匠雅音の家族についてのブックレビュー     現代日本女性史−フェミニズムを軸として|鹿野政直

現代日本女性史
フェミニズムを軸として
お奨度:

著者:鹿野政直 (かの まさなお)   有斐閣、2004年  ¥2200−

 著者の略歴−1931年大阪府に生まれる。1953年早稲田大学文学部卒業。1958年より早稲田大学に教員として勤務(文学部)。1999年退職。早稲田大学名誉教授。専攻 日本近現代思想史。主著『資本主義形成期の秩序意識』筑摩書房1969年、『大正デモクラシーの底流』日本放送出版協会1973年、『戦前・「家」の思想』創文社1983年、『近代日本の民間学』岩波書店1983年、『戦後沖縄の思想像』朝日新聞社1987年、『「鳥島」は入っているか』岩波書店1988年、『歴史のなかの個性たち』有斐閣1989年、『沖縄の淵』岩波書店1993年、『近代日本思想案内』岩波書店1999年、『健康観にみる近代』朝日新聞社2001年
 女性史をめぐる書物は、たくさん出版されてきた。
しかし、ウーマン・リブやフェミニズムには、ほとんど紙面が割かれることはなかった。
そう感じていたのは、私だけではなかった。
いまや女性論を語る女性は、ウーマン・リブやフェミニズムという言葉をすっかり忘れて、ジェンダーなる言葉に淫している。
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 筆者はウーマン・リブは、否定の対象にすらならず、黙殺されて、存在しなかったかのように扱われてきた、という。
筆者には、それで良いのか、という疑問があった。
そこで本書の副題に、あえて<フェミニズムを軸として>と付けたらしい。
ほんらい本書は、女性によって書かれても良いものだ。

 1968年以降の女性運動を作ってきた原動力は、ウーマン・リブやフェミニズムだというのに、こんなにも無視して良いわけがない。
76歳の男性が、ていねいに現代女性史を掘り起こしていく。
先人の切り開いた地平に感謝してこそ、現在の人間も次の世代へと送るものを創れるというのに、なんという殺伐とした風景だろうか。

 ウーマン・リブはアメリカで生まれたものだ。
しかし、1968年以降の世界の動きは、我が国をも放置しなかった。
ウーマン・リブは我が国にも飛び火した。
当時の学生運動から、ピンクのヘルメットをかぶった女性が、元気よく街頭に登場した。
それが我が国のウーマン・リブだった。

 ウーマン・リブ以前の我が国の女性運動は、母性保護つまり産む性を保護する傾向が強かった。
それにたいして、ウーマン・リブは母性とは無関係に、<女性である>ことを問い直す運動として始まった。
そのため、運動の担い手は学生など若い女性が多く、フェミニズムへと転化しても、運動を若者が担う傾向は続いた。
その結果、次のような傾向が生じた。

 女であることを原点とするウーマン・リブの視界は,女性の人生を,日常的にまた長期にわたって規定する家族・家庭に当然及ばずにはいなかった,と考えられるかも知れない。が,『資料日本ウーマン・リブ史』全3冊を辿るかぎりでは,リブ運動のなかでの家族論・家庭論の比重は意外に小さい。その理由は,運動が比較的に若い世代に担われていて,「主婦」としての日常を生きる人びとの参加が主力とならなかったことによるのであろう。P80

 アメリカのウーマン・リブやフェミニズムは、「クレーマー、クレーマー」が物語るように、主婦が家庭での日常を打ち破るかたちで誕生した。
そのため、中高年の主婦が運動の支えとなったので、家族や家庭を問うことが不可避だった。
しかし、我が国では家族や家庭をそのままにしたまま、<女である>ことを問うた。
ここでウーマン・リブやフェミニズムは、日本的変形を受けた。
 
