著者の略歴−1806〜1873年。イギリスの経済学者、哲学者。ロンドン生まれ。若い時代に、2才年下のハリエット・テーラーから感化を受る。ミルが46才のときに2人は結婚するが、ハリエットの病死によりわずか7年半で結婚生活は終焉を迎えた。 本書は1869年にロンドンで出版された。 わが国では大正時代に一度訳されている。 女性解放の古典中の古典とされており、現在読んでもいささかも古びてはいない。 筆者が晩年になって書いたこともあり、論点にはまんべんなく目が届き、論旨もしっかりしている。
本書の解説を、大内兵衛が書いている。 そのなかで、婦人問題は資本主義制度の問題であり、社会主義でなくては解決できないと書いているが、時代は変わったものだ。 20世紀に活動した訳者が時代に追い越され、19世紀に書かれた本書はいまだに輝きを失っていない。 もはやベーベルの「婦人論」など、まったく威光を失ってしまった。 マルクス主義とか社会主義が崩壊してしまった。 ブルジョア・フェミニズムだといわれる本書が、最高の古典といっても良い状況である。 解放の思想は、常に支配者から与えられるとすれば、本書はまさに女性解放の思想書である。 当時の慣習に反対して、女性差別の原因を、筆者は次のように言う。 女性の法律的従属という制度は、他の社会制度を比較し経験したうえで、これが人類にとって最良であるという理由をもって採用されたものではない。男性が強さにおいてまさるというたんなる肉体的事実が、法律上の権利にかえられ、それが社会によって認められたのである。P8 筆者は女性が隷属させられた理由を、階級とか社会的な原因に求めなかった。 個人的な肉体の強さに差別の原因を求めたことが、根元的な差別の構造をえぐり出すことに成功した。 あとは個人的な事情と社会的な齟齬を解消すればいいのだが、さすがに本書はそこまで筆が届いてはいない。 わが国における現在のフェミニストが、いまだに女性差別の根本的な理由を開示できないでいる。 その理由は、肉体の個別性から目をそむけているからである。 肉体的な屈強さが差別の原因だとすると、永遠に差別が解消されないと取り越し苦労をしている。
いわく、女性は論理的な思考ができない、 女性には天才がいない、 政治の話ができないなどなど、 今でも女性特有の性格とやらが、女性の社会進出に反対して言われる。 本書はそうした常識に一つ一つ反論し、人間の性格は環境がつくるものであり、生まれながらのものではないといって、女性の社会進出を肯定する。 当時、女性の社会進出といえば、選挙権の獲得を意味していた。 それは女性運動の大きな目標であった。 筆者は女性の参政権に堂々と賛成している。 本書は、結婚や職業に対しても論及しており、今から読んでも鋭い指摘がある。 結婚が対等の契約であって、正当の理由のある場合に別居が可能であれば、またそうなった場合あらゆる職業が女性に開放されているならば、女性が結婚してまで働いて収入を得る必要はないであろう。P21 一読すると、女性の職業を認めていないようだが、 職業が女性に開放されているならば、という言葉は女性の職業を前提にしている。 男女が平等になったときの最初の利点として、男性の問題として考えていることは出色である。 筆者は 女性を除外するということは、男性を堕落させるという効果をもつ、とくに、無教養で品性のいやしい男性にたいして著しい。P29 といっているが、、現在でもまったく同じことが言える。 男性にとって女性差別は、女性の問題ではなく男性の問題である。 差別はされるほうと同時に、するほうをも堕落させる。 このことが分かっていたのは、筆者が自己相対化の眼を体得した完璧な近代人だったからだろう。 そして、女性の社会進出は、労働力が単純に2倍になるといっている。 これも、当然のことながら慧眼である。 有能な女性を自己の伴侶とすることが、男性の喜びである。 いずれの性であっても、人格完成の障害は排除すべきだという。 だから、女性の解放は人間の解放である、と筆者は言う。 何度読んでも教えられることの多い本である。
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