匠雅音の家族についてのブックレビュー    公安警察の手口|鈴木邦男

公安警察の手口 お奨度:

著者:鈴木邦男(すずき くにお)  ちくま新書、2005年 ¥680−

 著者の略歴− 1943年福島県生まれ。67年、早稲田大学政治経済学部卒業。70〜73年、産経新聞社に勤務。学生時代から右翼・民族派運動に飛び込み、72年に「一水会」を創り、「新右翼」の代表的存庄になる。99年12月に「一水会」会長を辞め、顧問になる。現在、月刊「創」などにコラムを連載中。主な著書に、「新右翼」(彩流社)、「夕刻のコペルニクス」(扶桑社文庫)、「言論の覚悟」(創出版)、「ヤマトタケル」(現代書飯)などがある。
住所:東京都中野区上高田1−1−38みやま荘 Tel&Fax 03-3364-0109
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/


 いまだ恋愛結婚など普及していない時代に恋愛結婚をし、
キャリア女性を配偶者に選ばない時代にキャリア女性と結婚する。
これが我が国の皇室である。
主権在民というが、天皇が支配者だと言った方が馴染みが良い。
我が国の支配者たちは、庶民たちより明らかに時代の先を行っている。
情報社会化への対応も、支配者たちのほうが進んでいる。
本書を読むとそう思える。
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 情報社会とは個人の時代である。
共同体の縛りがほどけて、裸の個人が直接に社会と接するのが、工業社会の次に来る情報社会である。
情報社会の人間行動は、工業社会とは違う。
1960年代の後半に学生運動が起きたが、あれが工業社会の最後だった。
団体で思考し、団体で行動し、団体で生きていく。
それが我が国の工業社会だった。

 支配者たちは、共産党や学生たちより時代の先にいた。
だから、学生たちを苦もなく鎮圧できたのだ。
 
 日本の警察組織のビラミッドのなかでは、犯罪捜査や交通事故の処理に当たる現場の警察官よりも、公安が上に位置するのだ。後で詳述するが、右翼が街頭宣伝車を連ねてパレードをするときは、赤信号でも無視して通ることが多い(これは昔、ぼくもやったことだから自己批判的に言うのだが……)。「我々は愛国団体の街頭宣伝隊です。一般車輌は止まりなさい」とマイクで怒鳴って赤でも渡った。さらに勝手に一般車輌を止めているのだ。
 あるとき、こんな無法に義憤を感じたのか、交番からお巡りさんが飛び出してきた。先頭の街宣車に文句を言っている。
そしたら即座に、後ろに付いていた公安が走ってきて、そのお巡りさんを逆に怒鳴りつけた。「この右翼は俺たち(公安)が面倒をみているのだ。お前らが勝手に文句を言うな」と言っている。P35

 右翼が公安に頼めば、交通違反もチャラにしてくれる、という。
刑事警察が足を棒にして捜査するかたわら、
公安警察は有り余る時間を利用して試験勉強をするので、警察機構のなかで早く出世していく。
しかも、公安警察の実体は闇の中である。
警察全体が闇になっていくだろう。
おそらく支配者たちは、警察機構を闇のままにしておくつもりだろう。

 1970年直前から、公安活動の目的は変質し、公安は、かつてのような「共産党対策」「学生運動対策」から、「極左暴力集団対策」になった。もちろん共産党対策も重要視しているのだが、それよりも「社会の敵」「国民の敵」である極左暴力集団と闘うことに重きを置くようになる。
 こうして、時代の要請で、警備警察は巨大化し、機動隊員も激増した。70年代に入ると、全共闘もこれらの圧倒的な「警備」の前に押し潰された。
 ここでひとつ指摘しておきたいことがある。大衆的な学生運動はもうなくなり、数千から数万人規模の集会やデモはない。それならば、警備や機動隊は縮小していいはずなのに、そうはならなかったということである。P74


 過激派がいなくなったので、本来縮小すべきだった警備警察が巨大化したままで、公安警察は闇の中で巨大な勢力となっている、と筆者はいう。
しかも、組織の自己保身の例にもれず、
公安も自己の組織を維持するために、自ら犯罪をおこして公安の必要性を訴えているという。
公安という組織が、犯罪を生み出す構造なのだ。
公安がなくなれば、犯罪は減るらしい。

