匠雅音の家族についてのブックレビュー    子どもを喰う世界|ピーター・リーライト

子どもを喰う世界 お奨め度:

著者:ピーター・リーライト−晶文社、1995 ¥3、786−

著者の略歴−1950年ロンドン生まれ。オックスフォード大学で歴史学を学ぶ。卒業後、BBCテレビの番組制作に携わり、不法移民などのドキュメンタリー番組を手がける。現在はフリーのプロデユーサーとして、英国や米国で幅広い活躍をしている。
 「親を殺した子供たち」が、先進国の話だとすれば、子供を喰うのは途上国の話である。
もちろん地球上に近代が登場する前には、子供なる概念はなかった。
だから、厳しい労働に従事する貧しい人がいたに過ぎない。
その貧しい人の何人かは、年齢の低い人間だった。
誰も子供を特別視しなかった。
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 近代が始まると、経済的な裕福さに極端な違いがうまれた。
西洋諸国が過酷な植民地政策をとったので、富める先進国と貧しい途上国は、はっきりと分離されてしまった。
労賃の安い途上国では、裕福な先進国のために、極端な低賃金労働が強制される。

 途上国では、近代化が進んでいないので、子供なる概念が先進国とは異なる。
子供なる概念はない、といっても過言ではない。
子供であっても、労働力である以上、使役される対象である。
途上国には、児童福祉法がない。
それを先進国から見ると、子供という特殊な存在への虐待にみえる。

 途上国では子供は労働力であり、親の老後の保障である。
社会福祉もなく、老後の年金もない。
蓄財しようにも、日々を過ごすのが精一杯であり、老後の蓄えまでまわらない。
とすれば、子供は親のために金を稼ぐ存在となる。
途上国の子供はよく働く。
学校がないので、自分の世話ができるようになると、労働者として働かざるを得ない。
それはかつての先進国でも、まったく同様だった。

 本書は、南北の経済格差のなかで、そのしわ寄せを最大に受ける子供たちの記録である。

 ヨーロッパのほとんどの子どもたちが学校にあがって勉強を始める年齢になると、第三世界の何十万人もの子どもたちは工場や畑に出て、一生つづく苦しい労働を始める。ヨーロッパの平均的な大人がベッドから起き上がってその日の8時間の労働について考えはじめるころ、第三世界の児童労働者たちは、すでに1日12〜16時問の労働のうちの数時間分をこなしている。この子どもたちには、超過勤務手当もないし、週末の休みもないし、休暇もない。語るべき未来もない。
 この子たちの労働は、登校前に新聞配達をしてこづかいを稼ぐのとはわけがちがう。彼らこそ、この世界の真の貧者であり、自分と家族を飢えから救いだすために働いているのだ。そうした子どもたちの数は増加している。消費者革命の結果、西側世界には余剰食料や、なくてもいいような商品や労力を節約する装置があふれかえる一方で、世界の最も貧しい地域はさらに貧しくなっていく。P16

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 まさにそのとおりである。
しかも、それは途上国では、子供に限ったことではない。
途上国の大人にとっても、日々の労働は厳しいものだ。
貧しい地域はますます貧しくなる。
自分と家族を飢えから救いだすために、途上国の労働者は、夢のない長時間労働に従事している。

 筆者はあふれんばかりの人類愛にもえ、9つの例を示して、過酷な現状を訴える。

1. 20時間労働のカーペット・ボーイ−インド
2. 餓死するか、働くか−バングラディッシュ
3. プランテーションの奴隷−マレーシア
4. 警官が怖い−ブラジル
5. 親に売られる子どもたち−タイ
6. 違法労働−ポルトガル
7. 見習い制度の罠−トルコ
8. 幼い売春人−フィリピン
9. 路上で生きる−メキシコ

 これらは、すべて事実であろう。
親に売られる子供たちがいるのも事実である。
戦前のわが国でも、親が子供を売った。
極悪非道な親だと思うかもしれないが、親のもとにおいておけば、子供が生きていけないからだった。
だから、親は子供が売春をさせられると知っていても、よりよき生活へと子供を売ったのである。

 本書は、正しい人類愛にあふれている。
だから、本書を批判することはできない。
本書のような素朴で幼く正しい人類愛は、人の耳に心地よく入りやすい。
自分の置かれている立場を忘れて、人は本書に同意する。
本書に同意しないのは、まったく人非人である。
途上国のかわいそうな子供を助けましょう、といった運動が生まれやすい。
しかし、この手の運動は、自他を別種の生き物と見なす。
ひどい差別観を内包している。
シュバイツアーやマザー・テレサの例がそれを証明する。

 西側諸国の姿勢や野望と、その結果、いたるところで子どもたちが搾取されている事実のあいだには明らかに緊密な結びつきがある。これは経済状態が貧しい国の国内問題にとどまらず、貧しい価値観しかもたない世界全体の問題である。つまり世界経済の秩序が、あらゆるところで、貧者や地位を奪われた人々を犠牲にして成立していることを表しているともいえる。P428

 正しい正義感が、正しいとは限らない。
そして、正しい正義感によってなされる行動が、正しいとはまったく限らない。
正義感とその結果おきる行動、そして行動の結果は、まったく関係がないといっても良い。
こうした皮肉を私たちは、嫌と言うほど見せつけられてきた。
筆者の主張には賛同するが、それではどうしたらいいのだろうか。
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参考:
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
ジョン・デューイ「学校と社会・子どもとカリキュラム」講談社学術文庫、1998
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995  
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年


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