匠雅音の家族についてのブックレビュー    新版 女性の権利−ハンドブック女性差別撤廃条約|赤松良子

新版 女性の権利
ハンドブック女性差別撤廃条約
お奨度:

監修:赤松良子(あかまつ りょうこ)  岩波書店、2005年 ¥780−

監修者の略歴− 東京大学法学部卒業.ウルグアイ大使,文部大臣,国連女性差別撤廃委員会委員などを歴任.現在,文京学院大学顧問,国際女性の地位協会会長.国際女性の地位協会。女性差別撤廃条約の研究・普及を目的として,1987年に設立されたNGO。98年,国連経済社会理事会の協議資格を取得.シンポジウムや研究会の開催,国連活動の傍聴,年報『国際女性』や研究書の刊行などをおこなっている.現在,会員210名.

 たくさんの人が寄り集まって書くと、どうして啓蒙調になってしまうのだろうか。
男女同権を無前提的に訴えるだけで、男女差別が生じた歴史社会的な背景には言及しない。
<ハンドブック 女性差別撤廃条約>と副題がついている以上、本書のような仕立てになるのは、仕方ないのかも知れない。
しかし、お説教調が強く、まったく面白くない。
これでは教科書として、無理矢理に読まされなければ、誰も読もうとはしないだろう。
女性の権利は、ますますつまらないものになる。
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 国際女性の地位協会なるグループが編集をして、赤松良子さんが監修をしている。
本書は、西洋流の人権概念に基づいているので、西洋諸国やそれを受け入れた我が国では、本書の主張は自然に理解されるだろう。
しかし、現在の先進西洋諸国での人権概念は、資本主義の発達が生み出したものであり、きわめて歴史的かつ地域的に偏ったものである。

 本サイトは、近代=工業社会から、後近代=情報社会という流れを、歴史の必然と考えるから、女性の社会的な台頭を肯定する。
しかし、西洋流の人権概念を肯定しない国は、地球上にたくさんある。
本書の立論は、西洋の人権概念をまったく無批判のまま引用しており、とても危険な感じがする。
啓蒙書としては、これが限界なのかも知れないが、2005年に上梓する本としては、もう少し将来を見据えて欲しい。

 国連の原加盟国51か国のうち、じつに20か国が、当時まだ女性に参政権すら認めていませんでした。これでは女性は、国連活動に加わることはおろか、男性と平等の主権者として国政に参加することもできません。そこで、1946年12月2日、第1回国連総会は、女性に男性と平等な政治的権利を与えるべきであるという決議を採択しました。それを受けて、女性の地位委員会がイニシアティブをとって草案をつくり、1952年12月20日、第7回国連総会において「女性の参政権に関する条約」が採択されました。P3

 なぜこれほど多くの国で、女性の参政権がなかったのか、を考えるべきだ。
じつは男性の参政権だって、現在のように誰にでも認められるようになったのは、そんなに昔のことではない。
たかだか数十年の歴史しかない。
責任を果たす者のみが、参政権を行使できた。
税金を納めていない男性には、参政権が与えられない時代が、ほんとうに長く続いてきた。

 神様が人間を支配すると考える人は、地球上ではまだまだ多い。
神様は特定の男性をつうじて、支配権を行使すると考えてきたのも、歴史が教えるところだ。
政治過程に投票という形で参加することが、基本的人権だと見なされるようになったのは、本当に最近のことだ。
        
 世界のさまざまな国々では、女性の地位も、女性の権利に対する認識も一様ではありません。たとえば、労働の現場で女性をできるだけ手厚く保護すべきであるという当時のソ連を中心とする国々の意見と、女性を保護の対象にしていてはいつまでたっても男女差別はなくならないから、保護は妊娠・出産に関することに限定して、できるかぎり平等を追求すべきだという西欧諸国の意見が根本的なところで対立しました。P5

