著者の略歴−1934年滋賀県生まれ。明治大学大学院博士課程修了、現在:明治大学教授、専攻:犯罪学、著書−「死刑廃止を考える」岩波ブックレット、「犯罪学」五訂版成文堂、「検証・プリズナーの世界:ニッポンの監獄を受刑者が語る」編明石書店、「受刑者の人権と法的地位」編著日本評論社、「受刑者の法的権利」三省堂ほか 犯罪を犯して刑務所に収容される。 自分が犯罪を犯すことなど考えられないし、 自分が刑務所に収監されるなど、想像もつかないに違いない。 刑務所など日常の生活からは、遠い世界のことに思えるだろう。 そのため、刑務所がどんな仕組みで、受刑者たちはどんな扱いを受けているかなど、多くの人は考えたこともないと思う。 しかし、監獄での暴行によって、とうとう受刑者に死者がでた。
わが国は世界でも第2位の経済力をほこり、産業面では間違いなく先進国であろう。 近代国家としての経済的な実力をもっている。 しかし、ローマと同様に、近代も1日にして成るものではない。 豊かな経済面にたいして、人権といった面になると、はなはだ心許ないのが事実である。 ましてや、犯罪者の人権保護となると、とても先進国のレベルとは言えない。 どんな国家も近代に入るまでは、普通の庶民に人権など保障しなかった。 身分制が貫徹していた時代、 庶民と貴族は画然と区別されたし、金銭で売買された奴隷がいたことは周知である。 現在言うところの、人間として生活できたのは、人口の1割を占める支配階級だけだった。 当時、監獄に収容されると、どういう状態になったかは、ジョン・ハワードの「18世紀ヨーロッパ監獄事情」に見るとおりである。 遅れて近代化にのりだしたわが国の行刑制度、つまり受刑者にたいする扱いは、対西欧諸国に向けての制度整備でもあった。 明治の初めには、懲罰刑が当たり前だった江戸を引きずり、受刑者は厳しい監獄生活が当然とされていた。 そこには受刑者の人権といった発想は、入る余地がなかった。 しかし、近代諸国は懲罰刑から教育刑へと移っており、わが国もそれを追わざるを得なかった。 犯罪者は刑罰を受けることによって罪を償う。 身体にたいする刑罰とは、個人の自由を拘束することであり、身体に苦痛を与えることではない。 刑期が終了した者は、もはや市井の人であり、通常の社会生活を営む。 そのため、刑罰は社会復帰を前提にくまれるべきで、懲らしめるためであってはならない。 教育刑といわれる所以である。 わが国の行刑制度は、残存する懲罰思想に加え、 刑務所の運営が隠蔽されているので、受刑者の人権が無視されている。 しかも、上級官僚と現場の看守に隔絶された行政は、受刑者の社会復帰よりも、役人たちの自己保身が優先している。 たとえば、待遇改善を要求する受刑者は、要求すること自体が反抗的であると、懲罰にかけられる始末である。 外部との通信にかんしても、わが国は異常なくらいに閉鎖的である。 アメリカの刑務所では、一般的に「施設や職員に対する批判」、「不当に訴えを申立てている」、「苦情を誇張している」といった理由で、不正確な記述、急進的な内容、宗教的なもの等の記述を削除するため郵便を検閲してはならない、という原則が確立していることである。このような「実質的には刑務所行政に利する在監者の文通」を制限するなら、その制限がとめどなく拡大し、ひいては、そのことが刑務所ほんらいの実効性を損なうことになるとの認識があるからである。(中略) 面会・信書の発受に制限を受ける日本の受刑者の扱いは、国連・自由人権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)第10条1項(人道的かつ人間の固有の尊厳)、同3項(社会復帰を基本的な目的とする処遇)、第17条(私生活、家族、住居若しくは通信に対して懇意的に若しくは不法に干渉され又は名誉及び信用を不法に攻撃されない)に違反していると、先にあげた規約人権委員会はすでに1998年に勧告している。P86 受刑者を平穏に管理することを、最優先とするため、わが国では受刑者の自由や人権を認めない。 映画「うなぎ」で見るように、オイッチニ・オイッチニの軍隊行進が強制され、 裸体にさせての身体検査、通称<カンカン踊り>がまかり通っている。 イギリス映画「ラッキー ブレイク」や、 アメリカ映画「ショーシャンクの空に」や「アメリカン・ヒストリー X」などが描く刑務所の世界と、わが国の刑務所はまるで違う。
刑務所内で秩序を乱したり、反抗的な態度をとったと判断されると、さまざまな懲罰が待っている。 保護房送り、軽屏禁から厳正独居と続く懲罰は、そのいずれもが国際条約に違反している。 両手に皮手錠をかけて身体を拘束すれば、食事はできないし、排便もままならなくなる。 が、わが国では未だに行われている。 とうとう皮手錠による拷問によって、死者が出てしまった。 厳正独居とは、24時間にわたり3畳程度の部屋押し込め、 着座のまま袋貼りなどの作業させることだが、 1982年から13年間にわたり厳正独居を受けた受刑者がいた。 なお2000年11月現在で、2036人が厳正独居に処せられている。 厳正独居は社会復帰とは反対の方向であり、国際的に見ても異常であるばかりでなく、個人の自由を拘束するという刑罰の域を超えている。 国際的な交流が深まると、外国人の犯罪も増える。府中刑務所が多くの外国人受刑者を収容しているが、彼ら外国人が刑を終了して帰国し、わが国の刑務所の実態を公表し始めた。わが国の人権無視として、やがて国際問題化する恐れが強い。 刑務所における強制的な刑務作業が国際的にもしばしば問題となっている例として、その1つを挙げる。クリストファー・ラヴィンガーという28歳のアメリカの青年は、1994年6月10日にアメリカ下院外交アジア太平洋小委員会の公聴会で日本の刑務所での経験について訴えている。