 我が国では、産むという動物的な力を女性が手放さない。
だから、最後のところで女性独自の世界に立て籠もることになった。
人間としての視点を獲得できない仕儀におちいった。
もちろん人間は生き物だから、動物である面からは逃れることはできない。
しかし、事実としての生き物から一度離れ、自分を自己相対化しなければ、自己認識はできない。
男性が自己から離れて自己認識するので、より客観視できるのに対して、産むことにこだわる女性は自己を客観化できなかった。

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 「クレーマー、クレーマー」が子供を捨ててまでの、女性の自立物語だった。
先進国の女性運動は、早い段階で産む性や母性保護から離れた。
そのため、運動が自己相対化され、きわめて論理的なものになった。
だから女性が自立できた。
しかし、我が国の女性運動は、子供を捨てずに女性であることを、信じたうえに成り立った。
その結果、前近代色を孕んだままだった。
女性だけの運動になりやすく、男性を巻き込むことが下手だった。

 しかし、本書は女性運動が切り開いてきた地平を、温かい目で丁寧に腑分けする。
女性の人権が少しでも確立されるよう目配りしている。
その丁寧さには頭が下がる。
そして同時に、<貧しさ>と<自活力>への視野の減衰という、フェミニズムの問題も指摘している。
前者は日本的な問題であり、後者はフェミニズム本来の問題である。

 アメリカで始まったウーマン・リブやフェミニズムは、貧しかった時代の女権拡張運動ではない。
ウーマン・リブやフェミニズムは、専業主婦の家庭からの逃亡というかたちで誕生した。
そのため、もともと中産階級の女性を担い手としていた。
都市型の、しかも専業主婦となることが可能な、裕福な女性が始めたものだ。
ウーマン・リブやフェミニズムには、貧しさは最初から考慮の外だった、と言っても過言ではない。

 自活力つまり経済的自立は、我が国固有の問題である。
これらは、母子家庭や寡婦世帯が築き上げたものだ。
が、ウーマン・リブやフェミニズムが大学フェミニズムとして体制に取り込まれるに従い、女性論者たちも豊かな給料生活者やその伴侶になってしまった。
大学フェミニズムが専業主婦に依拠すると同時に、そこで母子会(全国母子寡婦福祉団体協議会)が切り捨てられていったのだろう。

 経済的な自立をめざさないフェミニズム等あり得ないのに、我が国では専業主婦を切り捨てなかった。
そのため、女性の自活力が問われなくなった。
稼ぐ女性も稼がない女性も、同じように女として一括りにしてしまった。
その結果、フェミニズムは働く女性たちから見捨てられるという、大きなしっぺ返しを食らっている。
自活力を獲得するのは、フェミニズムにとって至上命題である。

 また筆者は、次のようにも問う。
ジェンダーという言葉が、簡単にフェミニズムにとって代わった。
女性たちがフェミニズムという言葉より、ジェンダーという言葉を好んでいるように見える。
しかし、これで良いのだろうか、と筆者は疑問を投げかける。
当サイトはジェンダーよりフェミニズムを好む。
ジェンダーを使うことは、男性社会への迎合だろう。

 本書は、76歳の老人男性によって書かれている。
が、女性運動を温かい目で見ており、いろいろと教えられところがあった。
大学フェミニズムには否定的な本サイトも、老大学人の書いた本書は真摯に読ませてもらった。
いのちの女たちへ」が思い出される。    (2007.08.24)
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参考:
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002年
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001

奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980
増田小夜「芸者」平凡社 1957
岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006
スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988
ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002
まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001
J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957
ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965
クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966
松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984
モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992)
熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000
ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004
楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005
山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006
小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001
エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997
シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000
シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001
中村うさぎ「女という病」新潮社、2005
内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008
三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004
大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001
鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006
ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001
山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972
水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979
フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993
細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980
サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982
赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005
マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994
ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992
清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002
モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992
R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000
荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001
山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007
田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000
ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952
スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994
井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995
ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994
杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994
ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009
佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994
斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003
光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009


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