匠雅音の家族についてのブックレビュー    新フェミニスト経済学|マリリン・ウォーリング

新フェミニスト経済学 お奨度:

著者:マリリン・ウォーリング  東洋経済新報社、1994年  ¥3900−

著者の略歴− マッセー大学上級講師,国連統計委員会コンサルタント,ユニセフのコンサルタント,ファーマー(農業経営者).1973年ニュージーランドのビクトリア大学を卒業後,同大学政治学講師に就任.1981年,ハーバード大学ケネディ・スクール等を訪問研究.86年から最近までワイカト大学上級講師.この間,1975〜84年,ニュージーランド国会議員として環境問題など様々な分野で活躍。1952年ニュージーランド生まれの知的なシングル・ウーマン。著書「Women, Politics and Power」
 国連で働く筆者が、国連が各国に作成を要求している統計は、女性の存在を無視している、と反旗を掲げた書である。
原題は、「もし女性を国連国民経済計算体系=UNSNAの計測に含めたら」というものである。
筆者は稀少資源の効率配分を市場原理とした男性優位の発想を変えない限り、地球を救うことはできないと結論する。
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新フェミニスト経済学

 市場原理にのらない価値をどう計測するかは、きわめて難しい。
たしかに労働とは、自然との質量の交換だから、誰が体を動かしても労働である。
そして、労働こそが価値を生みだす、と経済学はいっている。
だから本来的には、労働の価値は市場での評価とは関係ない。
しかし交換価値としては、空気といった人間には不可欠だが、無限にあるものには価値を見いだせない。
同様にボランティアにたいしても、労働ではあるが、それを市場価値とは見ない。
 
 環境が計測されていないのと同時に、女性と女性の労働もまったく見えないものとしていることがはっきりしてきた。たとえば、一政治家としての私には、現在の生産という枠組み上では、育児施設の必要性を証明することさえ事実上不可能だということがわかった。「非活動的」で「無業」である「非生産者」(主婦、母親)には、はっきりいってその必要がないのだ。彼女らは最初から経済体系からはずされている。彼女たちが生産から生じる便益の分配に登場するなど、明らかに期待できないのである。P4

 そこで、筆者は果敢な試みをおこなう。

 私が言わんとするのは、生産的および再生産的な無報酬の労働に、貨幣的価値を付けるべきだということである。帰属計算とよばれるこの過程こそ、この労働を目に見えるものにし、政策や概念に影響を与え、価値に対して疑問をもたらすものである。P7
 
 筆者の主張は、いわゆるアンペイド・ワークの貨幣評価である。
わが国でも、アンペイド・ワークの評価を試みる動きはある。
しかし、それが成功しているとは言えないようだ。
同様に、筆者の試みは果敢ではあるが、経済活動の分析というより、男女間の差別へと目が向いているに感じる。
本書の企画が、1970年代にたてられたと書かれているとおり、ウーマン・リブが華やかだった熱き時代のなごりを感じる。

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 男女の差別に腹を立てて、その克服のために研究に入ることもあるだろう。
研究へのきっかけは、何でもいい。
しかし研究の結果、記述される内容は、筆者の動機から離れた客観性をもつ必要がある。
イデオロギー先行の研究は、批判すべき記述(ここでは国連国民経済計算体系=UNSNA)がイデオロギッシュであっても、その事実を見せなくしてしまう。
筆者が女性無視に憤るのは共感するが、労働を男女で切り分けることには無理がある。
 
 統計学者たちは、開発途上の世界では、どんな無報酬の労働であれその価値を帰属計算させるのは、その労働が男性によってされたか女性によってされたかに関係なく、むずかしいという。だから排除には性別による違いはないと主張する。しかし、私の論文では、国という国、活動という活動すべてを通して、女性が行った労働が、しかも、その大半が、どのようにして生産領域から除外されたか記すために十分なデータを集めたのだった。女性が見えていないのは、いわゆる先進国で制度化された新手の植民地政策として、国民経済計算を通して非先進諸国に輸出されたのだということを示す、これは明らかな証拠だと思う。P108

 国民経済という概念や経済学といった体系自体が、近代になってから生まれたものであり、近代社会のものである。
筆者も認めるように、国民経済計算は先進国で制度化されたものである。
だから、先進国の経済概念で、前近代てきな産業に属する国の価値を計るのは、きわめて難しいとおもう。

 本書は男女差別に怒るあまり、前近代と近代を混同している。
複式簿記ですら近代の産物で、市場原理を解明する経済学自体が、大衆の登場によって始まった。
農耕社会と工業社会を、同じ価値観や尺度ではかろうとするのは、無理である。
 
 レイプが結婚した男性によって合法化され、殺人が戦争によって正当化されるように、地球に対する略奪も、資源に市場があり、所有されうる限り、女性奴隷と同様に正当化されるのである。P230

 女性に対するレイプ、国家の征服、そして地球破壊は同じものだという。
が、これらは明らかに別のものであり、ここでは筆者の論は間違っている。
状況が許せば女性もレイプをするし、国家の征服や地球破壊もする。
ミセス・サッチャーの例を出すまでもなく、男女という性別の問題ではなく、人間そのものの問題である。

 筆者は、すべてのものを計算上の<つじつま合わせ>のために、むりやり市場価値に帰着させてしまうことに、非常な不快感をもっている。
そのため、市場価値に還元しない価値の体系を築きたいのはよくわかるが、本書は新たな価値の体系を目指しているとは思えない。
むしろ男女差別を憤っているだけのように読める。

 女性が経済学に進出するのは珍しく、ましてやフェミニズムからの経済学アプローチはきわめて少ない。
市場価値以外の評価基準の体系化は、果敢な試みだけに理論構築が不可欠で、大胆な仮説を提示する論者の登場を待ちたい。
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参考:
杉田俊介「フリーターにとって「自由」とは何か」人文書院、2005年
塩野米松「失われた手仕事の思想」中公文庫  2008年
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994
江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009
エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997
奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975
ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997
エリザベート・パダンテール「母性という神話」筑摩書房、1991
編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991
塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002


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