなサービス・商品を動員して、わが子に主役気分を味わわせたり、喜ばせようともしている。だが、それはいったい子供に何を教え、どんな子供に育てようとしていることになるのだろうか。P112

 次には、親たちが子供に媚びて、伝えるべき伝統的な日本の習慣を教えていないという。
親子が同じように、横並びになるのにも否定的である。
子供第一というのは、私(=主婦自身)を大切にすることではないかと、暗に批判している。
 
 かつては、子供をひとり立ちさせていくために、親が家庭でさまざまなことを教え、伝え、身に付けさせてきた。だが現代の親は、前述のように子供へ何かを教えたり伝えたりすることは好まない(128頁参照)。自分が子供と楽しく過ごせることを大事にするようになっている。そして、親が子供に伝えることは外部の人やメディア情報に委ね、あるいは幼椎園や学校などに外注化して家庭から排除しようともしている。
 そんな現代の親子の間で、親から子へ伝えたり残したりできるもの、将来にわたって繋がっていける何かを求めるとすれば、親子の楽しかった「思い出」や、親に「してもらった」「記憶」ばかりになるのかもしれないと思う。P146


 子供を独り立ちさせるために、かつては親が家庭で生き方の基本を教えたが、
今では古い親の教えは役に立たなくなっている。
むしろ、1世代前の親が教えたことを真に受けると、子供の世代では生きづらくなりさえする。
今の親たちは、無意識のうちにそれを知っているので、子供たちには教えないのではないか。

 筆者は、「楽しさ」にきわめて禁欲的である。
楽しさを追求することは、悪いことであるかのように書いている。
しかし、明日に楽をするために、今日は苦労に耐えようという発想とは、もはや決別するべきである。
今を楽しく過ごすことから、明日の楽しさがつながるのであり、
楽しさの追求はけっして悪いことではない。
 
 正月二日の朝、家族一緒に食卓を囲んで同じものを食べた家庭は34.5%、三日では25.7%である。正月休みで家族がみんな家の中にいてさえ、大半の家庭で家族揃って同じものを食べることができなくなっている。P152


と、筆者はなげいているが、なぜ家族が同じものを食べなくてはいけないのだろうか。
筆者は、家族は全員がそろって、同じ時間に、同じ物を食べ、同一行動をするのが良い、
と考えているかのようだ。
しかも、それが苦痛であっても、古くから続いてきた生活習慣だから、
家族の全員が守るべきだ、と主張しているように感じる。

 筆者の想定している家族像が、明確に定義されず、
かつてあったように感じられる家族像を、無前提的な前提として話を進めている。
かつての擬家族像からの逸脱で、現代の家族を斬れば、
筆者のような嘆きになるのは当然だろう。

 むしろ、自分の好みを主張できる現代に、自分の好みを伝えることは大事ではないだろうか。
コーヒーか紅茶かと聞かれて、どちらでも結構ですと応えるより、
どちらかに決めて返事をするほうが良い。
54歳の筆者は、欠乏の子供時代を送ったのだろう。
だから、飽食時代の主婦たちが理解できないに違いない。

 1960年代のアメリカは、すでにTVクッキングだったし、ハンバーガーの国だった。
マイクロソフトだけに負けたのではなく、そんな味覚の国の食べ物に、
日本人全体がいかれているのだから、問題は本書がいうところにあるのではない。

 「下流社会」でも感じたが、市場の要求を探るマーケッティングというのは、
結局のところ旧体制追従の保守派なのだ。
そして、広告代理店のリサーチとは、所詮この程度なのだろう。
調査という仕掛けが、思わせぶりなだけに、つい騙されそうになる。  (2008.3.12)
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参考:
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
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高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
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匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
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ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
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原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
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編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995  
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
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