匠雅音の家族についてのブックレビュー    女性は進化しなかったか−改題「女性の進化論」|サラ・ブラッファー・フルディ

女性は進化しなかったか
改題「女性の進化論」
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著者:サラ・ブラッファー・フルディ 思索社、1982年  ¥2、400−

著者の略歴−ハーバード大学から、カルフォルニア大学へと転じている

 生物としての男女は、女性がしばしば隷属的な劣位の役割を果たすこと、
女性が種の保存に大きくかかわるため受動的であるので、
生物学は女性にとって都合が悪いと考えがちである。
しかし、筆者は必ずしもそうではないと考える。
そして本書を、解放された女性に捧げると言うが、解放された女性は生物的に進化したのではなく、想像力、知性、見識、および忍耐力を身につけた女性が解放されたのだ、という。
この論理は、ちょっと不思議である。

 財産が女性を通じて継承され、子供は、第一義的には、父の子ではなく母の子として認められている社会は存在する。このような母系原理(母権ではない)は人類社会において、けっして特殊な例ではない。世界中の諸文化の約15パーセントは、母を通じて継承が行なわれ、そのうちの半分の社会では、男性は結婚すると妻の家族と共に住むことになっている。(一般に、これらの社会は原始農耕社会であり、問題となる財産は、母から娘に譲られる畑である)しかし、このような状況においてさえ家族の財産の管理は男性が行なうことが多く、集団全体の問題について重要な発言権をもっているのは男性である場合が多い。P19
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女性は進化しなかったか

 筆者は上記の立場から出発する。
原始時代には女性が、人類社会を支配していたという母権論は、女権論者にはきわめて魅力だろうが、それはすでに否定されている。
筆者の先入観にとらわれない姿勢は信用できる。

 女権論者はオスが優位する理由を、身体的な要因に求めたがらないし、その理由も説明しない、と筆者はいう。
しかし、筆者はフェミニストの立場を取りながら、身体的な要因を考察する。
そして、一般に大きな体は、多くの食物を必要とするから、、身体が大きいことは有利なことばかりではないという。
もちろん身体の大きさが、優劣に結びつくことを否定はしないが、身体的な側面を多角的に考えている。

 デズモンド・モリスの「裸のサル」で有名になったように、
女性のいつでもの性交受容性、乳房や臀部の発達、そしてオルガスムの獲得が、配偶者間のつながりを強固にしたというのは、男性支配のイデオロギーだという。
そして、排卵の隠蔽は、女性が男性支配をするための進化だった、という。

 女性は平等指向で、平和愛好的な生き物だとする意見が、女権論者のあいだでは強かった。
男性の攻撃性に対して、女性の優しさを対置することによって、女性の優位性を主張しがちだった。
しかし、女性の優しさの主張そのものが、皮肉なことに進化を認めない原因だった。
進化とは自然からの淘汰圧力に抗するものだ。
とすれば、生物としての女性は女性同士のあいだでも、激しく格闘して現在の女性をつくってきた、と考えるほうが自然だろう。

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 男性たちが武力をもって闘ったように、女性は女性の方法で同性間で闘ってきた。
それが女性を進化さてきた。

 進化史の長い時間を通して、父親の同定の不確実さは、筋力の強いオスに圧倒的な分があるゲームの中でメスが保持してきた強みの一つであった。メスの霊長類はこの強みを実行に移すさまざまな戦略を進化させた。状況依存型の受容性、排卵の隠蔽、積極的な性への変化である。このような特性は、メスがオスを操作して自分が産んだ子どもを育てるのに必要な世話や寛大さをオスから引き出す能力を向上させた。メスのこの能力は、オス自身にも、自分の子どもだと思われる、あるいはその可能性があるというだけの幼いものたちの生存を助けるように仕向ける淘汰圧が働いたことで、一層強くなった。P266
 
 妊娠の可能性がない時期にも、性交をする女性の資質は、男性の子孫を男性に確定させない。
いつ妊娠したかは、男性には判らないし、女性にすら自覚できない。
つまり排卵の隠蔽によって、自分の種を残したい男性にとっては、常時の性交が不可避となった。
種の保存において、排卵の隠蔽が、女性の主導権を確保させた。
自分の種を確保したい男性は、そのためにさまざまな文化装置をつくって、女性に対抗せざるを得なかった。

 排卵が隠蔽されても、女性は自分の子供を自覚できるが、男性は自分の子供を確定できない。
だから、男性が女性に権威をふるえるように、文化、政治など、さまざまな領域で男性優位を主張した。
筆者の論にしたがえば、女性の生物的な進化に対して、男性は文化的に対抗したことになる。
種としての進化を、男性は社会的に補完したとしても、男女間の違いに生物的な根拠を求めるのは、どうも女性に不利なような気がする。
腕力の無力化=情報社会化が、女性の台頭を招来したというほうが、無理がないように思う。

 翻訳者による巻末の解説には、次のように記されている。

 第三章で、人間を含む動物の雌の本性をめぐる謬見を正し、最近の霊長類研究データに基づいて、女性の進化に関する仮説を提出する、と予告している。だから女性を動物学的な進化の観点で扱おうとしているわけだ。ところがあとがきでは、(男性)と平等の権利を有する雌は進化によって生まれたのではなく、知性と頑張りと勇気によって実現したのだ、と述べている。してみると、除々に拡大してきた人間の女性の権利は動物学的な進化の頂点をめざすものではなく、人類固有の社会的達成と見ていることになる。P284

 社会的に男女が平等になったから、人間はもっとも進んだ生き物だと言えるように思う。
生物としては、女性が受動的で劣位にあっても、人間としては男女が等価であることが、むしろ大切だろう。
しかし、「進化しなかった女性」という原題は、一体どういう意味なのだろうか。
(2003.2.28)
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参考:
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