著者の略歴−1939年5月13日、福岡県に生まれる。日大芸術学部映画学科に入学し、『椀』(61)、『鎖陰』(63)を自主映画として共同製作する。同時に、「VAN映画科学研究所」で、赤瀬川原平、風倉匠、小杉武久、刀根康尚らジャンルを越えた作家達と交流する。やがて若松プロダクションに加わり、ピンク映画の脚本を量産すると共に自身も『堕胎』(66)で商業デビューを果す。一方で、『銀河系』(67)の自主製作、大島渚『絞死刑』(68)への出演、『帰ってきたヨッバライ』(68)、『新宿泥棒日記』(69)への脚本参加、永山則夫が見たであろう『略称・連続射殺魔』(69)を佐々木守、松田政男らと共同製作。1971年、カンヌ映画祭の帰路のパレスチナヘの旅による越境のニュース・フィルム『赤軍−PFLP・世界戦争宣言』を撮影製作し、1974年、自らをパレスチナ革命に投じるために日本を旅立つ。1997年にレバノンで逮捕拘留され3年の禁固刑ののち、強制送還される。自由の身となった現在、新たなる映画の理論と実践を目指している。著書に『映画への戦略』(晶文社)、『映画/革命』(河出書房新社)など。 日本赤軍ときけば、世界中の政府が身構えたものだ。 しかし、日本赤軍といっても、もはや知っている人は少なくなった。 リッダ空港襲撃事件といっても、知っている人は皆無かも知れない。 ひょっとすると、襲撃で生き残った岡本公三さんの名前だけは、覚えているかも知れない。 本書の筆者は、岡本公三さんの属していた日本赤軍の兵士として、レバノンを中心に26年間にわたり活動してきた。
筆者は1997年から2000年まで、日本赤軍の同士たち3人と一緒に、 レバノンのルミエ刑務所に収監されていたが、その3年間の獄中記が本書である。 本サイトは、刑務所こそその国の民主化度を表すと考えているので、 アメリカの刑務所体験なども掲載してきた。 今回も、日本赤軍への評価はせずに、筆者と刑務所とを論じていく。 レバノンの刑務所も、途上国の刑務所の例にもれず、水責めや電気ショックといった肉体への厳しい拷問がまかり通っている。 そのうえ、受刑者の人権などどこ吹く風で、定員の何倍もの受刑者を詰め込んでいる。 我が国の刑務所も定員を超えているというが、 レバノンの刑務所はマグロを並べた状態で眠り、寝返りを打つと隣の人間にぶつかるほどだという。 途上国では、身分によって扱いが異なり、法の下の平等も確保されていない。 貧乏人は徹底的に虐げられるが、金持ちたちは刑務所でも、優雅な生活を送ることができる。 早朝から修理工場前のベランダに降りて行くのは、そこで特権的な囚人たちと朝のコーヒーを表に楽しむ為だった。彼らは、元大臣、元議員、医者、高級官僚、それに、当時の首相ハリーリ(Rafiq al-Hariri)系列の建設会社重役やテレビ局長などで、要するに本来なら外でがむしゃらに働きまくっている人士たちである。彼らは、刑務所内でも、外の社会の延長で優遇され、優雅に暇をつぶしながら釈放されるのを待っている。P20 アラブ諸国では、岡本公三さんは英雄だから、もちろん特別扱いである。 そして、筆者は鍼灸師だとかで、これまた特別待遇されていたという。 我が国なら、同罪の受刑者を同房に収監はしないだろうが、 ここでは日本赤軍の全員が、同じ房に収監されていた。 刑務所には、その国の事情が集約的に表現される。 レバノンの警務所には、受刑者による密告制度がはりめぐされており、 特別待遇や恩赦などと引き替えに、受刑者による監視がなされていたらしい。 少ない予算で受刑者を管理するため、密告制度が発達したのだろう。 我が国の刑務所は、その管理が厳しいことで有名である。 特に外部との連絡には神経質で、新聞なども検閲があるし、 持ち込める本も冊数の制限がある。 しかし、レバノンの刑務所では、接見や差入れにも比較的寛大で、図書館すらあるようだ。 他にも我が国からは、想像もできないこともある。
本書の記述からは、レバノン刑務所に後進国性も感じるが、 アメリカや西洋諸国と同質の自由さを感じる。 受刑者の自主性を尊重し、受刑者同士の交流も、可能な限り許されているようだ。 我が国の刑務所の管理が異常なようだ。 筆者の年齢と、26年間も日本を離れていたとことを考えれば、 時代外れな本書の記述も、素直に肯首すべきかだろう。 また、浪花節的な体質と、古い共同体嗜好は、筆者をアラブへと駆り立てた資質かも知れない。 しかし当初は、対象であるアラブに批判もあったろうが、 近くにいるうちにアバタもエクボとなっているのは気になる。 外国を研究する学者などは、研究に埋没し、やがて研究対象を肯定し始める。 そして、対象を全部的に肯定し、対象に完全に同化していく頃に、学者として認められるようだ。 その時には、自由や平等も、民主主義の原則もまったく無視して、 現地の人や習慣を賞賛していることが多い。筆者も同じ仕儀に陥っている。 マスール(村の顔役といったとろこか−当サイト注)の応接間には、女性の参列は許されないけれども、すぐ裏の台所は、屋敷の中で最大の部屋であり、そこに女性たちが集まっている。