匠雅音の家族についてのブックレビュー    オニババ化する女たち−女性の身体性を取り戻す|三砂ちづる

オニババ化する女たち
女性の身体性を取り戻す
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著者:三砂ちづる(みさご ちづる)   光文社、2004年  ¥720

 著者の略歴−1958年山口県生まれ。81年京都薬科大学卒業。99年ロンドン大学PhD(疫学)。ロンドン大学衛生熱帯医学院研究員およびJICA(国際協力事業団、現・国際協力機構)疫学専門家として約15年、海外で疫学研究、国際協力活動に携わる。2001年1月より国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部に勤務、2004年3月まで応用疫学室長を務める。2004年4月より、津田塾大学国際関係学科教授。専門はリプロダクティブヘルス(女性の保健)を中心とする疫学。著書に『昔の女性はできていた』(宝島社)、訳書に『パワー・オブ・タッチ』(メデイカ出版)など。
 とても複雑な読後感である。
書かれている細部については、賛同できる部分が多い。
しかし、筆者は歴史を考察していない。
そのため、産業構造が決める社会の発展段階が、まったく無視されており、思いつきを並べただけという印象を受ける。
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 我が国では、60から70代にかけての女性たちから、性と生殖、女性の身体性への軽視がはじまり、今では仕事があれば結婚しなくても良い、という風潮が蔓延している、と筆者は言う。
筆者がかかわった出産を中心にした研究から、女性の身体性を回復するべきだと主張している。
いかに頭脳労働が凌駕するといっても、頭脳は肉体の上にしか成立しない。
肉体を大切にしないと、頭脳労働も成立しないので、肉体の考察は不可欠である。

 現代人は、仕事で身体を使わなくなったので、仕事が肉体を鍛えてはくれない。
余暇に運動などをして、身体を鍛えざるを得ない。
情報社会の先端を行く人たちは、それを自覚しているので、スポーツクラブに通ったり、マラソンなどに精を出している。
身体は使わなければ退化する。
本書がいう女性の身体性とは、性と生殖にかかわる部分である。

 性と生殖にかかわる部分も、使われなくなっているのではないか、というのが筆者の危惧である。
現代医療の提供する出産は、管理化がすすみ、楽しいものではなくなっている。
現代の出産には、痛く辛く会陰切開をうけて、やっと苦難から解放される、というイメージがある。
しかし、自然な分娩は、明るく楽しいものだと、筆者は自分の体験をまじえて言う。

 出産の始まりはセックスである、と筆者は言う。
そして、楽しい出産を述べた後で、セックスは解放だという。
これには賛成である。

 性生活というのは出産と同じで、魂の行き交う場、霊的な体験でしょう。私は出産のところで原身体経験という言葉を使っていますが、じつはあれはセックスでも同じように得られるものだと思っています。非常にいいセックスの経験というのは、自分の境界線がなくなるような、宇宙を感じるような経験ですので、そういう経験をすることによって、やっぱり自分のレベルが上がっていくというか、自分があまり細かいことにこだわらなくなるというか、自分が落ち着いていく先を見つけることができるのだと思うのです。
 それに加えて、いつもふれあうことのできる相手がいる、ということも人間としてはとても大事ですし、女性としては、つねに子宮を使っている、ということも大事なことです。P144


 非常にいいセックスは宇宙を感じる体験だ、というのは女性の性感なのだろうか。
男性としては、そんなに深い快感があるのかと、いささか疑心暗鬼である。
しかし、セックスによって人類は存続してきたのだから、セックスが身体に悪いはずはないだろう。
男女が寄り添うことは、自然なことだと思う。
セックスを否定しがちな風潮に、逆らっている姿勢は歓迎できる。

 身体性を自然として捉えると、高齢出産は不自然だし、セックスのない人生も不自然ということになる。
そこから、繁殖力の旺盛な時機に、子供を出産しようと言う主張になる。
今日の風潮とは逆だが、とても自然な論理展開である。
性や性交に関係する肉体も、どんどん使うべきだとの主張には、大賛成である。

