匠雅音の家族についてのブックレビュー    新しい女性の創造|ベティ・フリーダン

新しい女性の創造 お奨度:☆☆

著者:ベティ・フリーダン  大和書房 1965年(新装本:2004年)  ¥1600−

 著者の略歴−1921年アメリカ,イリノイ州ペオリア生まれ。スミス女子大学卒。カリフォルニア大・バークレイ校大学院で心理学専攻。NOW(全米婦人連盟)を組織。婦人解放運動の指導者として活躍。
 家族のあり方を考える当サイトが、本書を掲載していなかったのは、何という体たらくか。
調べものをしていて、本書が掲載されていないことに気づき、愕然とした。
再読して、掲載する。
TAKUMI アマゾンで購入

 本書は、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「第2の性」とならび、戦後女性解放の古典中の古典だろう。
第2次フェミニズムは、本書から始まったと言っても過言ではなく、本書の衝撃はきわめて大きかった。
現在読んでも、まったく古びていない。
とくに驚いたのは、我が国の状況は、本書が取り上げているアメリカの1960年代そっくりだ。
いまだ専業主婦が跋扈する我が国は、本書が描くアメリカの1960年代そのままである。
違いは、我が国の専業主婦たちが、生きる手応えを求めた悩みとは無縁で、家に居すわって出ようとしないことだ。

 本書の白眉は、何よりも豊かな社会になって、1戸建ての住宅を手に入れ、
リッチな家電製品に囲まれた主婦の悩みを描いたことだ。
当時のアメリカの主婦は、家もあるし、たくさん稼ぐ夫に、健康な子供たちを手に入れ、これ以上の幸福はないと思われていた。
夫は妻を愛していたし、子供たちは母親を敬愛していた。

 1950年代のアメリカは、世界中で最も輝いていた。
国中に張り巡らされた高速道路、フルサイズの車、郊外の美しい住宅、清潔な環境などなど、どこもが羨む生活を謳歌していた。
1960年代になっても、アメリカの飛行場にはクレオソート臭いがただよい、清潔な国に来たと思わせてくれたものだった。
豊かだからこそ、悩んだのだ。
 
 つきつめて考えもしなかったために、この不満(得たいの知れない悩み)の原因が見出せなかったのだ。アメリカの女性は、ひと昔前の女性、また他国の女性が夢にも見なかったようなぜいたくな暮しをしているのだから、悩みなどはないという考えに私は反対だ。この悩みは、昔からある物質的な諸問題−貧乏、病気、飢餓、寒気−とは無関係なのだ。
 この問題で苦しむ女性は、食物がいやすことのできない飢えを感じている。この悩みは、物質的に恵まれないからおこったのではない。飢えや貧乏や病いの苦しみと必死に戦っている女性はこんな不満で苦しみはしない。それに、もっとお金が、もっと広い家が、もう一台自動車があれば、もっとよい郊外へ移れば、この悩みは解決するだろうと考える女性は、希望がかなっても、さらに悩みが深刻になっているのに気づくのだ。P24


 第1次フェミニズム運動のおかげで、アメリカの女性たちは選挙権も獲得した。
大学教育も受けた。
貧乏、病気、飢餓などの克服が人類の歴史であれば、
地球上で最も裕福な生活を手に入れたのが、当時のアメリカ女性だった。
夫が高給を稼いでくれるので、貧困に陥ることなど、主婦たちには想像もできなかった。
しかし、女性たちは悩みに襲われたのだ。

広告

 女性たちが襲われた悩みは、当時の誰にも判らなかった。
健康に恵まれ、最高の贅沢を手に入れたあとで、一体どんな悩みがあるのだろうか。
女性の不満を誰しもがいぶかしんだ。

 彼女たちは立派なインテリ女性であり、彼女の家庭や夫や子供や彼女自身の才能は、人々がうらやむほどのものだった。だのに、どうしてこんなに多くの主婦が悩んでいるのだろう。後になって、同じような現象を、同じような住宅地に発見して、私は偶然の一致であるわけがないと考えた。これらの女性には次のような共通点があった。人並み以上にすぐれた知性と才能に恵まれ、少なくとも大学教育はかじっていたが、郊外地の主婦としての実際の生活では、彼女たちの才能を活かすチャンスなどはなかった。
 得体の知れない悩みを、私ははじめて彼女たちに見出した。彼女たちは、活気のない声か、いらいらした声でしゃべり、落ち着きがなかったり、退屈していたりした。P168