(中略) 公聴会で問題となったのは、@本人の意思に反し、わずかな賃金で強制された「奴隷労働」であった、A民間企業の下請けをしており、1932年に批准された国際労働協約に反する、B受刑者労働の製品を米国に輸出しており、米国内法に違反する、という3点である。(中略) もう1つ例を挙げると、1995年5月28日のイギリス 『インディペンデント』紙日曜版に、「英国人受刑者が奴隷労働に使われた」との見出しで報じられた記事がある。毎日新聞等が同月28日付で要旨を報じた。それによると、日本で服役経験のある米国人や英国人の話として、有名企業の社名入りの買物袋や電子部品製造のため、週47時間、時給わずか約19円で強制労働を強いられた、これを拒否すると1週間以上も独房にいれられ、1日11時間正座させられた、これは国際法に違反している、というものである。 経済的な利益を追求することにかけては、無類の能力を発揮するわが国だが、 人権には無頓着である。 モノや経済は簡単に近代化できたが、 人権といった人間にかんすることは、いまだに前近代のままである。 刑務所での待遇も、外国からの圧力がなければ、改善できないのだろうか。 本書はわが国の前近代性を、いやが上にも知らせてくれる。 わが国の受刑者は、何度も刑務所に出入りする累犯者が多く、また高齢者が多いことが特色である。 これは現在の行刑制度が、必ずしも上手く機能していない証拠であり、 刑罰の強化では改善できないことを示している。 受刑が社会性を奪い、社会復帰を阻んでいるとしたら、本末転倒である。 刑務所が25年ぶりに増設されるというが、刑務所のあり方そのものに、 もっと目が向いて良いと思う。 (2002.11.15)
参考: 松原岩五郎「最暗黒の東京」岩波文庫、1988 鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005 広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997 高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002 服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005 塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972 ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年 芹沢俊介「母という暴力」春秋社、2001 鈴木邦男「公安警察の手口」ちくま新書、2005 高沢皓司「宿命」新潮文庫、2000 見沢知廉「囚人狂時代」新潮文庫、2000 ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994 山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006 足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005 三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003 浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005 山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000 菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002 有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005 佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001 管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007 浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001 流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004 藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001 ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008 小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001 芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987 D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004 河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004 河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009 佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
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