匠雅音の家族についてのブックレビュー    家族のリストラクチュアリング−21世紀の夫婦・親子はどう生き残るか|山田昌弘

家族のリストラクチュアリング
21世紀の夫婦・親子はどう生き残るか
お奨度:

著者:山田昌弘(やまだ まさひろ)  新曜社、1999年   ¥2000−

 著者の略歴−1957年東京生まれ、東京大学文学部卒。同大学院社会学研究科修了。東京学芸大学教育学部助手、専任講師を経て、助教授に。1993年、カリフォルニア大学パークレー校客員研究員。家族社会学、感情社会学を専攻。近代社会における、家族と愛情の関係を社会学的に分析。調査研究のテーマは、恋愛、高齢者介護、家族政策、青年期の親子関係など多岐にわたる。著‡に『近代家族のゆくえ家族と愛情のバラドックス』(新曜社1994年、『現代日本フツーの恋愛』(ディスカヴァー21)1996年、共著に『ジエンダーの社会学』(新曜社1989年など多数。

 パラサイト・シングルという言葉の生みの親である筆者の、小論文を寄せ集めた本である。
賛同できる発言も沢山あるのだが、同じことが繰り返されたり、矛盾することが書かれたりしている。
少子化の原因を、未婚率の上昇に求めているが、それは誤りだろう。
また、意識調査を引用しながら論を進めており、意識が可変か不変かの認識に、いささか疑問がある。
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 筆者は自分でも言っているように、あるべき家族像の提出をするつもりはない。
家族における「自由、公正、効率」を考えることを目標にしているらしい。
社会学者の資質とは、筆者のような資質を言うのだろうか。
様々に問題を考えてはいるが、部分でしか考察しないために、引用する事実が本書全体のなかで微妙にずれている。

 筆者は企業がリストラしたように、家族もリストラが必要だという。
しかし、家族の原理論を指向しないので、リストラの対象になる家族とは、如何なるものか不明なまま話が進む。
そのため、家族の分析が場当たり的になっている。
家族を確定しないで、リストラ論を進めるのは、無理であろう。

 振り返ってみれば、真っ先に家族のリストラが行われたのは、三世代家族であった。これは夫の親に対する妻の感情表現が自由化された結果で、以前ならば妻は夫の側の「〜家」の嫁なのだから、夫の親のお世話をし、命令や意向にしたがわなければならないのだと「愛情が強制」されていた。夫の親が嫌いだとは言えなかったのである。しかし徐々に、嫌いになってもいたしかたないという意識が広がってきた。その結果、子ども夫婦と親夫婦との仲が悪い家族は、リストラされることになる。つまり企業分
割のように、嫌いだったら別居すればよいのであって、無理に一緒に住む必要はないのだ。P15

 三世代家族とは、ふつう大家族といわれる。
筆者はたぶん意識して、三世代家族という言葉を使っているのだろう。
家族という言葉の定義をして、話を始めないと拡散した論になってしまう。
筆者は何人かが同居していれば、それを家族と見なしているようだ。
だから、家族の原型を考察しなくてもすんでいる。
しかし、家族のリストラといいながら、家族像を定立していない。
そのため、どんな家族がどうリストラされて、どうなっていくのか不明確なままである。

 三世代家族がリストラされて、二世代家族になったという。
では二世代家族が、どうリストラされるのだろうか。
夫婦と子供2人の標準世代は虚構であるといいながら、筆者の想定する家族は、夫婦と子供からなる集団を想定しているようだ。
次のような記述が登場する。

 日本における離婚、婚外子、事実婚、一人暮らし高齢者などは、最近やや増えたとはいえ、諸外国に比べ格段に少ない。また専業主婦の比率も高く、夫は仕事、妻は家事・育児という性別役割分業型の家族も諸外国に比べ多い。統計にあらわれたデータに関しては、日本家族は健全さを保っている。P214

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 統計上のデーターでは、日本家族は健全さを保っているという。
健全な家族が想定できるのだろうか。
健全な家族という以上、健全な家族を定義しないと、話を進められないはずである。
もちろん、「家族の健全さの真にひそむしがらみの抑圧性にもっと目を向けてもよいはずだ」といって、健全な家族を手放しで礼賛しているのではない。
しかし、健全な家族という言葉を、何度も使っていることは、やはり筆者のなかであるべき家族像が想定されており、それとの距離で健全という言葉が使われているように感じる。

 筆者の言う三世代家族とは、リストラされて二世代家族になったはずである。
筆者は健全な家族という言葉を使うが、リストラ後の家族をどう想定しているか、そのイメージが伝わってこない。
三世代家族を本サイトでは大家族というが、リストラされて核家族になったのではないだろうか。
核家族は二世代家族ではないのだろうか。
とすれば、二世代家族がリストラされると単家族になるだろうか。

 「少子化の本当の原因は、未婚率の上昇にある」P107と、少子化の原因を筆者は未婚率の上昇に求めている。
そして、「少子社会とは、1人暮らしの独身者が増える」のは誤解だといい、「少子化が進んだ社会とは、親と同居する未婚者が増大する社会である」という。
この見解は、筆者のパラサイト・シングル論によるのだろうが、あまりに近視眼的である。
少子化は短期的なものではなく、産業構造が要求しているものだ。

 家が生産組織であった時代は、労働者としての家族構成員が不可欠だった。
しかし、情報社会になると、家は何も生産しないから、労働力としての家族は不要になる。
ここで、家族の質的な変化がおきている。
この質的な変化をみすごしたまま、家族を歴史貫通的な概念でとらえ、家族がリストラされるというのは、まったく学問的ではない。

 筆者の論は、たしかに時代の空気と同調している。
だからマスコミなどでも、もてはやされる。
しかし、親と同居している独身の男女たちだって、やがて親は亡くなり彼ら(彼女ら)も歳をとる。
パラサイト・シングルは子供を持たないから、この家族は寄生主の死によって、否が応でも1人暮らしの独身者になる。
このときには筆者は、また時流にあった言葉を出すのだろうか。

 社会現象の描写は、マスコミに任せておけばいい。
社会学は、単に現象をとらえて描写するだけはなく、現象の裏に潜む法則を抽出することではないか。
法則の定立こそ知的な作業が必要であり、今後の社会への対応の道しるべにできる。
本サイトと同じ問題関心でありながら、提出される論理はずいぶんと違うものだ。
(2005.05.06)
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参考:
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香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
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信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
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原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
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サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
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バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
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本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
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広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
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塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005


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