 核家族での生活というのは、女性が自分の人生を生きるのではなく、夫や家族のために生きる。
妻として母として、彼女は夫を初めとする家族に、全人格を捧げるのだ。
男性たる夫は家の外で稼ぎ、妻たる女性は、無給の家事労働に従事する。
性別によって、役割が分担されていた。
主婦の仕事は、床磨きといった家の維持、子供の教育、夫の世話、その他こまごまとした日常の家事である。

 貧しかった伝統的社会の女性たちは、男性とともに貧しさと闘い、自分なりの地位を占めていた。
生産労働に従事することが、そして、子供を産むことが直接に、自分たちの生活向上に役に立った。
そのため、貧しい彼女たちは生きる手応えをもてた。
しかし、豊かなアメリカの女性は、貧困と無縁になったが、生きる手応えを失ってしまった。

 人はパンのみにて生きるものではない。
古くから言われてきたが、この言葉は女性には無関係とされたのだ。
貧困さえ克服されれば、人間は幸福になると信じられていたが、それが崩れた瞬間だった。
人類が豊かな社会になって、はじめて遭遇した悩みを、女性たちは悩んでいたのだ。

 この当時、黒人差別は厳しかったが、黒人差別は貧困の問題だった。
しかし、主婦の問題は豊かさのなかにあった。
豊かな工業社会では、生きる手応えがなくては生きていけない。
社会との関わりを欠いては、誰も生きることはできない。

 女性が妻と母であることに生きがいを感じ、息子を通して生きようとする時は、このように極端な愛憎の気持が、母親と息子の間に、多くの場合、言わず語らずの中に存在する。男性の同性愛は女性の同性愛より昔も今もずっとありきたりのものである。母親と息子との関係とちがい、父親はめったに娘を通して生きようとしたり、娘を引きつけておこうとはしない。P196

 女性が女性としての自己をみせず、母親として子供に接するだけだと、
子供との間に健康な関係が形成できない。
すでに上記のような観察が提出されている。
本書を読んでいると、いまの我が国にも充分に通用する記述にであう。
それだけ時代を先取りしていた。
農耕社会を脱したばかりの当時の我が国では、本書を理解するのは無理だった。
当時の我が国は、まだ貧しかったから、豊かな社会の悩みに想像力が届かなかった。

 「The Feminine Mystique」という原題でありながら、「新しい女性の創造」という邦題がついた。
当時のアメリカを支配していた女性らしさを、女性神話としてとらえ、
神話打破を訴えた本書の意図は、邦題には反映されなかった。
我が国では、専業主婦が立ち上がらなかったので、女性運動はアメリカや他の先進国とは違うものになった。

 ウーマン・リブ(フェミニズム)は、我が国にも輸入された。
しかし、既婚者ではなく未婚女性が担い手になった。
若い女学生たちが、ウーマン・リブを賛美したが、彼女たちは結婚すると喜んで主婦になっていった。
だから、本書の意味はほとんど理解されなかった、と言っても過言ではない。
その結果、結婚制度を再認識する方向性は生まれず、我が国ではいまだに性別役割分業の核家族制度が盤石である。

 1969年の5月に私は離解した。結婚という私にとっては見せかけだけの安定した生活にしがみついていた以前より、現在のほうが孤独感に襲われることがはるかに少ない。婦人解放運動の第二の大目標は、結婚と離婚とを根本的に変革することであると、私は考えている。P299
 
 本書を出版して10年後、筆者は結婚と離婚の変革が目標だという。
まさに当サイトの主張する展開である。
筆者であれば、「核家族から単家族へ」を簡単に理解するだろうし、圧倒的に支持してくれるだろう。
その後、「ビヨンド ジェンダー」などを書いて、筆者は評判を落としたが、それでも本書の輝きは、歴史上に燦然と残っている。
途上国の貧困に目を向けさせようとする昨今の風潮は、新しい女性の創造に逆行するもののように感じるのは、ボクだけだろうか。
(2008.5.21)
広告
    感想・ご意見などを掲示板にどうぞ
参考:
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009


「匠雅音の家族について本を読む」のトップにもどる