匠雅音の家族についてのブックレビュー     女は何を欲望するか?|内田樹

女は何を欲望するか? お奨度:

著者:内田樹(うちだ たつる)角川ONEテーマ21新書 2008(2002年)年 ¥705−

 著者の略歴−1950年東京生まれ。神戸女学院大学文学部教授。東京大学文学部仏文科卒。都立大学大学院博士課程(仏文専攻)中退。専門はフランス現代思想、武道論、映画論など。古武道とフランス現代思想に精通した独自の視点で注目を集める。著書に『「おじさん」的思考』(晶文社)、『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)、『死と身体』(医学書院)、『態度が悪くてすみません 内なる「他者」との出会い』『健全な肉体に狂気は宿る』(共著、角川0neテーマ21)、『下流志向 学ばない子どもたち働かない若者たち』(講談社)、『街場の中国論』(ミシマ社)、『村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)等多数。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で2007年小林秀雄賞受賞。
 フェミニズムは、少なくとも日本における啓蒙運動としてのフェミニズムは、その歴史的使命を果たし終えて、いま段階的にその社会的影響力を失いつつある。そういうふうに私は現状を認識している。P9

とはじまる本書は、かなり本格的なフェミニズム批判の書物である。
残念ながら、我が国の現状は筆者の言うように、フェミニズムは勢いを失って、論及されることがなくなってしまった。
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 筆者は続けて、「それは別にフェミニズムの理説がどこかに致命的な誤謬を抱えていたからでもないし〜」というが、そうだろうか。
筆者は上記のように言いながら、不思議なことに、フェミニズムの理論的瑕疵について論じる、と腰巻きに書いてある。
しかも、日本のフェミニズムについては論じられず、海外の論者が中心である。

 言語論と映画論の2部仕立てになっており、前半はフロイトから始まる。
フロイトの有効性は置くとして、本書を読んでいて、文字を読む以前に、何となく馴染めないものを感じて仕方なかった。
それは第1章が「女として語る」ことは可能か? というタイトルに始まっていることと関係している。

 第1章が「女として書く」こと というのだが、筆者は女であることに拘っている。
フェミニズムが女に拘っているから、彼も女に拘って論を立てているのだろう。
しかし、この立論の仕方は女性には自然だが、男性には馴染みが悪い。
しかも、性別という属性にこだわるのは、前近代の発想である。

 筆者がなぜ、フェミニズムに興味を持つのかが、本書からではどうしても理解できない。
男性である筆者が、なぜフェミニズムに興味を持った背景が伝わってこない。

 船が沈むことは私にはもう止められない。しかし、船がここまで運んできた「財宝」をいっしょに沈めるわけにはゆかない。「とにかく持ち出せるだけのものは持ち出して、使えるものは使い続けましょう」というのが私のフェミニズムに対する基本的な姿勢である。
 こういう態度にすごく腹を立てる人もいるかも知れないし、その腹立ちはよく分かる。けれども、あと何年かしたあとに、「フェミニズム陣営総崩れのときに、それまで味方面していた連中がずいぶん掌を返したように恩知らずな真似をしたけれど、はじめからずっとフェミニズムの悪口言っていたウチダなんかは、最後にはけっこうフェミニズム擁護に回ってたよね」ということになるのではないかと私は思う。P18


という姿勢に疑問を感じるのだ。
フェミニズム陣営総崩れというのは、女性論者が破綻するということだろうが、思想としてのフェミニズムが総崩れということはあり得ない。

 書かれている文章を批評しようとすると、それはイリガライの言っていることだったり、フェルマンが言っていることだったりと、引用文であることが多い。
そして、彼女たちの文章をさまざまに批判しているのだが、筆者の声がよく伝わってこない。
いいかえると、筆者の立場が見えないのだ。

 筆者自身のフェミニズム論を展開するなかで、女性論者たちの論を批判するのではない。
女性論者たちの文章を引用しながら、つまみ食い的に批評し、自分の意見であるかのように、文章をつなげている。
これが筆者のスタイルだ、と言われれば仕方ない。
しかし、このスタイルが筆者にとって、フェミニズムが不可欠だと思わせない理由であろうか。

 ボーヴォワールの言葉を長々と引用し、彼女を肯定的に論じたかに見せながら、彼女の論理はヘーゲルからの借用であるという。
そして、両者の対応関係をのべて、彼女の言葉を切開していく。
この作業の向こうに、筆者の声が聞こえてこなければならないのに、この批評で筆者は何が言いたかったのだろうか、と思わせてしまう。

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 筆者はよく勉強していると感じさせるが、筆者の主張は何なのかが伝わってこない。
また、筆者がフェミニズムにどうかかわるのかが、伝わってこない。
同じような読後感を持たせる上野さんは、女性だから許されてしまうが、筆者は男性だから不自然な感じが残ってしまう。

 映画論に至ると、「エイリアン3」にかんして、次のように言う部分がある。

 ファルスと闘う女性はすべてを失う。
これがこの映画の発信するあからさまなメッセージである。そして、この映画の作り手たちは自分たちがそのようなメッセージを発信していることをおそらく自覚しておらず、それがアメリカの男性観客の「悪夢」を映像化してみせたのだということにも、おそらく気づいていないのである。P180


 映画製作者たちが意図していないメッセージを読むのは、無意識に発しているものを読んでいるというのだろう。
しかし、こうした立論が許されると、どんな批判も可能になってしまう。
筆者はマイケル・ダグラスの映画を引いて、彼の映画のなかで多くのスター女優が殺されたので、そこに女性嫌悪を読みとる。

 しかし、マイケル・ダグラスの映画を引いて、あたかもアメリカ映画のすべてが女性嫌悪であるかのように論じるのは、まさに恣意そのものではないか。
無意識的に表現されているのを、賢い筆者が読んでいるという展開は、独りよがりであり反論も簡単にできる。

 フェミニズムはヒューマニズムと同様に、人間に関する基本的な思想である。
ヒューマニズムが近代になって初めて誕生したとすれば、フェミニズムは20世紀になって初めて誕生したのだ。
フェミニズムが遅れたのには、歴史的な必然があった。
今、フェミニズムとヒューマニズムの両者があって初めて、人間の思想は完全なものになった。
フェミニズムの歴史的な役割が終わることはない。

 本書は、「まえがき」と「あとがき」が、引用のない分、筆者の肉声だと思われる。
その「あとがき」なかで、「男女同権」には馴染みを感じるが、「男女共同参画社会」という言葉には、かすかな違和感を覚える、と言っている。
このあたりに、筆者の本音があるようだ。

 初老の男性である筆者には、なぜ男女平等が必要なのか、判っていないのではないだろうか。
また、長い人類の歴史上、なぜ女性は差別されてきたのかも、判っていないのではないだろうか。
小器用な学者が、筆者自身の問題として「なぜ」を考えずに、
目の前にあるフェミニズムを手際よく料理して見せた、というのが読後感である。
(2008.9.5)
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参考:
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中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
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荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
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斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009

ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000


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