著者の略歴−1947年、東京に生まれる。ひとり息子・隆之介君とふたり家族の母主家庭を実践中。小気味よいエッセイが人気を呼ぶ。著書に「2DKの呪い」「マドンナの呪い」「夫のレンアイ」「愛を乞う人」全て情報センター出版局、など。 30歳で離婚。そのときには、お腹のなかに子供が入っていた。 それから女手一つで、筆者はリュウちゃんを育ててきた。 定職に就くわけではなく、物書きという不安定な仕事を続けながら、子育てを続ける。 それはそれは大変なことだっただろう。 筆者の困難だった生活が、本当にしのばれる。 大変だったね、そういって優しくなでてあげたくなる。 しかし本書は、困難だった生活を行間から感じさせつつも、それ以上に大きな生きる悦びを伝えてくれる。 心温まる本である。
やがて単親も普通になるだろう。 アメリカがそうであるように、単家族化すればどうしても単親は増える。 単親がふえれば、差別もなくなるだろう。 しかし、現在のわが国では、単親は圧倒的な少数である。 まず、生活のための糧を稼ぐ、それが困難である。 子供がいる女性など、どこでも雇ってはくれない。 筆者の子育て期は、バブルの時代だったから、まだよかったかもしれない。 2001年の現在なら、状況はもっと困難だろう。 筆者は貧乏だった、という。それは当然だろう。 1人前に働き、かつ家事もこなす。 リュウちゃんが母親の手伝いをするが、それだって3歳になってからだ。 筆者は子供を各所に預けて、1日に15時間もコマネズミのように働いている。 健康だったのが、何よりだったろう。 体が良く続いたものだ。 私は、ラクするにはどうしたらいいか、ということを至上命題にしているので、このような大変なことはやらないことにしている。子どもの遅刻と引き換えに、コゴトを連発して、自分が不快な気持になるのは、まっぴらごめん。仕事にさしつかえます。仕事のほうが、子どもの学校よりずっと大事なんです、私。そのかわり、「子どもを平気で遅刻させるダメ親」の烙印は、覚悟している。P23 こんなことを簡単に書けるものではない。 あとで筆者は自分主義だといっているが、脱帽である。 筆者が倒れたら、子供は路頭に迷う。 子供中心ではなく、自分中心にならざるをえない。 筆者の凄いところは、事実や感じたことをありのままに書いていることだ。
自分より子供を大切にするのだと言われる。 それは嘘だが、多くの母親は嘘だと知りつつ、つくられた母親を演じる。 そこにしか専業主婦たちの存在意義がないから、つくられた母親を演じざるを得ない。 嘘を演じることが、彼女たちの生きる方法である。 単親の女性は、つくられた母親を演じていたら、生きていけない。 何も書けない日がつづいて収入がなくなり、生活保護の申請(却下された)をした。保育所がつぶれ、赤ん坊だったヤツ(=リュウちゃん)を抱いて部屋で涙をこぼしていた日々。2人そろって高熱をだして、寝こんだこともある。P65 少数者というのは、少数であるというだけで、厳しい生活が強いられる。 しかし、少数者として生きることは、真実を見ることでもある。 子供に自分を<はるさん>と呼ばせる筆者は、子供の可能性を信じて、 つまり自分も含めた人間の可能性を信じて生きている。 筆者の心には、生身の人間が生きている。 だから、読む者の心を豊かにしてくれる。 「ね、はるさんってエライと思わない?」 「なんで?」 今度はせっせと背中をさすりながら、ヤツはぶっきらぼう。 「なんでって……はるさんって、おとうさんみたいに仕事をして、よそのおかあさんと同じように家事してさ」 ヤツは無言で、せっせ、せっせ。 「ね? エライよね」 私が再び催促したとき、ヤツは、 「それは、だれにもできないことなの?」 エエッ? 私は返答に窮した。 「仕事も家事もすることは、だれにもできないことなの?」 ヤツはくり返した。厳しい調子がこもっていた。 「いや……」 私は当惑して声が小さくなった。なぜかしら、不安がじわりと広がる。 「……だれにでもできる……」 声がいよいよ細くなってしまった。そういえば……確かにそうだ……。 「そうだろ!」 ヤツは鬼の首でもとったみたいに、勝ち誇ったような声をあげた。 ちょっと、ちょっと。待ってくれェ。このあたりが私の唯一のトリデだったのだ。そんなに簡単に否定してくれるなよ。P200 熱血母主家庭を実践中の筆者は、親に感謝なんかしなくていい。 親に感謝する人は、自分の子供に感謝を要求する、といっている。 リュウりゃんと一緒にいるのが、幸せ=楽しいから単親でも育てるのだ、と断言する。 子供に感謝を要求するなんて、考えもしない。 人生観といい、文章表現といい、とにかく感動である。 貧乏な(?)筆者のために、筆者の本が売れることを心から願っている。 蛇足ながら、筆者は最後に次のように書いている。 最近、何十年も働きつづけて定年を迎えた男を、家事ができないという理由だけで、「産業廃棄物」と斬り捨てる学者が出てきたね。フェミニズムの旗手ともいうべき女性だ。しかし、心臓がコトコト鼓動し、あたたかい赤い血が脈々と流れている生き物、人間を、ゴミ呼ばわりして、「問答無用、斬り捨てごめん」とばかりに斬り捨てる無残なアレは、学問なのかね。P225 単親で子育て中の女性から、こう言われるわが国のフェミニズムは、いったい何なのだろうか。
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