女たちには、マスールを支えているのは、実は食い物と子供の世話を焼く自分たちだという思いがあるから、応接間に集まった男たちにお茶を出す少女たちを伝令として使い、マスールの応接間に誰が来ているのか、集まってどんな話をしているか、それらを逐一聞いている。 食事の仕方も、マスールの応接間で男たちが先ず食べ終わり、それを真の台所に下げて女性の年寄りが食べる。次いで、その食事を賄った中年あるいは若い女房連中が食べ、その間に子供たちが一緒に食べ終わる。 女性が食事の場に同席を許されないにもかかわらず、 村や家庭では民主主義的な運営がなされていると、筆者はいう。 女性に選挙権がないアラブは、どう考えても自由や平等はない。 女性に参政権がないということは、男性も解放されていないということだ。 にもかかわらず、現地で生活しているうちに、自由で平等な社会といった具合に、西洋近代観もうやむやに消化されてしまう。 相手に無節操に同化していく資質は、筆者に限ったことではなく、 学者をはじめとして我が国の全員が共有している。 多分それは、我が国が前近代的な体質から、抜け出せていない証明だろう。 右から左まで、無節操に相手を肯定してしまう資質は、 本当は相手を尊敬していることにはならないのだ。 確立した自我がないので、対象を相対化できずに、相手へと没入してしまうに違いない。 我が国の鎖国性や特殊性は、本書の隅々から感じる。 そして、我が国の政府が、日本赤軍の兵士を取り戻すために、 秘密裏に莫大な賄賂を使ったことがわかる。 我が国の政府は、国民の目が届かないのを良いことに、 外国ではずいぶんと破廉恥なことをやっている。 本書の向こうに見えるのは、北朝鮮との交渉にも、賄賂などの秘密の約束があるだろう、という絶望的な疑義である。 我が国政府の強引な引渡請求にもかかわらず、 岡本公三さんだけは我が国での再処罰を理由に、レバノンへの亡命が認められた。 この部分を読むと、どちらの国が先進国だかわからなくなる。 筆者は、我が国からの経済援助の見返りに強制送還され、1年半の刑務所生活を送ったあと、自由の身になった。 (2006.5.09)
参考: 鈴木邦男「公安警察の手口」ちくま新書、2005 高沢皓司「宿命」新潮文庫、2000 見沢知廉「囚人狂時代」新潮文庫、2000 ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994 山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006 足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005 三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003 浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005 山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000 菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002 有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005 佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001 管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007 浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001 流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004 藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001 ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008 小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001 芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987 D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004 河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004 河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009
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