 この対立は現在でもある。
とりわけ母性に立脚した我が国の女性運動は、後者を選択しがちになる。
なぜ、前者が選択されたのか、前者を選択することは、正しいことだったのか。
そこまで踏み込んで論じるべきだろう。
  
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 男女別名簿の最大の問題は、男と女を分けること自体、区別することそのものなのです。学校生活のさまざまな場で、男と女を区別し性別集団ごとに行動させることは、教師側に女性を差別するつもりがなく、たんなる従来の慣習としてやっているにすぎないとしても、日々、男と女はちがうのだという意識を植えつけ、一人ひとりの個性を生かすのではなく、性別によってステレオタイブ化した性格や行動パターンを育てることになります。P27

 その通りだが、我が国で上梓する以上、ユニバーサル・デザインまで踏み込むべきだろう。
男と女を区別し性別集団ごとに扱うことは、男女別名簿の問題にとどまらない。

 男と女を区別し性別集団ごとに扱うことそれ自体が差別である。
公衆トイレから脱衣室まで、すべてにわたって男女別の扱いは止めるべきである。
サッカーなどの球技や陸上・水泳などのスポーツにおいては、男女混合の競技が当然である。
そして、柔道やレスリングなどは、男女混合体重別の戦いにすべきであり、男女別に競技するのはおかしい。
先端的な男女平等の議論はここまで進んでいるのに、本書は通俗的な領域を出ようとしない。

 女性一般という括りをすると、女性のなかでも利害が対立する。
本書の立論は恣意的なつまみ食いが多く、時代遅れで、すでに矛盾を指摘されているものが多い。
また子供にすれば、女性も抑圧者だという子供からの視点が、まったく欠落している。
途上国での女性解放と、先進国での女性解放は、次元の違う世界に入っている。
国連だからと一律に論じるのは無理である。

 バングラディッシュでの<グラミン銀行>の例を挙げているが、ここでは融資を受ける女性が5人組をつくって、連帯責任を負わされている。
無担保融資の代替担保として、連帯責任とすることは途上国では良いかも知れない。
しかし、個人責任の原則に反するので、先進国では採用できない。
産業の発展段階によって、女性の権利は個々に論じられるべきで、女性一般の括りは無理である。

 結婚に際して、戸籍の上で夫の姓になることを、法律的には「夫の氏を称する婚姻」といい、身分関係を証明する戸籍簿の筆頭者は夫であることを意味します。個人単位ではなく、夫婦と子という集団としての家族を単位とするのが日本の家族制度のきわだった特徴です。P150

といいながら、家族を個人単位に変えようとするのではない。
男女別姓によって問題をかわそうとしている。
これでは婚外子差別の問題は残ったままである。
女性の権利確立において、進めるべきは夫婦別姓ではない。
家族を個人単位へと再編成することである。
個人単位の家族形態は、単家族として提示しているから、執筆した女性たちは不勉強としかいいようがない。

 本書の最大の欠陥は、社会と個人の位相の違いに無自覚なことである。
社会と個人の位相を分けないから、絶対の正義を主張することになる。
本書を受け入れると息苦しい。
これでは性別に従った嗜好を謳歌できない。
マッチョやフェミニン趣味まで否定されかねない。
「女性の権利」といいながら、1869年に出版された「女性の解放」に、理念において負けている。

 本書から受ける印象は、我が国の女性運動がアメリカの1960年代と同じだと言われるのも、あながち間違いではないように感じる。
執筆者たちに優等生的な広い目配せは感じるが、自分の頭で考えていない。
時代を切り開いていこうという意志は感じない。
女性たちよ、もっと頑張れ、もっとトンガレと言いたい。   (2005.12.16)
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参考:
クライブ・ポンティング「緑の世界史 上・下」朝日新聞社、1994
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006
足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005
三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003
浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005
山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000
菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002
有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005
佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001
管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007
浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004
藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001
ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008
小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001
芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987
D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004
河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004

河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009

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