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 人間はやはり命の勢いがガーツとあがっているときに結婚した方がよいのでしょう。男性も、「誰とでもいいからやりたい」と思っているような時期は、人生でそう長くは続かないのです。だからそういうときに結婚させて、相手をあてがって、ふたりで仲良くしていただいて、というのがからだにとっても一番よいのです。P195

 結婚するとセックスをするが、結婚しなくてもセックスは出来る。
せっかくセックスの自然な謳歌を謳いながら、結婚という社会制度にはめ込むのは了解できない。
男性が誰とでもいいからやりたい時期に、セックスの相手をする女性は幸運だろうが、結婚となると話は別だろう。
むしろ婚外でのセックスも、大いに結構だと思う。
ここらあたりは、今日の主流派に迎合しているのであろうか。
セックスを結婚に結びつけてしまうのは、いささか強引なように思う。

 筆者の主張とは反対に、今日の性教育は性交体験年齢を上げよう、としているように感じられる。
筆者は、出産に力点をいてはいるが、出産に至るにはセックスが不可欠だから、必然的に若者のセックスを肯定する。
そして、早婚と若年出産を薦める。若者のセックスには賛成するが、当サイトは早婚には賛成できない。

 当サイトも、若者にセックスの楽しさを教えるべきだ。
生理・精通が始まったら、男女ともにセックスをしても良い、と考えている。
セックスを大人の独占にするのは、止めるべきだと論じてきた。
この論旨にかんする限り、本書にまったく賛成である。
しかし、筆者はブラジルなどの途上国体験が長かったせいか、農耕社会の行動基準を我が国に当てはめようとしている。

 農耕社会の人間の生き方は、確かに自然に従っている。
農業というの産業が、自然の支配下にあるのだから、それに従事する人間も自然に生きる。
我が国でも、かつては生理・精通が始まれば、未成年でもセックスをした。
昭和天皇の裕仁は、母親が16歳の時に生まれた。
つまり、裕仁の母親は、14〜5歳でセックスを始めていた。

 現代社会で識者たちは、性交体験の低年齢化を憂いているが、自然の横溢していた時代では若年者がセックスをした。
中学生くらいなら、セックスは充分にできるし出産もできる。
筆者がそれに論及しているのは、まったく正当だと思う。
しかし、筆者は自然を強調するあまり、時代や社会の変化の必然を見落としている。

 (日本人は)自分たちが受け継いできた大切な知恵を、ちょっとの問にすっかり忘れてしまいました。そして今、次の世代に受け継いでいくものを何も持っていません。同じアジアでも、インドや中国の人は、海外で暮らすようになっても、もっと自らの文化にこだわりますし、インド人は、たとえば、わたしたちがきものを捨てたように、サリーを捨てるようなことはぜったいしないでしょう。P248

 これが筆者の長い外国生活での、実感かも知れない。
しかし、インド人がサリーを絶対に捨てないと、なぜ言えるのだろう。
中国人がチャイナドレスを捨て、韓国人がチマチョゴリを捨て、ベトナム人がアオザイを捨てている。
スコットランドの男性だって、もはやスカートをはいていない。
民族の服飾も、産業構造の支配下にある。
時代や社会を無視した、実感にたよった近視眼的な発言だと思う。

 若者のセックスを肯定している筆者だが、こうした姿勢は、フェミニズムから主張されるべきだった。
しかし、我が国のフェミニズムは、「セックスをするなという性教育」に同調している。
筆者はフェミニズムに肯定的な言及しているが、筆者の立場はフェミニズムが登場してきたのとは反対の方向である。
セックスを謳歌する主張が、なぜフェミニズムから出てこないのか、実に残念である。 
(2005.01.20)
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002年
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
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ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001

奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
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ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
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スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009


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