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 現在でこそ降りてしまったが、
過去40年にわたり政治運動を続けてきた筆者の発言には、聞くべきものが多い。
反体制側から見れば、右翼にしても左翼にしても、公安は筆者の言うように見えるだろう。
そして、現在の公安では、潜在右翼や潜在左翼には対応できないと言う。
筆者の次の言葉は、実に刺激的である。

 社交的で明るくて、いるだけで周りを楽しくさせる。そんな人間でないとスパイにはなれない。公安のなかでも最優秀な人間が、こうした潜入捜査官になるわけだ。
 ぼくも右翼運動のなかでは何十人もの公安を見てきたが、優秀な公安は、明るくて人当たりがいい。一見、遊び人に見える。「仕事」を相手に意識させない。「仕事などどうでもいい。会社(=警視庁)なんていつでも辞めてやる」と豪語していた男もいた。こういう「人柄」というのは警察大学校で教えられて習得できるものではない。公安のなかでも、明るく、人づき合いのいい人間をピックアップして、さらに磨きをかけて、特殊任務に就かせるのだろう。だから、スパイと分かった後でも、玉川氏を含め、梶山を非難する人はいない。「いい奴だった」と皆が口を揃える。P156


 大政翼賛運動は不要だが、反体制運動は絶対的に必要である。
「1984年」のように体制側の人間だけになったら、社会的な発展はすべて止まる。
自由な発想こそが社会を進歩させる。体制側の人間だけでは進歩はない。
そんな体制は早晩に崩壊する。
その実例を我々はつい最近、共産主義国家に見てきた。

 しかし、我が国においては、支配者は圧倒的に時代の先を見ている。
そして、時代に対応して、うまく庶民を収奪している。
むしろ庶民のほうが保守的だ。
庶民は警察や国家によって、保護されることを望んでさえいる。
庶民は人権を放棄しても、権力の保護を欲している。

 システムとしては問題が多いが、公安警察官の一人一人は優秀だし、それなりにこの国を守るという覚悟とプライドを持った人々だと思う。いや、最も強烈な「愛国心」を持った人々だと思う。この日本を守るためには何でもやると心を決め、認められ、誉められることもなしに、隠密に徹している。並の覚悟でできることではない。
 それに、こんな不屈な人々を育て上げた「教育大系」にも驚愕している。なぜ共産党や新左翼、右翼を監視するのか、徴底的に理論武装されている。「いくらなんでも、スパイを使ったり、こんな汚いやり方は嫌だ」と内心思っている公安はいるはずだ。しかし、内部告発はしない。それだけ強固な思想教育をしているのだ。P201


 われわれ庶民たちは、きちんと核家族を守っているし、西洋人たちのように私生児も生まない。
ふつうの男性はキャリアの女性を敬遠し、可愛い女性との結婚を望んでいる。
庶民は時代の後からついていっている。
そうした庶民の優秀な部分の裏返しが、じつは公安警察なのではないだろうか。

 少子化といわれるが、核家族を温存しようとしている限り、子供の出生は減っていく。
しかし、核家族を温存しようとしているのも、また庶民なのだ。
われわれ庶民たちこそ、変化なき永劫の社会を望んでいる。
庶民が異端を排除していく。
だから庶民は、私生児といった異端児を生まない。

 我が国では庶民が、最も優れていると思われている。
たしかに何時のどんな時代も、庶民がいなければ支配は成立しない。
だから庶民をおだて上げる。
けれども本書が教えてくれるのは、公安警察を作り上げた支配者たちの実力である。

 支配者たちは支配者であるだけで、存在意義がある。
だから、自分が異端だろうと、私生児だろうとどうでも良いのだろう。
支配者たちは本当のところは、少子化を止めるためには、
私生児であっても産んで欲しいのかも知れない。   (2006.3.01)
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参考:
鈴木邦男「公安警察の手口」ちくま新書、2005
高沢皓司「宿命」新潮文庫、2000
見沢知廉「囚人狂時代」新潮文庫、2000
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006
足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005
三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003
浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005
山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000
菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002
有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005
佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001
管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007
浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004
藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001
ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008
小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001
芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987
D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004
河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004

河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009

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