匠雅音の家族についてのブックレビュー    家族革命前夜|賀茂美則

家族革命前夜 お奨度:

編著者:賀茂美則(かも よしのり)   集英社、2003年  ¥1700−

 著者の略歴−1958年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。総合商社勤務の後、米ワシントン大学社会学博士。ルイジアナ州立大学社会学部助教授を経て、現在、同准教授。(家族社会学、比較社会学、計量社会学専攻)。1992年、ルイジアナ州で起こった服部剛丈君射殺事件では、服部君の両親の通訳・アドバイザーを努める。主著に「アメリカを愛した少年」講談社、「日本、よいしがらみ悪いしがらみ」共著:日本経済新聞社。現在、ルイジアナ州バトンルージュに住む

 家族が多様化しているとか、個人化しているという指摘はされるようになった。
しかし、家族がいかなる方向に行くのか、それを明確に示した書籍は目にしない。
本書は「家族革命前夜」とのタイトルで、今まさに家族革命直前である、との意識を感じる。
筆者は「現在、家族は危機に近づきつつある。家族革命の波が近づきつつある」P57と記す。
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 筆者も言うように、我が国の家族には、アメリカに約25年遅れて同じ現象が起きる。
本書はそうした家族の変化を、様々な資料を使って我が国とアメリカを、比較しながら分析している。
また、筆者は日本人であるが、アメリカで生活しているので、近隣での出来事は、まさに今のアメリカ家族事情そのものである。
筆者の自身の家族体験を交えながら、平易な文体で読ませてくれる。

 私の最近の調査によれば、アメリカ白人の家族(単独世帯を除く)のうち、核家族はじつに91%を占める。残りの9%ほどが三世代家族を含む拡大家族だ。
 一方、白人以外の黒人、アジア人、ヒスパニックにおける核家族率を調べると、黒人77%、アジア人78%、ヒスパニック84%弱で、明らかに白人家族より核家族の割合が低い。それだけ三世代家族を中心とした拡大家族が白人に比べて多いということだ。P70


 白人家庭よりも非白人家族に、拡大家族が多い事実がある。
それを黒人家庭では「下の世代に伸びた」三世帯家族で、アジア系の家族は「上の世代に伸びる」拡大家族だという。
そして、ヒスパニック系の家庭は、「横向きの」拡大家族だという。
こうした事情は、我が国から見るかぎり、なかなか判らない。

 アメリカの結婚は、その半数が離婚に終わる。
筆者の隣人も離婚したらしく、そのエピソードが語られる。
我が国で離婚というと、重大事で陰々滅々としたイメージがある。
しかし、アメリカ人の離婚はずいぶんと様子が違う。
昨日まで仲良くやっていたように見えるカップルが、たちまち離婚するという。
しかも、彼等彼女らは、離婚をそんなに深刻に考えないらしい。
だからまた再婚するのでもあろう。

 家族の多様化は、もちろんアメリカでも進んでいる。
男女の対を単位とする家族から、同性の対を単位とする家族、多世代が同居する拡大家族、それに単身成人と子供と言った単家族、などなどじつ多彩である。
しかも、我が国ならいろいろと言われそうでも、アメリカ人たちは他人が作る家族形態には無頓着だという。

 筆者は、単家族という言葉は使っておらず、単家族は家族扱いしていなように感じられる。
しかし、シングル・マザーの増加には注目している。

 世界的にシングルマザー現象が目立ち始めたのは、1970年ごろからだ。初めはスウェーデンやデンマークなどの北欧諸国で激増した。1960年代中ごろに始まった「性革命」が先進諸国に広まった時期に当たる。(中略)
 アメリカでは1970年ごろまで北欧諸国並の水準でシングルマザーが増加していたが、それ以降は比較的ゆるやかなペースで推移していた。急に多くなったのは1980年代に入ってからだ。(中略)
 「専業主婦の黄金時代」であった1950年、婚外子の割合はわずか4%に過ぎなかった。これが10%に達したのは1969年のことだ。1980年代に入ると20%を超え、婚外子は急速に増えていく。そして、2001年には33.5%となった。つまり、新生児3人に1人が婚外子という計算になる。P157


