著者の略歴−1957年東京都生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、東京学芸大学教育学部教授。専門は家族社会学・感情社会学。内閣府国民生活審議会委員、東京都児童福祉審議会委員などを務める。主著に、『近代家族のゆくえ』『家族のリストラクチュアリング』(以上、新曜社)、『バラサイト・シングルの時代』『バラサイト社会のゆくえ』(以上、ちくま新書)『希望格差社会』〈筑摩書房)、『家族ペット』(サンマーク出版)、『迷走する家族』(有斐閣)などがある。 家族と日本を救う処方箋と、腰巻には書かれている。 筆者は、格差自体の存在は、問題視しない。 問題は「希望格差」だという。 現在が貧しくても、将来は豊かになる希望があれば、人間は明るく生きることができる。 反対に、今は豊かでも、将来に不安があれば、絶望に陥る。 現代社会は、希望を持てる人と、持てない人の格差が広がっている、と筆者は言う。
そのとおりであろう。 頑張れば頑張った分だけ、見返りがある社会なら、頑張りがいがあるから、希望に燃えて頑張るだろう。 しかし、いくら頑張っても、報われない社会では、頑張る気力が湧いてこない。 そして筆者は、希望格差の大きい社会は、やがて消滅に向かう言う。 言わんとするところは判るが、希望という抽象的な概念を使っているのが、どうも気になるところである。 10章に分かれているが、ほとんど既知であり新鮮味はない。 しかし、驚いたのは、未婚化の研究を発表しようとしたら、あたかも検閲のように、公表が制限されるのだそうだ。 筆者は、未婚化の原因を、次の3つだと考える。 @女性は、結婚後、男性(夫)に家計を支える責任を求めるという傾向が強い。 A若い男性の収入はオイルショック(1973年)以来相対的に低下、そして、近年(1995年以降)は不安定化している。 B結婚生活に期待する生活水準は、戦後一貫して上昇している。P206 ところが、@は、フェミニズムや反フェミニズム言説の中でかき消され、 Aにかんして、収入の低い男性は、配偶者として女性から選ばれにくい、 という筆者の発言は、削除されてしまったらしい。 収入の低い男性が未婚である割合が多い、という筆者の発言は、 未婚男性に対する差別なのだそうだ。 低収入の男性に対する差別を助長するから、筆者の発言は封じられて、 未婚化の研究はタブーと化したという。 大学に籍を置き、いまやもっとも有名だろう社会学者でも、こうした検閲にあうのだろうか。 これには開いた口がふさがらなかった。
差別を助長するという理由で、発言を封じてしまうのは、想像だにできなかった。 こんなことをしていれば、まっとうな社会分析など生まれるわけはなく、したがって真っ当な政策も生まれるわけがない。 当サイトは、必ずしも本書を高くは評価しないが、筆者の発言はきちんとさせるべきだと思う。 そのうえで、評価すればいいのであって、発言を封じるのは言語道断である。 さて、1999年に上梓された「家族のリストラクチュアリング」では、 大家族(筆者の言葉では3世代家族)が核家族(同2世代家族)へとリストラされたといっていた。 が、本書では、家族主義の失敗だという。 家族主義といえば、大家族かと思うが、筆者にとっての家族主義とは核家族のことらしい。 筆者は、サラリーマン−専業主婦型家族を標準的家族と呼び、 標準家族を前提にしたシステムが、機能不全に陥っているという。 先進国は標準的家族を、次のように克服したとみる。 アメリカを代表とする自由主義レジームのもとで、女性に労働市場を開放することが最も進んだ。女性は、夫の収入低下や離婚に備えて、そこそこの賃金で働くことによって、リスクに備える。男性は、その代償として、不十分にしろ家事・育児を分担することが求められる。極端に言えば、リスクから守ってくれるものは、自分の仕事能力だけになったのだ。 一方、スウェーデンなど社会民主主義レジームのもとでも、女性への労働市場の開放が進む。同時に、家族がではなく、社会全体が、そして家族をではなく、個人を社会リスクから守るという発想で、子育て期の女性の人並みの生活を様々な形で保証しようとする。つまり、子育てリスクを社会化することで対応したのである。その上で、福祉国家が、偶発的リスクによって生じた格差の公平化を様々な手段で果たそうとする。例えば、家族を介護する人に対しては賃金が支払われ、子どもの養育者に対しては手当が支払われる。それらは、「運良く」家族の負担から免れている人からの拠出によって賄われているのだ。P266 それにたいして我が国では、家族主義を維持するために、新たに発生するリスクを先送りする方策がとられた。 そのため、「家族の失敗」が進行しているという。 そして、遅まきながら筆者も、やっと新たな家族政策の必要性に言及した。 本書の最後は次の言葉で結ばれている。 標準的な家族を前提とする政策を転換しない限り、日本の福祉社会は破綻するだろう。P269 筆者の思考はここまでである。 標準的な家族つまり核家族に代わって、筆者はどんな家族をイメージするのか。 本書は、まったく何も提示していない。 しかし、核家族の限界に論及した者は、ほとんどいないのだから、ここまででも良しとして、星を献呈しよう。 ところで、筆者が単家族論に至るのに、あと何年かかるのだろうか。 (2007.05.22)
参考: G・エスピン=アンデルセン「福祉国家の可能性」桜井書店、2001 G・エスピン=アンデルセン「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店、2000 湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005 越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998 高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年 岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972 大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002 J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997 磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958 エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987 S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003 賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003 信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001 匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997 黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997 E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970 エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987 ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001 S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001 石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002 マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003 上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990 斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001 斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997 島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004 伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004 山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999 斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006 宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000 ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983 瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006 香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005 山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006 速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003 ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004 川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004 信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001 菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005 原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003 A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998 ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003 塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001 棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999 岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007 下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993 高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992 加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004 バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001 中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005 佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984 松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993 森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997 林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997 伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998 斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009 高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006 デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995 ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000 フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980 伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975 エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997 ウルズラ・ヌーバー「<傷つきやすい子ども>という神話」岩波書店、1997 編・吉廣紀代子「女が子どもを産みたがらない理由」晩成書房、1991 塩倉裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 ピーター・リーライト「子どもを喰う世界」晶文社、1995 ニール・ポストマン「子どもはもういない」新樹社、2001、 杉山幸丸「子殺しの行動学:霊長類社会の維持機構をさぐる」北斗出版、1980 矢野智司「子どもという思想」玉川大学出版部、1995 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972年 赤川学「子どもが減って何が悪い」ちくま新書、2004 浜田寿美男「子どものリアリティ 学校のバーチャリティ」岩波書店、2005 本田和子「子どもが忌避される時代」新曜社、2008 鮎川潤「少年犯罪」平凡社新書、2001 小田晋「少年と犯罪」青土社、2002 リチヤード・B・ガートナー「少年への性的虐待」作品社、2005 広岡知彦と「憩いの家」「静かなたたかい」朝日新聞社、1997 高山文彦「地獄の季節」新潮文庫、2001 マイケル・ルイス「ネクスト」潟Aスペクト、2002 服部雄一「ひきこもりと家族トラウマ」NHK出版、2005 塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002 瀬川清子「若者と娘をめぐる民俗」未来社、1972 ロイス・R・メリーナ「子どもを迎える人の本」どうぶつ社、2005
|