匠雅音の家族についてのブックレビュー    <物語>日本近代殺人史|山崎哲

<物語>日本近代殺人史 お奨度:

著者:山崎哲(やまざき てつ)−−春秋社、2000年  ¥3、200−

著者の略歴−1946年宮崎県に生れる、1970年広島大学文学部国文科中退、1980年劇団「転位・21」結成、1981年「うお伝説」「漂流家族」により第26回岸田國士戯曲賞受賞、198年「ジロさんの憂鬱」「エリアンの手記」「まことむすびの事件」により第21回紀伊国屋演劇賞受賞

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 物語とうたれているが、本当にあった殺人事件59件をもとに、時代相を読み解いていく労作である。
明治・大正・昭和(戦前)・昭和(戦後)−1・昭和(戦後)−2・平成と、時代を6つに区切ってその時代を浮き彫りにする。
本書は殺人事件を扱ってはいるが、殺人事件そのものを主題としたものではない。
殺人の裏に隠された時代や社会の変遷を、殺人事件を通して考察したものであり、一種の歴史書である。

 筆者の事件を見る目は冷静であるが、それだけに犯人とされる人たちへの暖かい眼差しが感じられ、
時代が事件を生みだす構造をよく捉えている。
いつの時代、どんな社会にも、殺人はある。
しかし、殺人という最もエネルギーの必要な犯罪に至る背景は、
時代によって社会によってそれぞれに異なる。
そして、時代が変わるとき、それに乗り遅れた人間が殺人へと走る構造、それが実にくっきりと良く描かれている。
本書の手法は、丁寧な仕事が主題を静かに浮かび上がらせる見本である。

 明治には農耕社会の倫理観を引きずった事件が多い。
まず、命が軽く、簡単に大量殺人に至る。
現在、若者の動機が不可解な殺人事件が起きるので、殺人事件が増加しているように錯覚するが、
命の尊さが浸透し始めるのは近代になってであり、明治にはまだ命は軽かったのである。
そのため、人は今日に比べると簡単に殺人に至った。
前近代では命が軽かったことは、歴史を知る者にとっては常識だが、改めて指摘されるともう一度うなずかざるをえない。

 男女ともに家族制度に守られていた農耕社会から、明治になって実質的に家制度が崩壊し、
人間が一人で生きていかなければならなくなる。
女性が家族員を養わなければならなくなる。一種の女性の自立が促されたのだ。
そうした背景が、女性の殺人事件を生みだすのも、よく記述されている。
いずれも人間は環境に育てられる動物である。

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 生命保険という正当な経済活動が、家族を解体する契機となっていく分析はきわめて鋭く、
これだけをとっても本書を読む価値は充分にある。
生命保険とは、人間の命に値段を付け、人間を商品と見ることなのだ。
前近代では人間の命を商品と見ることはなかった。
前近代では人間が共同体のなかで生きていたから、共同体が残された家族を守った。
だから生命保険は不要だったのだ。
しかし、共同体が崩壊し、個人が生身のまま社会に放り出された。
男女別の労働が生まれたここでは、稼ぎ手である男性が死ぬと、残された家族は路頭に迷う。
生命保険が必要な理由だが、同時に人間の命を担保にすることは、人間を売買することと通底するものがある。

 共同体が崩壊しながら、家族が残っていた工業社会は、やはり過渡期だったのだ。
情報社会になって、核家族が完全に個人単位の単家族へと分解されれば、
成人男女間では生命保険を掛ける必要性はなくなる。
なぜなら、すべての個人が独自に経済力を持つので、他人の生命を担保する必要がなくなるから。
ここで残るのは、子供に対する生命保険だろう。
自分より若い世代の者に生命保険を掛けるのは、現実にある例だが不自然である。

 本書では扱われていないが、子供に生命保険を掛けて殺した母親の事件は、
核家族での殺人事件ではなく単家族での殺人事件だったことを物語る。
単家族化したときに残る最後の犯罪、それが親による子殺しであろう。
本書はそこまでは論じてないが、本書の延長には親による子殺しが浮かび上がってくるのは必然である。

 動機なき犯罪とか、多発する17歳の犯罪とは、それほど怖ろしくはない。
親による子殺しこそ、情報社会にしかない殺人形態であり、もっとも怖ろしいものなのだ。
子供が親にとって労働力であり、老後の面倒を見させるために子供が不可欠だったとすれば、
親は子供を殺す動機を持ち得ない。
しかし、子供の存在理由がなくなった情報社会では、親にとって子供はペットとなった。
ここでは親による子殺しがいつでも発生しうる。
親による子殺しこそ、未然に防がなければならないものである。

 吉本隆明の言葉を使っているが、それが未消化でやや唐突な感じがする。
しかし、それを差し引いても、本書は瞠目すべき労作である。 
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参考:
ジョン・ハワード「18世紀ヨーロッパ監獄事情」岩波文庫、1994
山本譲司「累犯障害者」新潮社、2006
足立正生「塀の中の千夜一夜」愛育社、2005
三浦和義「弁護士いらず」太田出版、2003
浅野健一「犯罪報道の犯罪」新風舎文庫、2005
山崎哲「<物語>日本近代殺人史」春秋社、2000
菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002
有村朋美「プリズン・ガール」新潮文庫、2005
佐藤清彦「にっぽん心中考」文春文庫、2001
管賀江留郎「戦前の少年犯罪」築地書館 2007
浜田 寿美男「自白の研究」三一書房、1992
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
流山咲子「女子刑務所にようこそ」洋泉社、2004
藤木美奈子「女子刑務所」講談社文庫、2001
ヨシダトシミ「裁判裏日記」成美堂出版 2008
小室直樹「痛快!憲法学」集英社、2001
芦部信喜「憲法判例を読む」岩波書店、1987
D・T・ジョンソン「アメリカ人のみた日本の検察制度」シュプリンガー・フェアラーク東京、2004
河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス」岩波書店、2004

河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書、2009
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
赤松啓介「夜這いの民俗学」明石書店、1984
H・J・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう:フロイト帝国の衰退と没落」批評社、1988
櫻田淳「『弱者救済』の幻影:福祉に構造改革を」春秋社、2002

ジョルジュ・ヴィガレロ「強姦の歴史」作品社、1999
高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、
杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980
矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995  
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004
浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005
本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997
高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 
マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002
服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972
ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年



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