 当サイトはアメリカの婚外子は、25%程度だと考えていたので、ずいぶんと増えたものだと思う。
婚外子は今後も増えるだろう。
つまり、今までのような対なる男女がつくる結婚、しかもそれを法律の裏付けを求める、そういった欲求は低下していく。
もちろん、婚外子の誕生は必ずしもバラ色のものではない。
しかし、婚外で出産しても、何とかやっていけるくらいの経済力が、先進国では付き始めたのだ。

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 単親家庭はそうじて所得が低い。
とりわけシングル・マザーの場合には、子育てと経済活動が一人にのしかかるので、困窮の度合いが高い。
だからといって、ファインマン氏が「家族、積みすぎた方舟」で言うように、 「母子」を基本的な家族のバラダイムの核に代替するものとは言えない。

 アメリカの場合、社会福祉が北欧諸国ほど発達していないので、個人的な負担が大きいのは事実である。
しかし、それでも何とかやっていけるようにはなった。
情報社会の進展にともなって、今後ますますシングル・マザーは増えるであろう。
 
 いま、家族は崩壊の危機を迎えているという言い方がある。私がここまで検討してきたいくつかの「虚構」が崩れつつあるという意味でなら、家族は崩壊している。しかしながら、このような現実にそぐわない家族ならいくらでも崩壊していただいてけっこうなのだ。実態は、家族の崩壊でも何でもないということが、もうおわかりいただけたと思う。家族が崩壊しているのではなく、家族の構造に革命的変化が起きているに過ぎないのだ。P194

 と筆者は言って、最終章で我が国の家族のあり方についてのヒントを、企業社会と個人に焦点を当てて呈示している。
全体にほぼ肯首できる。
しかし、いくつか気になった点を上げる。

 核家族をマードックの「社会構造」に求めている。
しかし、マードックのいう核家族と、本書で使われている核家族は、使う次元が違うのではないだろうか。
確かにマードックは「Nuclear Family」という言葉を使っているが、マードックは日本語版の解説者もいうように、「マードックの核家族なる概念は、家族集団の構成要素として考えられているのであって、現象形態としてではない」と思う。

 筆者は、拡大家族といった単語も使用しており、核家族を現象形態として使っている。
核家族を現象形態としてみるならば、マードックに典拠するのはちょっと難しいように思う。
そのせいだろうか、家族革命といいながら、革命の後に表れる家族形態に言及していない。
家族の多様化、要するに「何でもあり」なのだ、と言っているのみである。

 家族形態を「何でもあり」ということは、一見正しそうに見える。
しかし、何でもありを肯定すると、核家族や拡大家族をもそのまま認めることになる。
核家族や拡大家族での家族生活は、自立できない人間を肯定することにつながる。
今のような核家族や大家族に生まれれば、子供は養われてしか生きていけない専業主婦に育てられることになる。
稼げない専業主婦の子育ては、「クレーマー、クレーマー」ですでに否定されたはずである。

 当サイトも、多人数の成人が同居する家族形態を肯定する。
しかし、当サイトが肯定する大家族は、各人が自立した上での同居である。
自立した成人たちが同居してこそ、そこで育つ子供たちには、成人の望ましい姿を見せることができる。
だからこそ単家族の複数同居なのであり、それが外見上は大家族に見えるのである。
だから、筆者のように拡大家族や核家族を、何でもありと肯定する姿勢と、単家族の複数同居は似て非なるものである。

 社会科学の役割は、複雑な社会現象の中から規則性を発見し、歴史的社会に貫通する法則を導き出すことではないだろうか。
家族革命という以上、その変化には規則性があるはずである。
筆者には、革命前の家族と革命後の家族を、描写して欲しかった。
本書は核家族の範囲のなかで論が終わっており、ここでは物足りなさを感じた。
しかし、教えられるところもあって、楽しく読了した。     (2003.12.05)
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参考:
G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001
G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
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J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
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ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
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宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
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森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
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高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
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瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年
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本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008
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小田晋「少年と犯罪」青土社、2002
リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005
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服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
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ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
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