匠雅音の家族についてのブックレビュー     母という暴力|芹沢俊介

母という暴力 お奨度:

著者:芹沢俊介(せりざわ しゅんすけ)−春秋社、2001年    ¥1600−

著者の略歴− 1942年東京に生れる。1965年上智大学経済学部卒業。 著書『「イエスの方舟」論』『漂流へ 芹沢俊介家族論集』『平成〈家族〉問題集』『子ども問題』『現代(子ども)暴力論』『子どもの犯罪と死』(共著)『対幻想(平成版)』(共著)『(いじめ)考』(共著)『脱「学級崩壊」宣言』(共著)(以上、春秋社)『いじめの時代の子どもたちへ』〈共著、新潮社〉『「オウム現象」の解読』『子どもたちの生と死』(以上、筑摩書房)『子ビもたちはなぜ暴力に走るのか』(岩波書店)『ついていく父親』(新潮社)『事件論』(平凡社新書)他
 母は文化の産物ではない。子供を産むというのは、動物的な行為である。
必然的に母というのは、動物的な存在そのものだから、自然性に生きていることになる。
その母が暴力そのものだという筆者の指摘は鋭い。
本書のあとがきのなかで、筆者はこれまでどこにもなかった着想だ、と自負している。
それを認めて良いと思う。
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 筆者は吉本隆明氏の学習から出発した人だが、ここに至って独自の観点をつかんだようである。
1ページに15行×38字=570字しかないという、すかすかの紙面を見たときは、
手抜きをした本だと思ったが、内容に関しては肯定する。

 簡単に新たな着想がわくものではない。
自分で発見したものが、正しいかも不明である。
それを、じっくりと熟成させるのは、実に困難な作業である。
しかも、本書のように世の良識派から反発をうけそうな場合には、ことさら筆者の発見が大きく育ちにくい。
本書の着想を育ててほしいものだ。

 母の暴力つまり母の振るう暴力ではなく、母という暴力であることに、注目してほしい。
母が暴力であることは、実は自明である。
子供を産むというのは、動物的な行為だといったが、
動物的な行為とはそれ自体が暴力的でもある。
つまり、旺盛な生命力とは、いつも暴力的である。
暴力とは生命の発露でもある。
だから、子供を産むのは、暴力的な行為と紙一重でもある。

 子供を産むことが暴力に直結しないのは、
子供を産んでも1人の女として、生きることが許されたからだ。
産んだ子供を教育することが、母には期待されていなかった。
女性は子供を産めばそれで良かった。
子供は自動的に育ち、成人した。
もちろん農耕社会では、子供はばたばたと死んだが、それは神の仕業だったから、母の責任ではなかった。

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 乳幼児の死亡は、人智を越えており、それで母が責められることはなかった。
そして、農民の子は農民に、職人の子は職人になる社会では、文字も演算も知らずに生活ができた。
だから子供を、教育する必要はなかった。
しかし近代になると、産んだ子供を教育しなければならなくなった。
良妻賢母であることが期待され、立身出世が至上命題となった。
教育の効果が受け入れられたあいだは、母は崇高だった。
しかし、工業社会の終盤になると、教育を受けても立身出世は望めなくなった。

 教育する母の教導性が暴力とみなされ、社会意識の表層に浮かびあがってきはじめたのは、いい企業を目的とした教育の大義が、母と子の立身出世の物語を生み出せなくなってきてからです。幸福観が変わってしまったということでしょうか。そうはいっても相変わらず教育への信仰は巨大なものがあります。しかしその信仰はとっくに立身出世という成功を保証するものではなくなってしまっています。学歴という記号的価値と、学歴がもたらす実質的価値(いい企業に入ることができ、かつ出世するという物語)の乖離がもはや埋めがたく拡大してしまったということでしょう。
 不登校は教育家族をパニックに陥れました。立身出世の物語が成立するための不可欠な回路である学校そのものの価値および学歴という記号的価値が不登校するわが子によって全否定されたからです。さらにはフリーターの大量発生は社会をパニックに陥れました。企業を舞台にした立身出世の物語の幕があげられなくなってしまう危機に直面することになったからです。P68


 この指摘とあとに続く文章は、遅まきながらも現代社会を撃っている。
こうした指摘は、初めてであろう。
成熟と喪失」で母の崩壊をえがいた江藤淳は、
己のひ弱な精神をやさしい母に慰めたが、それが欺瞞だったことがよくわかる。
近代の母とは、国家の手先だったのである。
その母に身をすり寄せた彼が、国家の手中に落ちたのは当然である。

 母を内在化した悲劇として、北野武を描くくだりは、正鵠を得ている。

 北野武の母の教育は、感覚の表出を抑制するのではなく、禁じるところまで徹底しょうとするものなのです。ここにいたると、教育ははっきりとサディズムの帯域に入り込んでいることが伝わってくるでしょう。
 こうした教育する母を受け入れた結果、北野武はマンガを読む、野球をするといった楽しいことをしようとするときは母親に隠れてするようになったといいます。後ろめたさや罪悪感をおぼえたということでしょう。(中略)教育する母の外へとようやく一歩を踏み出したゆえの変化というふうに解釈することができると思います。
 ところで生の感覚を表出することが下品であるというのなら、どんな表出であれば上品ということになるのでしょう。上品とはいわないまでも、罪悪感を覚えずにできることはなにがあるというのでしょう。P157

 筆者はその先に、死を見る。
生きることが下品だとすれば、上品なのは死ぬことだと言うが、それには判断を留保したい。
生きることは下品なことだ、それには同意する。
しかし、下品な生を生きることを楽しい、と感じることが人間だったはずである。
教育を知ってしまった人間は、どこでかで道を踏み間違えたのであろう。
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参考:
芹沢俊介「母という暴力」春秋社、2001
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
須藤健一「母系社会の構造:サンゴ礁の島々の民族誌」紀伊国屋書店、1989
エリザベート・パダンテール「母性という神話」筑摩書房、1991
斉藤環「母は娘の人生を支配する」日本放送出版協会、2008
ナンシー・チョドロウ「母親業の再生産」新曜社、1981
石原里紗「ふざけるな専業主婦」新潮文庫、2001
石川結貴「モンスター マザー」光文社、2007

イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997


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